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2016年02月11日21:07

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ロボットの世紀

こないだの火曜、総帥と今年第3号の作戦を敢行した。

場所はおなじみの新宿バルト9。

今回見たのは人気シリーズ「コードギアス」のスピンオフ劇場版、「亡国のアキト」。

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いやあ、堪能した。

もうラストなんか、これでもかこれでもかの二転三転、怒涛の嵐でねえ。

理屈的にはショウペンハウエルとアーサー・C・クラークの世界観のごたまぜとでもいうか。

よくわからんところも多々あったし、なんかロジックが破綻してる感じもしないでもなかったけど、まあいいじゃん!で、最後までやけに楽しませてもらった。


でも、僕にとってのこの作品の一番のクライマックスは前半の戦闘シーンだった。

もうねえ、音響と映像がパネェ。  映画館ならでは。

日野皓正ばりのトランペット吹きまくりをバックに、死ねい!殺してやる!の連打でねえ。 

痺れちまった。

YouTubeではとても再現できないけど、その一端。



https://www.youtube.com/watch?v=T0LJUhHdU9o


制作スタジオはサンライズ。 言わずと知れたロボット業界の老舗だ。

で、戦闘シーンの主役はお約束のロボットだった。

なにしろ今月初旬に封切りの作品なので、綿々と続くロボットのただいま現在の最新型だと思う。 この作品世界ではナイトメアと称されている。

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僕らがこのコードギアス作戦を決行した今週の火曜日は2月9日。

この日は漫画の日だった。

で、僕がなんでニックが漫画の日なんだ?と問うたら。 総帥が明快に答えてくれた。

2月9日は漫画の神様の命日。それをもってかの「まんだらけ」が漫画の日であると制定したと。

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考えてみると、僕の人生には常に横にロボットがいた。

いや、現実世界でなく二次元世界でのことなんだけどさ。

その門を開いてくれたのが漫画の神様、手塚治虫だった。

あれは僕が幼稚園児(正確には保育園児)の頃だった。 あの頃、鉄腕アトムにハマらなかった子供はあんまりいなかったと思う。

もちろん、日本初の本格アニメにしてアストロボーイとして世界に羽ばたいた白黒画像もそうだったけど。

僕は大判の単行本を親に何冊も、というか出る都度買ってもらって繰り返し読んだもんだ。
 
当時はあの単行本は子供世界の中で、ディズニーの絵本と並ぶツートップの存在だったと思う。

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まあ、主人公がアトムで妹がウラン、兄貴がコバルトというのは、3.11以降は許されざるネーミングになってるかもしれないけど。

手塚治虫が鉄腕アトムを上梓した昭和20年代後半(一応言っとくと僕はまだ生まれてない)は、ある意味もっと原子力に対して拒否反応があった時代だったように思う。少なくとも日本では。

全世界的、というか当時の世界の中心だった米国も、今からみると1950年代というのはプレスリー、プロム的なノー天気っぽく見えるけど、実際はかの国でも核戦争の恐怖が市民生活に影をさしてた時代だったらしい。

例えばネビル・シュートの「渚にて」。 キューブリックの「博士の異常な愛」の世界。

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で、漫画の神様はあの時代にして、後世にロボットの未来を託したように思う。

当時の核の時代においては今以上に負の側面の方が大きかったかもしれないけど、それでも未来の子にアトムと名付けた。 のだと思う。


アトムが表象するロボット。 自分で考えて悩み成長する、そして人間と共存する。

最近の報道を見てると、現実世界でもそういうのが近づいてるように思う。


一方で、僕の幼少期にアトムとはまったく対極に位置するロボットが登場した。

鉄人28号だ。 横山光輝ね。

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鉄人は純粋な兵器だ。 なにしろ、大日本帝国軍部(たぶん陸軍)が大東亜戦争起死回生のために開発したのが由来なんだから。

で、恥ずかしながらねえ、当時の僕はアトムももちろん好きだったけど、鉄人にもっと思い切りハマったのであったのだよ。 


そういうことで、僕はアトムと鉄人というそれぞれのタイプのロボットの源流に立ち会った世代なんじゃないかと思う。

アトムは自分で考えるアンドロイドタイプ。 鉄人はまったく考えない純粋兵器タイプ。

で、それぞれに枝葉が生い茂って種子を蒔いて、それが実って日本では世界に類例のないロボット文化が形成されるようになったのではないか。


もちろんアトムと鉄人という単純な二元論では到底語れない。

実際、手塚治虫が参考にしたと思われるフリッツ・ラングの「メトロポリス」のアンドロイドはかなりえぐかった。

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あるいは鉄人28号シリーズはある意味アトムを超えて後世に伝わるプロトタイプのキャラを出したと思う。

ロビーだ。

残念ながら画像は見当たらなかったんだけど。 ロビーはアトム同様に人工頭脳を持つロボットなんだよ。 ところがその出来過ぎのコンピューターに思考回路を走らせると、人間はいらないという結論になる。 で、工場を支配してロボットを量産してクーデターを起こす。 

これってさ、今や定番だよね。 コンピュータだかAIだかに権力を持たせると、人間は地球のゴミだと判断して排除しようとする話の作り。 ハリウッドの代表は「ターミネーター」。


もう一つ、アトム系でないアンドロイドの元祖がロボット三等兵だ。

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僕は時代的には子供の頃に読んでておかしくなかったんだけど。 記憶から飛んじゃっててねえ。 なんだけど、ヲタク師匠のへろへろさんやマイミクの蟹座さんが絶賛する存在だ。

この作品は聞けば聞くほど一回読んでみたくなる作品だ。

なにしろねえ、ロボット三等兵に大東亜戦争の戦地を転戦させて。

あのひでえの極致のインパール作戦の指揮官の牟田口中将のことを無駄口さんという名前で登場させたりなんだりの究極のパロディだったらしいので。

そりゃあ、アニメ化は無理だわ。 スポンサーがつかない。

なので、僕の記憶に残らなかったんじゃないかと思う。

なにしろ僕の子供時代といったら。 大人というかお兄さんらの世界では左翼がのしてたけど。 

子供世界では、そのお兄さんたちよりもっと年上の社会的地位とお金を握ったおっさんらが好むような作品、かの「ゼロ戦はやと」が象徴するやけに右翼的なアニメが跋扈してたので。

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まあ、今にして思うと、もはや戦後は終わったの後のあの頃は、そうはいっても戦中派的昭和の色合いも残ってたので。

「ゼロ戦はやと」ほどにはあからさまでなくとも、お国が大事、日の丸に黙祷、君が代斉唱、お父さんお母さんを大切に、先生のいうことを聞きましょう的なトーンを出すコックサック!的な漫画はけっこうあったような気がする。
       
今、またそういう時代に回帰しつつあってやばい気もしないでもないけど、漫画、アニメの世界では極めて健全にそういうのは笑い飛ばすか、少なくとも無視してるよ。 余談だけど。


で、ロボットの話だった。

まあ、ロボット三等兵のようなシリアスな舞台設定じゃないけど、キャラ立てが似てるかもで僕がよく覚えてるのは丸出ダメ夫のボロットだ。

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このボロットのキャラが昇華して国民的な存在になったのが、このネコ型ロボットのように思うんだけど飛躍しすぎかな。

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一方、純粋アトムの後継、アンドロイドもいろいろ育った。

ここでいうアンドロイドは全部人口なものね。

古くは宇宙海賊コブラのレディ、そして攻殻機動隊以降流行りになった全身義体の女子らはヒトの脳核がキモなので、これには含まれない。 彼女らはあくまで人間だ。

じゃあ、どういうキャラがいるかというと。

その攻殻機動隊のこのキャラ、タチコマはアトムの末裔と言える。

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いや、つまりねえ、人工AIを搭載したロボットは用途によって形態を変える方が自然であって、人間の形状にする必要はないんだよ。

もちろん用途によってはこういうのも開発されるんだけど、これは本筋じゃないと思う。

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もっとも、ここまで来ると、クールジャパンが生んだ粋だけどね。

一応、言っとくと、昭和オヤジ的セクサロイド的南極2号的エロ趣味皆無だよ。

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で、鉄人28号が始祖となった兵器としての思考性なしのロボットはどうなったか。

たぶんこっちがアニメ世界の本流になったと思う。

なんだけど、僕は旧世代に属している。

これはもう何回もmixiに書いてるし、そもそもが「20世紀少年」が打ち出した説なんだけど。

戦闘用ロボ世界では、1970年代初頭にパラダイムシフトが起きたんだ。

ロボットをリモコンで操作するか乗り込んで操縦するかという重大な問題だ。


鉄人は金田正太郎少年がリモコンで操作した。

敵に渡すな 大事なリモコン ♪ だ。
  
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たぶん、幼少期の僕はここに一番惹かれたんだと思う。

つまり自分と同じような子供がリモコン一つで巨大ロボを操って敵をボコボコにするという設定。

言ってみれば、巨大な玩具を好きなようにできる快感だ。


そこに永井豪が切り込んだわけだ。

遠隔操作なんてみみっちい。 俺も乗り込む。 やられるときは一緒だぜ! 

マジンガーZね。

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この作品が週刊少年ジャンプに掲載されたとき、僕は既に中坊になっててねえ。

同じ頃にマガジンに掲載されたデビルマンには、こりゃすげえと瞠目したけど。

マジンガーの方はいまさら巨大ロボでもねえだろ、と思った。

で、結局ちゃんと読まないままにしちゃったんだけど。

この作品からロボットもののコンセプトが変わった。

ロボットというものは、戦闘機と同じくパイロットが乗り込むものである。

で、戦闘機とパイロットは一蓮托生である。


そういうコンセプトを一段と鮮明に打ち出したのが、一世を風靡した「機動戦士ガンダム」であることは言うを待たない。

ただ、僕はこのシリーズは不勉強なのでおいといて。

機動警察パトレイバー、えがったあ。

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しかし、これも「きの字」がつくなあ。

いや、先日マイミクの 鍾馗さんが「1983年のアニソン」という嬉しい日記をアップしてくれたんだけど、そこに挙げられたタイトルの中のかなりの分がこういうのだったんだよ。

銀河疾風、銀河漂流、超時空世紀、機甲創世記、特装機兵、装甲騎兵・・・

で、鍾馗さん曰く。  だいたい『き』の音が入るんですよね、機動戦士以降。


そういうキの時代を払拭して文字通りのロボット新世紀を切り開いたのがこの作品だったのではなかろうか。

新世紀エヴァンゲリヲン

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ロボット、モビルスーツ、レイバー、エヴァ、そしてナイトメア。

いろいろ呼び名は変遷してるけど、結局今回のコードギアスがそうだったように、戦闘ロボものもメカの性能よりも操作したり操縦したりする人間のキャラが立ってるかどうかがキモになる。

20世紀と21世紀をまたいでロボットものを見続けてきた者の結論です。
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