∴40年目のビデオレター アマゾン編 2002年
監督 岡村 淳
南米への移住が下火になるなか、1962年4月に700名近い
移住者を南米四ヶ国に運んだあるぜんち丸第12次航。それから
40年。出身も境遇も異なるものの、共に新大陸への夢と不安を
抱いた同船者たちは今、どうしているだろうか。
40年を境にして、ブラジルで過ごすか、また日本で暮らせばどう
だったかと問われる場面。酷な質問であるが、数ある人生のうち他
人と比較できるというのは、それだけ幸せに暮らせたという証か。
後戻りのできない人生なればこそ、思い出すことさえ嫌な過去がある
かもしれない。幅のある人生を過ごせたということが、どちらがよか
ったか比較するほど、豊かであったといえるかもしれない。
過去を紐解く機会とすれば、忙しい日々を立ち止まるとき、例えば
同窓会で友達と交流する場合を想像してみる。同窓会を開く主催と、
同窓会に参加しようかと思う側。二つの立場に分かれて本人の気持
ちが、のりうつってくる。日ごろの暮らしを衆人に見せたい気持ち
と、見せたくない(恥ずかしい)きもちが交差する。それもこれも
豊かさからくる経済的な問題がほとんどかもしれない。
手足の自由が利かない、体調が良くない。そういう環境にいたとき、
どういう反応を示すだろうか。同窓会に参加することから、何を期待
するだろうか。若かりしときの、同期生の姿を思い浮かべる、自分を
振り返る。人生とは酷なもの、喜びか苦でしか比べようがない。
自分の家族と、仕事の移り変わりを衆人に曝すなど躊躇するのは当た
り前かもしれない。同船者であることを、共通項にして40年間長く
交流できた。緩いコミュニティをこしらえて、支えあって暮らせた
かもしれない。そのような、日本人の寄り合い所帯になってもよか
った。悲しみと喜びを共に分かち合うことができる、まさに同窓生
であり得たかもしれない。移住しなかった人にとって、40年間と
いう長さは、人生のうち数少ない共通事項ではないか。
同窓会というもの、たくさん経験をした人は、何処にでもいると
言い切れない。人それぞれ、いろんな人生があるのではないだろうか。
∴常夏から北の国へ
青森・六ケ所村のブラジル日系花嫁 1994年
監督 岡村 淳
核燃料処理施設の存在で知られる青森の六ケ所村に、2人の日系ブ
ラジル人女性が嫁いでいた。
おさなごを見る母親の顔を、「じゅん」な性格を見てしまう。こんな
顔をどこかに捨ててしまったのか、自分に確か持っていたもの。中学
高校を出たて頃、何もかも幼い新鮮な感情を思い出した。
インタビューで父親は、この娘をして”辛抱強い”性格だと認めていた。
箱入り娘というのだろうか、日本人で取り囲まれたコミュニティの中、
すくすくと育ってきた結果ではないだろうか。大事に大切に親から教え
られてきた。人に”すれていない”、”生まれたまま”の性格を持ち続
けている娘ではないか。
就職難と結婚難、さらに人口難
最終的には、国難。
難民、移住という言葉が、今日的テーマ。動的なエネルギーあかしとして、
移住が勧められている時代でもある。定着ではなく、移動になる。短期間
では、旅の勧めかもしれず。インフラが形なりで整備されているとか。
就職と結婚に悩まされている、若者が後を絶たない時代が、長年続いた。
新しい家族が生まれてこないのだから、新しいマイホームが求められるが、
現れない。そして2011年。
自治体が、構成する住民を争って追い求めようとする。住民税。絶えず移
動できる環境に居ながら、人口が減少し続ける。そのうち自治体そのもの
が無くなってしまうのではないか。国が国としての機能を果たさない、そ
の結果として自治体の消滅しかないか。
就職難と結婚難。
変わらない社会が、ここにあった。
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