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2016年04月21日01:17

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純情ランドセル

満を持して(?)赤い公園の新作「純情ランドセル」を購入、毎日ハマって聴いている。
これまでの2枚と比べると、最初聴いた時の驚きはやや弱めではあったけれど、聴いていくうちにじわじわと沁みてくるアルバム、という印象。
バンド・アンサンブルはより精緻化する一方、歌はよりストレートになった。
歌詞もメッセージ性のあるものが増え、わかりやすくなった。
一言でいうと、Jポップ化が進んだ、ということになる。
尤も、こんな複雑な演奏でJポップを歌うバンドは他にいないわけだけど。

Jポップにさほど思い入れのない自分からすると、もっとエッジの利いたロックを鳴らしてほしい気もしないではないのだが、日本のロックバンドである以上、Jポップからは逃がれられないともいえるわけで、その意味では赤い公園のスタンスは正しい。
メンバーも普通にJポップが好きみたいだし。
しかし、Jポップとして考えた場合、赤い公園はあまりにも「器楽」的に過ぎるともいえる。

Jポップとは、すなわち「歌」である。
よくいわれるように、そもそも日本人にとって音楽とは「歌」だ。
それも「聴く」のではなく「歌う」ものとして日本人の音楽はある。
カラオケが日本で生まれたのは、まさに文化的必然。
だから、日本の音楽においては、歌を引き立てる「伴奏」のみが求められ、器楽的な「演奏」はさほどお呼びではないふしがある。

もともと感情をあまり表に出さない日本人にとって、歌うことは重要な感情発露手段であり、だから、音楽の良し悪し云々以前に、日本人は歌を求めずにはいられないのだ。

――ちょっと話が逸れすぎた気もするけど、まあ、そういうわけで、Jポップにおいて、器楽的であろうとすることは、分の悪い勝負であるということだ。
でも、赤い公園は、その勝負に勝とうとしている。
勝算は決して少なくないと思う。

ここに紹介する「黄色い花」も、一聴して星野源の「SUN」を彷彿とさせるけれど、赤い公園なりの70年代ソウル解釈を経て、良質なJポップに仕上がっている。
まあ、あんまりJポップに寄せ過ぎなくていいよ、といいたくなる気持ちも、なくはないけれど、同時に、どんどん新しい扉を開いているのが、すごく頼もしくもある。
やっぱり赤い公園、最高、ということで。




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