mixiユーザー(id:4209164)

2016年02月20日18:52

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在る。

在るっていうことが、

両手を上げて降参し、

山河と一体になり、

あるがまま

流るるままをみること
だとしたら

それは、どういうことだろう?


在るっていうことに

直面しつつある命

直面したことのある命


在るを貫通し

向かう未来に何があるだろう?


在る、に躍起になり

すべては、それでいいんだと

そういう見方もあるだろう



目標を引いたラインの中で

目標を定め

在る を生きるとしたら

どれほどの精通が

必要だろう?



もしくは、そこにないと

思い、一生を

「在る」という話で

しきってもいいだろう。


ところで、

それに貫通する価値は?



もしくは、

わかって眠ってもいいだろう



わかって眠るのなら、

在る眠り

と呼んでもいいかもしれない。



はたまた、

眠りの中に在る

を見つけてもいいだろう



その中では、


在るの前に眠りがある。



はたまた、

女の子に青春的恋をし続けても

いいかもしれない


それは、

「在る」

の醍醐味なのか?




はたまた、主婦としての

在るからの

選んだ主婦としての

在り方もあるかもしれない。




在る ということを
自由度に変えて。



もしくは、在る

というのは、永遠普遍と言った

覚者の方もたくさんいたろう




いま、宇宙に

創造を司る主として


ある方向を定めた時


定められたタオは、

なにに向かうんだろう?



タオは、すでに流れている



在る は、

タオの動きをダイレクトに


感じることの

始まりという見方もあるのか?




在るからの、

さらなる貫通は、

どこか?


極めて、普通なのかも

しれない



極めて、普通からの


さらなる貫通はどこか?




この視点の中に

いま生きている視点の中に


秘密があるかもしれない。



視点は、

宇宙を見ることができて

この創造の流れの中で

それを見るのではなく


内側で動くこともできるのだと

言えるのかもしれない



視点は、動き

の中でダイナミズムを感じ

繊細な日々を

染み渡るように繊細に

感じ出す



それは、タオを見つめる見つめ

が、

敢えて行う

遊びの試みかもしれない



そして、視点は

動きの中で動きを見つめ


そうすることを選ぶのなら、

動き に変化を埋めることを

発見した



在る からすると、

それを見ていた



それを見ることを

目指す時は、


それを見ることが

ゴールになる



ただし、


視点がわざと

動きの中に入り、



その動きの中で


なんらかを精通することを

選ぶのなら



違う時間軸が動き出す


それは、タオに

可変存在として


方向づけをあらしめる存在




それは、さらなる

貫通に思える



そこで、創造の理解と

精通が始まり出す



在る の解釈を

押し拡げると



時間を超えた

変える存在としての

変更点の認識と



成長がある



成長は、いま起点となり、


在る に進化をほのめかす




在る が進化すれば


これまでの

在る を使って


あらたなる精通がやってくる




進化とは、こういう時代に

生まれた何かで


在る は、おそらく

永遠から存在したが



在るからの貫通と

進化は、


時代が直面する



あらたなる胎動なのだろう


それは、



存在が存在することを

ゴールとした始まりから

垂直横に進化する


目標や、手段、創造への精通、

理解、そして実行



なのかもしれない。



わからないが、


そのすべてを


在るの はんちゅうに


含ませる



含ませて、進化させる




在る と


眠り



その間にある


垂直横に伸びるものは???





それは、

おそらく、

実用的かつ、

実行的なのかもしれない。





そうであるかもしれないし。

そうでないかもしれない。
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