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2016年07月27日17:39

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自分の人生を振り返ってみると、今は第二部、いや、第三部かな。

私が統合失調症を発症して丸12年が経ちました。長いような短いような。

当初は、人生はもう終わった、などと悲観に暮れていたが、今になって思うことは、かなり充実した濃密な人生を送っているなということ。

病気になったのは必ず原因がある。

大事なのは、それを克服すること。

できる、絶対できる。

突き詰めればいい。

言い訳していては駄目だ。

それは逃げだ。

他人の目なんか気にするな。

己の道を突き進め。

イエス・キリストがどんな仕打ちを受けたかご存知か?

イエスが磔にされたことは知っていても、どんな人生を送ったかを知る人は少ないだろう。

イエスの死に方ばかりに焦点が当てられがちだが、本当は生き方にこそ教訓が秘められているのだ。

私は今ちょうど霊界通信イエスの少年時代を読んでいる。

イエスの何が凄いって、これほどまでに霊格の高いスピリットは後にも先にもいないことである。

きっと現代に生まれてきたら、奇人変人扱いされるのは間違いない。過去に人々がそうしたように。

イエスが嘆いているとすれば、彼の口にする言葉ではなく、彼そのものを神として祀り上げてしまったことに違いない。

上手く表現できないが、神は人間の形はしていない。

私が神だ、などとは決して口にしない。

もしいるとすれば、それは低級霊の仕業だと思っていい。

実際に色々な霊界通信を調べてみても、霊界からスピリットが送る通信には神を見たことはないとのこと。

では、神はいないのかと言われれば、いるのだ。この宇宙の創造、その第一のきっかけとなる存在だ。

自らの霊格を高めていけば、自ずと高い波長を持つ高級霊とコンタクトがとれる。

上にはさらに上の高級霊がいる。

無限である。

はい、ここが最終地点です、というのがないのだ。

もちろん下にも無限に階層がある。

ピンキリどころではない、無限だ。

想像できる?

たましいは永い年月をかけて少しずつ浄化向上していく。

本当に少しずつだ。

散々悪の限りを尽くしたたましいが、死んだ途端に聖人君子にはならない。

逆に愛に生きたたましいは、死に際して恐れるものは何一つない。

待っているのは、祝福だ。

まさしく天国、サマーランドである。




話は戻るが、私は今新たな段階を生きている。

今の病気を克服していく生活である。

ただ、私の場合、病気を発症する前と同じではない。

過去は過去。

今は今で充実している。

毎日株のトレードをして小遣いをコツコツと貯められている。嬉しい。

インプラントを入れられる日がいつになるか、今はまだわからないが、一歩ずつ前進している。

正直楽しい。

生きてるって実感がある。

病気になる前も楽しい時間を過ごしていたが、その内容が異なる。意味合いが異なる。

でもね、今は当たり前のように行っている株式のトレードだけど、伏線はあったんだ。

もっともっと若かった頃、新聞の株価の欄を見て、適当に銘柄をいくつかピックアップして終値を記録して、やれいくら上がっただの下がっただのと投資家ごっこをしていたことがある。

今にして思えば、当時からこういうの好きだったんだなって。

で、今に繋がってる。

やっぱり好きなことしている時はいいよね。

当然ストレスがかかることもあるけど、贅沢は言ってられない。

好きなことやってるんだから。

多分、株式をやっている人の中でも、楽しくやっている人って少ないかもね。

ただでさえ日本人の10人に1人しかやってないんだから。

もったいないと思うよ。

競馬にハマっていた時期が懐かしく思う。

もうギャンブルはしない。

小学校の同級生が投資を勧めてくれたのがきっかけです。

ほんと感謝してます。

高い授業料払ったけど、今は少しずつ回収していっているところです。

人生はあっと言う間に終わります。

自分に正直に生きましょう。

私は正直に生きてます。


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