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2016年07月13日21:13

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男が百夜(ももや)通い給う事 5


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生前、その娘は中級貴族の二の姫だった。入内して内裏に上がるほど裕福で地位のある家ではなかったが、生活に困り事はなく穏やかな日々を過ごしていた。
周辺ではなかなかの器量良しと評判だった彼女が見初めた男は、姫の評判を聞いてやってきた貴族の男・・・の従者だった。後は貴族の娘と平民風情の男による禁断の恋が始まり、周囲の反対の末に駆け落ちに至るという定番の流れが来る。

約束の日、宇治川の橋の上で姫は一人男を待ち続けた。が、約束の時間を過ぎても男は姿を現さなかった。そこへ彼女の居場所を探し当てた姫の家臣が伝える。
男は別の女の所へ行ってしまった、こんな夜更けまで待たせているのがその証拠だ、と。
あれほど深く愛し焦がれ合っていた男の突然で非情な心変わりに悲しみ、絶望した姫は家臣の制止を振り切り宇治川に身を投げた。前日に雨の降っていた川の水位は凄まじく、家臣は助けるどころか死体を見つける事さえ出来なかった。

濁流にもまれながら、姫は男を恨み続けた。その念は重く激しく、未練の鎖となって彼女をこの世と死に場所に縛りつけた。
恨みによる未練の苦しみは痛みや飢餓感に近い感覚を伴い、それは生者を殺す事で一時的に和らぐ気がした。それが殺戮の快感からなのか、殺しに夢中になって意識が離れているからなのかは定かでない。
女の悪霊は宇治川の橋に来る人々を殺め続けた。若い男性のみに固執していた標的は、いつしか老若男女問わなくなっていた。
元の姫の一族達は悪霊と化した娘を「宇治の橋姫」と呼び、その名声は遂に陰陽寮の宮廷陰陽師達の耳にも届くことになる。

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「すっかり帰りが遅くなってしまったわね」

夜半過ぎ、漆黒の道に明るい女性の声が響いた。散歩でもするような足取りで歩くのは少女と女性の中間に見える一人の娘。青海色の切り揃えられた長髪に同色の瞳、舞踊に用いるのかと思える華やかな衣装をまとっている。平安京の人間と比べて明らかに浮きだった容姿の彼女は、実は青龍という本性を人の姿の裏に隠している。

「それにしても都の陰陽師も大変ね。自分の住んでる都の事だけでなく、あんな山奥のご神木の面倒まで管轄に入ってるなんて」

青龍の顔が僅かに曇る。しかし彼女の美貌を損なう要素にはならない。血色のよい白磁の肌、海の底を溶かし込んだような透明感と煌めきを持つ髪、宝石をはめ込んだような瞳、優雅な曲線を描く肢体・・・どの要素も見る人を魅了する輝きに溢れている。そして、実際彼女の周りは明るかった。主に肩に乗った小動物によって。

「でもお礼にいろいろな果物が頂けたからよかったわ。コーさんやシューちゃんが特に喜んでくれそうだもの。ね?」
「キュ〜」

同意するように鳴いたのは今回の遠征に同行した炎狐。炎で出来たこの子が青龍の周りを照らしていた。もっとも、夜の住民である妖異の目は夜闇など真昼のごとく見通すのだが・・・。

「それにしても、炎狐ちゃん達はどうして抱っこしても熱くないのかしら?炎を吐くし、自分の体の構成も炎なんでしょう?」
「キュ〜ゥ」

わからない、とばかりに炎狐の音程が下がる。
炎狐とは、いわば火精が火に宿って子狐の姿をかたどったものである。火精が宿った時点で火自体の性質が変わっている、とは説明できるが詳細を求められると難しい。

「あ、別に困らせたくて言ったわけじゃないの、ごめんなさいね。ただ気になって・・・」

謝る青龍の言葉と足が止まる。肩の炎狐が天へ耳を立てて警戒の姿勢。前方から、何者かのたてる音が聞こえてきたのだ。単に陸路で民家も建っていないようなこの場所に夜半に人が訪れる必要がなく、当然、相手は妖異の類だという可能性が強まる。

「こんな夜更けに・・・誰か泣いているのかしら?」

大きな川のせせらぎに混ざり合うようにして聞こえるそれは、すすり泣きのようだった。青龍は慎重な足取りで歩を進めていく。
やがて青龍の目に入ったのは大きな川と対岸まで渡された立派な橋だった。その川は宇治川と呼ばれ、下流で巨大な湖、巨椋池を形成し、桂川・木津川と合流して淀川となる河川の一本である。そして橋の名は宇治橋。本国最古とも言われる古い歴史を持ち、平安京の物流の要ともなっている重要な橋だ。

その橋の手前に、確かに誰かがいた。
白い女。それが第一印象だった。雪のように白く地面につきそうなほど長い髪は、しかし風もないのに水中で漂う水草のように宙で緩やかにうねっている。身にまとう着物も白。
そしてそれを着る女の肌も・・・これまた白。青龍の健康的な白さとは違い、死人や作り物のような印象を受けるほどの冷たい白さだ。襟は肩の大部分まで、下も膝下まで着崩れており内側の相反するような濃い赤の着物に非常に映えていた。
こちらを向いている紅玉の瞳は、しかし自らの思念に塗り潰され前など見ていない。女は橋を背に立ち尽くし、ただただ滂沱と涙を流す。

「私ノ知ル、アノ人ハモウ居ナイ・・・私ノ居場所ハ此処シカナイ・・・」

悲しみに暮れた言葉を呟いていたのは、少女と老婆の声が混ざり合ったような不穏な声音だった。

「その衣装の柄・・・沢女さん?」

青龍が口にした名は自分とは別の陰陽師に仕えている式の名前だった。しかし疑問符を多分に含んだ声が示す通り、青龍の中で彼女である確証はほとんどない。青龍の知っている式は手の平に乗るほど小さくか弱い少女の妖異。目の前の化生とは似ても似つかない。ただ着ている着物の柄が一致した・・・それだけの事。

「ソノ名ヲクレタ人ハ遠クニ去ッテシマッタ・・・モウ、戻ッテ来ナイ」

しかし、女から返ってきたのは意外にも肯定の言葉であった。まさかの答えに二重の驚きを覚える青龍であったが、相手が知人であるなら話は早い。あえて変貌してしまった容姿の事には触れず、安心させるような笑みを向けて手を伸ばす。

「主人の保栄さんと喧嘩をして、家出してしまったの?それならきっと光元君が間を取り持ってくれるわ。さ、一緒に帰り―――」
「私ニ触レルナッ!!」
「―――っ!?」

鋭い声と共に沢女の片手が横なぎに振りぬかれた。相手の殺気を感じ、青龍は紙一重で腕を引っ込めてそれを避ける。

「さ、沢女さん・・・?」

困惑する青龍の目の前で、白い女は己の長い髪を掻き乱し心中の苦しみに悶える。
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