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2016年02月15日12:56

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就職難と結婚難


∴40年目のビデオレター アマゾン編   2002年  

監督 岡村 淳


南米への移住が下火になるなか、1962年4月に700名近い

移住者を南米四ヶ国に運んだあるぜんち丸第12次航。それから

40年。出身も境遇も異なるものの、共に新大陸への夢と不安を

抱いた同船者たちは今、どうしているだろうか。
















40年を境にして、ブラジルで過ごすか、また日本で暮らせばどう

だったかと問われる場面。酷な質問であるが、数ある人生のうち他

人と比較できるというのは、それだけ幸せに暮らせたという証か。




後戻りのできない人生なればこそ、思い出すことさえ嫌な過去がある

かもしれない。幅のある人生を過ごせたということが、どちらがよか

ったか比較するほど、豊かであったといえるかもしれない。





過去を紐解く機会とすれば、忙しい日々を立ち止まるとき、例えば

同窓会で友達と交流する場合を想像してみる。同窓会を開く主催と、

同窓会に参加しようかと思う側。二つの立場に分かれて本人の気持

ちが、のりうつってくる。日ごろの暮らしを衆人に見せたい気持ち

と、見せたくない(恥ずかしい)きもちが交差する。それもこれも

豊かさからくる経済的な問題がほとんどかもしれない。





手足の自由が利かない、体調が良くない。そういう環境にいたとき、

どういう反応を示すだろうか。同窓会に参加することから、何を期待

するだろうか。若かりしときの、同期生の姿を思い浮かべる、自分を

振り返る。人生とは酷なもの、喜びか苦でしか比べようがない。







自分の家族と、仕事の移り変わりを衆人に曝すなど躊躇するのは当た

り前かもしれない。同船者であることを、共通項にして40年間長く

交流できた。緩いコミュニティをこしらえて、支えあって暮らせた

かもしれない。そのような、日本人の寄り合い所帯になってもよか

った。悲しみと喜びを共に分かち合うことができる、まさに同窓生

であり得たかもしれない。移住しなかった人にとって、40年間と

いう長さは、人生のうち数少ない共通事項ではないか。







同窓会というもの、たくさん経験をした人は、何処にでもいると

言い切れない。人それぞれ、いろんな人生があるのではないだろうか。








∴常夏から北の国へ

青森・六ケ所村のブラジル日系花嫁   1994年


監督 岡村 淳 



核燃料処理施設の存在で知られる青森の六ケ所村に、2人の日系ブ

ラジル人女性が嫁いでいた。















 
おさなごを見る母親の顔を、「じゅん」な性格を見てしまう。こんな

顔をどこかに捨ててしまったのか、自分に確か持っていたもの。中学

高校を出たて頃、何もかも幼い新鮮な感情を思い出した。




インタビューで父親は、この娘をして”辛抱強い”性格だと認めていた。

箱入り娘というのだろうか、日本人で取り囲まれたコミュニティの中、

すくすくと育ってきた結果ではないだろうか。大事に大切に親から教え

られてきた。人に”すれていない”、”生まれたまま”の性格を持ち続

けている娘ではないか。





就職難と結婚難、さらに人口難

最終的には、国難。



難民、移住という言葉が、今日的テーマ。動的なエネルギーあかしとして、

移住が勧められている時代でもある。定着ではなく、移動になる。短期間

では、旅の勧めかもしれず。インフラが形なりで整備されているとか。




就職と結婚に悩まされている、若者が後を絶たない時代が、長年続いた。

新しい家族が生まれてこないのだから、新しいマイホームが求められるが、

現れない。そして2011年。




自治体が、構成する住民を争って追い求めようとする。住民税。絶えず移

動できる環境に居ながら、人口が減少し続ける。そのうち自治体そのもの

が無くなってしまうのではないか。国が国としての機能を果たさない、そ

の結果として自治体の消滅しかないか。





就職難と結婚難。

変わらない社会が、ここにあった。






















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