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2016年07月04日18:10

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人生はいつ終わるかわからない。今を全力で生きよう。

ダッカでのテロもそうだけど、ほんと人生はいつ終わるかわからない。あらためて毎日を悔いなく全力で生きようと思った。

迷っている場合じゃないんだよね。直感に従って突き進むしかない。

たましいは永遠でも、この人生は一度きり。

限りある人生の中で、できることは何でもやる。

この肉体を脱ぎ捨てたとき、ベストは尽くしたと納得したい。

さっきね、昨日録画しておいたNHKスペシャルを観ました。

内容は、介護していた人が家族を殺してしまった、そんな方々を特集していたもの。

もちろん殺された方も辛かったと思う。でもそれ以上に殺めてしまった方の苦悩といったらないよ。

決して他人事じゃない。

もし、自分の親が介護が必要になったらどうする?

殺人を犯した人の四分の一が介護を始めて一年以内に事件を起こしているとのこと。

私は多分自分を守ると思う。自分を優先すると思う。

何と言われようと。

私は一度親を殺しかけてるんです。

統合失調症を発症したとき、母親の首を締めました。

幸い母は無事でしたが、私は保護入院となり閉鎖病棟に入院しました。

お陰様で今はここまで回復しました。

私は死ぬこと自体は怖くないのですが、認知症になったりするほうが怖いです。

自分というものを失ってしまうんじゃないかと。

死ぬ時はアッサリ逝きたいです。

場合によっては自殺もありだと思います。

まあ、最後の選択ですけどね。

タバコや酒で身体を壊して死ぬのは構わなくて、自殺は駄目だという理論は成り立ちません。

つまり、時間の長短で判断してはいけないのではないかということ。

くどいのはわかっているけど言わせて、霊界は本当に素晴らしいところだよ。

今この地上に生きている人は、もれなく行けます。

地上にいるうちにそのことを理解しているのといないのとでは天と地ほどの差があります。

絶対に勉強しておいたほうがいいです。

亡くなってから行く階層が異なります。

最下層に住む霊の中には、自分が死んだことにも気付かず生活しているものもいます。

何十年、何百年とそのままの場合も。

私は気付けるのかな。

気付けるといいな。

亡くなる時には、必ずお出迎えがあるそうです。

神様は優しいですね。

決して独りじゃない。

寂しい思いはさせないのです。

安心してください。

どんな非業の死を遂げたたましいであっても、霊界では幸せに暮らしています。

霊界では、やりたいことをやりたいだけやることができます。

なんせ、生活のために仕事をする必要がないのですから。

あの世にはこの世での苦しみはありません。

強い親和的作用によって、自分と似たたましいが集まります。

霊界では隠し事はできません。霊界は思念の世界なので、思ったことがすぐ表に出ます。

慣れれば、意思の疎通に言葉は用いらなくなるでしょう。

想念で瞬時に通じ合えるのです。

亡くなった方は、生きている人の考えていることが、手にとるようにわかります。

霊界が本来の世界なのです。

では、なぜ物質界があるのか?

それは神が自分を知るために、経験するために造られたのです。


ロウソクの火は、太陽の前では見えない。

そこで闇が造られた。

闇は凄い。闇は、愛ではないものであり、悪と呼ばれるものであり、利己的なものであり、決して与えないものである。

なぜこの世には悲惨な出来事があるのかといえば、愛を知るためである。愛を経験するためである。

悲惨な出来事がなければ、何が愛なのかわからない。幸せがわからない。

だからこそ、人生には艱難辛苦がつきものなのである。

成功の反対は失敗じゃない、何もしないことだ。

誰かがそう言ってました。

何もしないことは最大のリスクとなるでしょう。

今夜眠りにつくときに、「今日も精一杯生きた!」そう思える一日にしましょう。


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