mixiユーザー(id:7184021)

2016年03月21日07:04

3714 view

横浜市都筑区さんぽ「池辺町・佐江戸杉山神社から八所神社」

横浜市都筑区さんぽ「池辺町・佐江戸杉山神社から八所神社」

○「川和山王神社」(川和町1211)
横浜市営地下鉄川和町駅から南に向かうと、消防署の先に「川和山王神社」があります。境内左手に、弘化2年(1845)銘の二十六夜塔と明治44年の地神塔があります。

○「妙蓮寺」(川和町977)
川和町局バス停近くに「妙蓮寺」があります。境内に大きなイチョウの木があります。
【川和城跡】
『新編武蔵国風土記稿』によれば、妙蓮寺は川和城塁の城地に建てられたものとされています。また、付近には「城山」「城山下」「城山根」「城古場」などの字名が残っています。ただし、城主や築城の経緯などについては伝わっていません。妙蓮寺は山名が城根山というくらいですから、妙蓮寺の裏山が城跡といわれています。ただし、港北ニュータウンの開発に伴って墓地を整備し直したということで、城山一帯はきれいに墓苑化されています。川和城山は、鶴見川河岸の丘陵から少し飛び出た小峰で、東側は小さな谷戸地形を形成しています。『日本城郭大系』では、現在川和団地となっているこの谷戸に、館が営まれていたのではないかと推測しています。源義経の家臣熊井太郎の居城という伝説がありますが、信憑性は低いです。戦国時代にこの地は北条綱成の所領であり、小机城の支城が築かれたといいます。城山があったとされる一帯は、非常に見晴らしの良い場所です。川和城の丘の東方には池辺城があります。

○「川和台の道祖神」(川和台14)
妙蓮寺から北東に向かうと、川和台交差点の手前(西側)を左折してすぐの四つ角を左折した左側がグレースヒル川和台で、その103号室の前に小さい木祠(屋根は水色)に入って安永4年(1775)銘の双体道祖神があります。

○「月出松公園」(加賀原1-4)
南東に「月出松公園」があります。都筑区の緑道「ゆうばえのみち」沿いにある公園の一つで、縄文中期の竪穴式住居跡や土器などが発掘された加賀原遺跡の上に整備された公園です。木立に囲まれた静かな公園で、遊具はありませんが広い運動場があり、子どもたちの貴重な遊び場となっています。昔、「みかづきの松」と呼ばれた大きな松があり、その名をとって付けられたといわれています。遺跡の出土が多く、歴史深い公園です。公園全体は小高い丘になっていて、公園西側から丹沢連峰と富士山に映えるスケールの大きな夕やけを堪能できます。春は見事な桜が咲き乱れます。

○「佐江戸山王神社」(佐江戸町2125)
南に下って行くと中原街道の山王前交差点があり、旧中原街道と御屋敷の立派な門や塀沿いを行く青砥上星川線との分れ道になります。中原街道の都田西小前交差点との間の高台に、「佐江戸山王神社」があります。

○「東漸寺」(佐江戸町2240)
中原街道を佐江戸交差点に向かうと、右手の小高い丘の上に「東漸寺」があります。天平16年(744)僧・行基はこの地に留錫し草庵を結び、文殊菩薩を造顕奉安しました。これが寺のはじまりで、永享12年(1440)僧・智運が不動明王を奉安して開山しました。
【東漸寺入口の庚申塔】
東漸寺の南参道入口に、左から青面金剛庚申塔(年不詳)、堅牢地神塔、地蔵3体が並んでいます。

○「貝の坂」(加賀原2丁目)
佐江戸交差点を右折、貝の坂交差点の川和町から加賀原2丁目と3丁目の間までの坂は「貝の坂」と呼ばれています。貝の坂交差点に標識があります。貝の坂とは、貝塚が発見されたとか、佐江戸町と川和町との境の坂から転じたともいわれています。
【慈恩寺】(加賀原2-18)
貝の坂バス停の北側丘上に「慈恩寺」があります。開創は平成8年。本尊は阿弥陀如来。

○「川和薬師堂」(佐江戸町81)
貝の坂交差点から路地を南に入って行くと、「川和薬師堂」があります。祀られている薬師如来はこの地域の守り本尊として、また目の病気を治す仏様として信仰されています。武相薬師巡礼札所(寅年)。天正18年(1590)の小田原城開城の際、小机城家老が薬師様を背負って川和町に逃れ、千代橋際の祠に遷座し、その後さらに貝の坂に遷座し、長く祀られてきましたが、横浜上麻生道路の拡幅により現在地に安置されました。
【川和の道祖神(薬師堂横)】
川和薬師堂に、文政5年(1822)銘の文字道祖神と宝永3年(1706)銘の青面金剛庚申塔が並んでいます。

○「辻の地蔵尊」(佐江戸町526)
川和薬師堂の前の道を南に向かうと、地蔵尊前交差点手前に「辻の地蔵尊」があります。小祠の中に地蔵2体と左に地神塔があり、中原街道拡幅のためここに移設されました。緑区から鶴見川に架かる落合橋を渡ると、都筑区の佐江戸町になります。佐江戸は中原街道の宿駅になっており、地名は「西土」と書いたのを、江戸の左に当たるので「佐江戸」となったといいます。鶴見川と恩田川の合流する交通の要衝地で、荷物の受け渡しをする継立場が設置されていました。

○「神社前バス停近くの庚申塔」(佐江戸町1378)
佐江戸交差点へと戻るように中原街道を北に向かうと、神社前バス停の四つ角先の道路右側に基壇があり、左に二十三夜塔、右の双体道祖神(年不詳)があります。

○「佐江戸杉山神社」(佐江戸町2020)
神社前バス停を左折して上って行くと「佐江戸杉山神社」があります。神社の背後は高くして佐江戸城の東北に接しているので、この社は城主猿渡氏が城の鎮護のために勧請したものであろうと考えられます。境内に、先達福田弥兵衛等が建てた参明開山の碑がありますが、塚はありません。また、御嶽山柱大神の碑があります。
【無量寺】(佐江戸町2021)
佐江戸杉山神社のすぐ下に「無量寺」があります。
【佐江戸城跡】
無量寺の墓地の東横にある坂道を上っていくと、途中に「御嶽三柱大神の碑」が祀られており、ここが佐江戸城跡だといわれています。

○「法因寺」(佐江戸町786)
神社前バス停まで戻り東に向かうと「法因寺」(ほういんじ)があります。昭和53年12月23日建立、元正信会の僧侶が占有、居住しています。

○「池辺町交番前の庚申塔」(池辺町2558)
池辺町交番前の道路を挟んで、小祠の中に享和3年(1803)銘の庚申塔があります。

○「観音寺」(池辺町2565)
すぐ東に「観音寺」があります。バス道路から入った参道は山中のお寺のように静かでひっそりしています。開創は酳15年(1671)。本尊は聖観世音菩薩。

○「宗忠寺」(池辺町2704)
さらに東に向かい都田中入口交差点を過ぎて、池辺町交差点を左折すると「宗忠寺」があります。開創は酳固間(1660)。本尊は阿弥陀如来像。
【池辺町の由来と宗忠寺縁起】
宗忠寺の前にある石碑に、次の説明があります。
《古代より人跡が認められた池辺の地は、天地の息吹に呼応して流れ続けてきたであろう鶴見川のように、人々に彩られた歴史が千古の光を放っています。私たちの町池辺は、正しくは「いこのべ」と読み、古くは伊子野辺、池野辺とも書き、「いけのべ」とも称しました。宗忠寺の前に大きな池があり、その辺りに村があったので池辺と呼ばれるようになったと云います、また古くは都筑郡池ノ辺村といい、明治二十二年の市町村制施行の際に、都田村大字池ノ辺となりました。時代を経て昭和十四年に横浜市編入時に池辺町は新設されました。宗忠寺は、元犬山城主、小笠原和泉守宗忠が、徳川幕府の命令により江戸を守る要所として陣屋を池辺村に置いたことから、また父伊予守長隆のために建立したとも伝えられています。この陣屋は、宗忠寺から西に二百メートル位離れた大陣屋、小陣屋の屋号で呼ばれる島村家、志田家に偲ばれます。江戸時代、池辺村は門奈、仲根、北村など旗本の知行地のほか、増上寺下、宗忠寺領七石などの記録があります。》
また『日本城郭大系』には、「江戸時代初期、松平忠吉(徳川家康の四男)の筆頭家老・小笠原宗忠の陣屋があった。現在、小字「大陣屋・小陣屋」と称している場所で、街道から少し離れた枝道・裏手にあたるものの、遺構は残っていない。陣屋の西150mには、明治時代まで「殿様寺」と呼ばれた宗忠寺がある。同寺は、小笠原宗忠が父の菩提を弔うために建立したという」とあります。

○「水車の坂」(池辺町2854)
宗忠寺の裏にある長王寺は後で寄るとしてなおも東に向かうと、八所谷戸公園の西、都田幼稚園の前を通る道路から「浄念寺川せせらぎ緑道」が分れており、北北西に向かって上り坂は「水車の坂」と呼ばれています。坂に沿って常念寺川が流れ、この坂の途中に昔水車があったところからこう呼ばれるようになったといわれています。通称「水車の道」。浄念寺川は水路としての役割を終え、地域の憩いの場として整備され、浄念寺川せせらぎ緑道として復活させて遊歩道となりました。せせらぎには、小さな模型の水車がコロコロと回っています。
【新坂】
都田小学校から500m程東の住宅街を北に向かう坂は、「新坂」と呼ばれています。昔はつづら折りの細い急坂でしたが、昭和初期に整備され現在の道路になり、そのときからこう呼ばれるようになったといわれています。ここ池辺町は古い街道が通過していて、江戸時代には陣屋が置かれるなどこの地方の要所であったようです。
【池辺の道祖神】(池辺町3093)
新坂の坂上付近に、嘉永3年(1850)銘の文字道祖神と地神塔があります。
【新坂下の庚申塔】(池辺町3120)
新坂の入口道路沿い、小祠の中に青面金剛庚申塔(年不詳)があります。
【団子坂】
以津院の北側、新坂の西側に位置する坂は、「団子坂」と呼ばれています。坂の途中に、個人が建立した標識があります。

○「以津院」(池辺町3122)
開創は室町時代後期。本尊は南無釈迦牟尼仏。開祖、由緒など不明。十六羅漢が安置されています。
【以津院の庚申塔】
門前に、延宝2年(1674)銘の地蔵庚申塔があります。

○「長王寺」(池辺町2827)
宗忠寺まで戻り都田小学校の西側を入ると、宗忠寺の裏に「長王寺」があります。開創は天和元年(1681)。本尊は薬師瑠璃光如来。以前は鶴見川沿いの池辺町川内にありましたが、焼失してこの地に遷座しました。都田中学校と小学校そして杉山神社、宗忠寺に囲まれたところにあるのが長王寺です。
【長王寺のイチョウ】
長王寺のイチョウは横浜市の指定天然記念物で、幹回りは5.6m、樹高25m、雌株、樹齢は約700年以上の大木です。7〜10m付近で枝分かれして、四方に張り出した一部が枝垂れ状の形をして、 その気根が丸く乳状に垂れさがっていることから、地域では「乳出しイチョウ」と呼ばれています。丘の上の都田中学校から望めば境内の大木目立っています。

○「池辺杉山神社」(池辺町2718)
長王寺の西に「池辺杉山神社」があります。創立年代不詳ですが、杉山の木立の中に祀られ霊験あらたかなので此の社号が命名されたといいます。古来池辺町の鎮守として崇敬されています。建立は元文6年(1736)11月と推定されます。

○「福聚院」(池辺町2296)
杉山神社から西に向かうと「福聚院」があります。開創は天文23年(1554)。本尊は不動明王。武相二十八不動第十番霊場。
【だるま市】
初不動の1月28日に、「だるま市」が開かれています。

○「八所坂」(池辺町2740)
福聚院の道路反対側の道を入って行くと、八所谷戸公園の西側を通る道は「八所坂」と呼ばれています。坂の途中に八所様という神社(八所神社)があるところから、名づけられたといわれています。この坂から北にかけて、8つの谷戸(=谷)があったため「八所谷戸」と呼ばれました。八所谷戸公園の名称もこれからきています。坂下の道祖神があるところに、横浜市の標識があります。
【八所谷戸の道祖神】(池辺町2740)
八所坂の坂下、右側の笹風陶房の手前に、新しい屋根に入って、右に三猿のいる青面金剛庚申塔、左に享和2年(1802)銘の双体道祖神があります。

○「八所神社」(池辺町)
八所坂の中ほどに、「八所神社」の参道入口があります。『新編武蔵風土記稿』に、「村の北にあり、本地十一面観音、木の立像長八寸ばかりなるを安ず、社内に納る寛永十八年の棟札によるに、祭神は奈良神・巨勢節婦神・八幡大菩薩・和歌三神・稲荷大明神・祇園牛頭天王・愛宕護山神・天神宮 以上の八坐を合祀して崇めり、されども鎮座の年代詳ならず、是も福聚院の持」とあります。三面を、八所谷戸公園に挟まれているようです。
【稲荷大明神】
八所神社の参道に「稲荷大明神」があります。
【八所谷戸公園】(池辺町2152)
八所神社の周囲は「八所谷戸公園」になっています。

○「念仏寺」(池辺町2185)
中原街道の原庭バス停の南に「念仏寺」があります。開創は寛永元年(1624)。本尊は阿弥陀如来。
【原庭バス停の庚申塔】
原庭バス停近くに小祠があり、中に青面金剛庚申塔があります。

○「池辺町の庚申塔」(池辺町2940)
中原街道星谷交差点を右折すると、数沢バス停手前に享保12年(1727)銘の青面金剛庚申塔があります。すばらしい庚申塔です。

○「星ヶ谷の道祖神」(池辺町1815)
星谷交差点まで戻り、北東100m位坂を上った左側竹薮(ローソン裏)の先、左へ上ったところに木祠の中に、左に木祠に入った地蔵、右の木祠の中に天保5年(1834)銘の双体道祖神があります。

○「富士塚古墳(池辺富士)」(池辺町)
星谷交差点まで戻りの西に向かうと、いちご農園の先に「富士塚古墳」(池辺富士)があります。都筑区には三大富士があることが知られており、「川和富士」「山田富士」「池辺富士」が有名です。その中でも、池辺富士と称される「富士塚古墳」は畑の中にあり、東側に入口があり階段を上りきった高台から都筑区内を中心とした住宅街を眺めることができます。池辺富士と呼ばれる富士塚は、寛政8年(1796)に建立されたもので、山頂には小さな石碑が置かれています。山頂からの眺めはなかなか爽快で、ランドマークタワーやベイブリッジのシルエットもよく見えます。

※池辺富士から北西に向かうと、横浜市営地下鉄都筑ふれあいの丘駅はすぐ近くです。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する