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2016年02月15日10:22

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マスターができるまで ナツコの恋 10

夜も深まった頃、火事を知らせるサイレンの音は元旦の街をけたたましく駆け抜けて行った。
その音を、俺は夢うつつに聞いていた。
夕方からの疲れがそうさせたのか、前回の時のように完璧に覚醒する事はなかった。
サイレン音や廊下を駆け抜けて行くバタバタという足音は、夢とも現実とも判然としない意識のぬかるみのようなモノの中で、その重低音を響かせており、それが俺を寝苦しくさせていた。
俺は何故か、
『シノハラさん、シノハラさん』
とうわごとを言った。
夢の中での俺は、何故か未だに、シノハラさんの窯場にいたのだった。
見渡すと、マナブやシゲイチはむろんの事、父やナツコ達の姿も見えず、見えるのはカマの前に座っているシノハラさんの姿だけだった。
俺が
『みんなは?』
と聞いた瞬間だった。
カマのフタが中から押されるようにボンという音をたて一気に弾け、もの凄い熱気をおびた火炎が俺達を目がけ、千の手足を持つケモノのように襲いかかって来た。
あっと言う間もない事だった。
舞台で見る雪景色のような鱗粉が舞い上がり、窯場は真昼のような明るさになったかと思うと、赤い幕が目の前に広がったようになった。
俺は若干、後方にいたから良かったようなモノの、フタの前に座っていたシノハラさんは容赦なくその幕に包み込まれてしまった。
手遅れのようにも思えたが、俺は、迫り来る火炎を追い払うかのように目の前で交叉させた手を前後にふりつつも
『逃げんと、逃げんと』
とうわごとのように言い、シノハラさんの避難を促した。
そして、自分も逃げようとしたが、そこが夢の中での事だった。
もがけどももがけども、体は一寸も前進せず、前へ前へと気持ちばかりがもどかしくつんのめって行った。
その時だった。
なんと、片足不自由なはずのシノハラさんが、真っ赤な幕を身にまとったまま、足の不自由な事なども嘘のように、達者な素振りを見せ、俺を置いてきぼりにして一目散に逃げようとしていた。
俺が
『シノハラさん
燃えとるが、燃えとるが』
と叫んだが、シノハラさんは、意にもとめず
『あつうなんぞねぇ
そんな事より、ヨシヒロちゃん、アンタは火事に馴れとらんから逃遅れて焼け死ぬぞな』
と言った。
『待ってぇ』
と俺は声を限りに叫んだが、シノハラさんは俺の方など見向きもせず、大股で去って行った。
俺は
『ああ』
とも
『うう』
ともつかぬうめき声をあげた。
その瞬間、誰かが俺を体を揺すった。
夢とうつつの、ねばっこい境目が、そのはずみにやぶれた。
薄目をあけた俺の目の前には、シノハラさんでもなく、燃え盛る窯場でもなく、心配そうな顔をして覗き込んでいる父と母の顔があった。
枕元の窓からはベッドの方に真冬の薄日がさしていた。
どうやら朝になっている模様だった。
俺が最前の恐怖を
『夢じゃったんか』
とひとりごちて、確認しようとした時、母が
『怖い夢でもみたんか?
えろう魘されとったぞ』
と言い
『大汗かいとるが。
着がえなせ。
風邪ひくぞ』
と言った。
俺の全身はヌルヌルした汗でしめっていた。
俺が、額にへばりついたようになっている前髪をかきあげながら
『火事の夢見た、、』
とかすれ声で言った時、
『へ?』
と言って、父と母が顔を見合わせた。
それは何かの偶然を驚き合っているような目まぜだった。
『正月そうそうアホな夢を』
と一笑にふされると思っていた俺はにわかに胸がとどろきはじめ
『シノハラさんとこが、まさか、火事になったん?』
と勢い込んで叫んだ。
父が
『シノハラ?
なんでシノハラなんなぁ、、
シノハラんとこはなんともねぇ、』
と言い
『じつはの、夕べまた、火事があったんじゃ。』
と言った。
俺はギクっとなった。
うつつで聞いた喧噪は、やはり夢ではなかったのだ。
驚いたものの火事現場がシノハラさんの窯場でなかった事に、俺は小さく安堵した。
俺は
『どこ、今度はどこが燃えたん?』
と聞いた。
父は
『八木のおっさんとこじゃ。
八木のおっさんとこからよんべ火が出たんじゃ。』
と言い、
『ワシはの、これから歯形の検証に行かんとおえん』
と言った。
『歯形?
検証?
どういう事?』
それは、今までの火事からは聞かされなかった言葉だった。
不審に思った俺がそう聞き返すと、父はため息をつき
『焼け死んだんじゃがな、八木のおっさん。
丸焼けじゃ。
正月そうそう、なんたら事なぁ、、、
縁起でもねぇ、、
八木のおっさんも災難じゃけんど、正月そうそう黒こげの仏を拝まんとおえんワシじゃってええ迷惑じゃ』
と言った。
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