「死なないために生きている」と言えば、つまらない生活のように思われるかもしれないが、まるで逆。
少なくとも、退屈はしていない。特につらいとも感じない。
今は生きていることに満足しているが、来世はいらない。
私は電子工学や電子計測、物理限界に近いところで仕事をしている関係上、科学技術は必須だし、物理法則こそ「現代の神」だと信じている。
だが、私の中で宗教の存在は決して小さくない。一応、仏教徒であり、宗派は浄土真宗になる。「南無阿弥陀仏と唱えて極楽浄土へ行こう!」という教義である。もともとの仏教(苦しみから解放されるために、輪廻の輪から解脱しよう)とはだいぶ違ったものになってはいるが、別にかまいはしない。
ようするに「悪いことをせず、よいことをして、自らを清める、これぞ仏の教え」「われただ足るを知る」の言葉通り、余分なものを望まず、満足していること、それを知ることが宗教の意味だろう。
もっとも、私もこれらを実行できているわけではない。
好奇心はいまだに旺盛だし、知識欲も人並み以上だし、やりたいことは山ほどある。だからといって、人をおしのけてまで何かを求めることはしないし、人に迷惑をかけてまで、無理に何かをしようという気にはなれない。
自分が生きているためには、多くの生き物(人間を含む)に迷惑をかけ続けなければならない。穀物だって野菜だって、肉だって魚だって生き物であり、それらの命を食って生き延びている。
(だからこそ、いただきます・ごちそうさま、は忘れたくない)
他の宗教も基本的には否定しない。
モーセの律法は立派なものだし、キリストの言葉には心底納得させられるものも多い。ムハンマドの啓示やイスラームの知恵はしばしば、私の指針になってくれてもいる。記紀にも有用な記述はたくさんある。もちろん、他の宗教だって元は純粋なもののはずだ。
比較的最近のものは自己矛盾で終わっているものもたくさんあるのだが・・・さらには宗教を悪用している連中までいるのは世界の迷惑である。
宗教はたしかに「科学的」なわけじゃない。が、自分を律し、落ち着くために、間違った行いをしないための指針として、もっておいたほうがいい無形の「もの」だと思う。
何のために生きるのか。人それぞれでいい。
私は、すべての苦しみから開放され、消えてなくなるために生きている。
生きている間はできる範囲でじたばた生きる。
人は何のために生きるのか
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=116&from=diary&id=4014253
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