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2016年05月03日22:41

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神社の陰陽師と湯起請

 『看聞日記』永享三年(一四三一)六月四日〜六日条は、村落における湯起請を伝える記事として有名である。今日、その箇所を現代語訳していて、ちょっと気付いたことがある。

 「さて最近、伏見荘内の所々に盗人が入り込んでいる。それで怪しい者を取り調べることとなった」。ということで、もっとも怪しいと嫌疑をかけられたのが、伏見荘地侍の内本兵庫だった。「それで兵庫本人に尋ねたところ、『最近の盗人のことは全く知りません。お疑いであれば湯起請を書きましょう。それで私が嘘をついている徴証がでたならば、切腹しましょう』と言った」
 「今日(四日)、御香宮において陰陽師立ち会いのもと、湯起請を実行することとなった。それで何も徴証がでなければ、無実ということになる。『ただし湯起請をしてから三日間は、徴証がでるかどうか確かめなければいけません』と陰陽師が言うので、御香宮に三日間お籠もりさせて、徴証がでるかどうか調べることにした。神様がどのように判断なさるかは分からない」
 湯起請(ゆぎしょう)とは、起請文という誓約書を書かせた上で、熱湯に手を入れさせ、手のただれなどから実否を判定する作法である。内本兵庫は六月四日の湯起請の後、三日間神社に籠もり六日になっても湯起請の失(虚言の証拠)が出なかったので、無罪放免となった。

 この記事を読んで、おやっと思ったのが、「陰陽師」である。
 湯起請の場所である御香宮は、伏見荘の惣荘鎮守社である。神社で湯起請をするのはよくあることだ。そしてそれ故、湯起請の失を検知するのは神官だとずっと思い込んでいた。
 ところが、ここでは陰陽師が湯起請のやり方について意見を述べている。従って失の検知もこの陰陽師がやったのであろう。

 この陰陽師は、もしかしたら御香宮に常駐していたのかもしれない。このような神社の陰陽師は近世になって吉田神道に懐柔され、純粋な神官へと変身していく。宮座の神主家文書をみていると、しばしば陰陽師関係の古文書に出くわす。それと共に神道裁許状も出てくる。神道裁許状は吉田神道が発給する文書である。このような古文書群伝来のありかたは、陰陽師埋没の残滓なのであろう。

 なお、五日の御香宮湯起請で、村の桶造り職人の手が焼けただれた。これが起請の失である。この者は捕らえられ、侍所へ引き渡されて牢に入れられた。

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