mixiユーザー(id:6231411)

2016年07月13日21:22

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国歌を変えてまで配慮するもの

他国の話であるから、日本国民の僕がとやかく言うものではないが
幾らフランスを宗主国としていた土壌がある国だからと言って
国歌まで「平等」を追求するのはもはや病気だとしか言いようがない。

性的平等というのは
深く考えればすぐに理解できる二つの構造があることを
彼の国の国民が理解できないというのだろうか
それは生物学的性差、すなわちSEXと
社会的性差、同じくGENDERを
同一視するという錯覚を起こしているとしか言いようがない。

(生物学的に)
男に生まれれば「息子」であり、
女に生まれれば「娘」である。
歌詞が意味する「息子」が「娘」であっても同義の
「わが子」としての「息子」であれば
それで女性が被害妄想を抱くということはないはずである。
その言葉に男性であるという意味があるのであれば、それは変えられないわけだが
その意味がない時、「どちらでもいい」という事はあっても
「性別のない言葉」に置き換えるというのは
歌や歌詞のありようとして考え直さねばならないだろう。
19世紀に生まれ20世紀に定められた国歌であるとはいえ
歌の著作権者が聞いたら訴えを起こされてもおかしくない変更である。

昨今のLGBTの権利運動の活発化を受けて
我々が冷静に取り組まねばならないのは
彼らを差別しない事であって
社会が彼らに合わせて形を変えることは
逆差別ではないのか?と思うのだ。

彼らの在り様が多様であるがゆえに
社会が形をいくら変えても、それはフィットするものではないのであり
我々が社会的性差の多様性を認知し
大切に出来る考え方の構築が肝要である。

実は、多様性に対する許容は
我々アジア人の方が高くあり
欧米の方が頑迷なのである。
それは彼らがキリスト教的文化圏だからである。

正確には「自由・平等・平和」という幻想を
敢えて掲げることで自分たちを縛ることになった背景を
考えると、過度なる社会の変容は後から苦しむことになるのではないかと
僕は推測するがどうだろうか。

カナダ国歌「オー・カナダ」の歌詞変更へ、性的平等に配慮
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=52&from=diary&id=4046377
[オタワ 15日 ロイター] - カナダ下院は15日、トルドー首相率いる自由党政府が推進する性的平等に向けた取り組みとして、国歌「オー・カナダ」の歌詞変更を可決した。

具体的には「汝の息子(in all thy sons command)」の部分を「我らすべて(in all of us command)」と変更する。今後上院で採決にかけられるが、通常は下院を通過した法案は承認される。

トルドー首相は昨年10月の当選以来、性的平等に焦点を合わせており、閣僚30人の男女比率を初めて同等とした。

一方、前政権を率いた保守党も、2010年に国歌の歌詞変更を提案したが、世論の反対で断念。こうした背景から、一部保守党議員からは、国民の意見を十分聞くことなく変更が行われたとして反対もあった。

国歌の原曲は1880年にフランス語で作曲され、英語版は1908年に確定。ただフランス語からの直訳でなく、後年修正が加えられるなどした。1980年に正式な国歌に採用された。
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