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2016年02月06日17:41

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半世紀前のヌーボー

森永製菓のゆるキャラの話じゃないよ。 秋に解禁になるワインの新酒のことでもない。


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ヌーヴェルヴァーグ(Nouvelle Vague)の話。


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これのね、代表作の一つをこないだの日曜日に見てきたんだ。

隣町のムービックスが「午前十時の映画祭」を掛けてくれててねえ。

この企画のことはこれまでも何回も紹介してるけど、粒ぞろいの往年の名画を大スクリーンで上映してくれるというありがた〜い催し物なんだよ。

「荒野の用心棒」、「冒険者たち」、「ワイルドバンチ」、「ハスラー」、「夜の大捜査線」、「大脱走」、「ブリット」、「荒野の七人」、「ナバロンの要塞」、「ダーティハリー」、「さらば友よ」、「ブラックサンデー」、「フレンチコネクション」、「明日に向って撃て!」、「リトルダンサー」、「007危機一発」、「太陽がいっぱい」・・・

ほかにもあったかな。 僕がこの映画祭で見て日記のテーマにした作品たち。

そりゃ、DVDでならいつでも見られるけど、大スクリーンで拝める機会なんてまずないからねえ。

ただし、若者受けはまあしないだろうラインナップなので、1週間か2週間で作品は交代、毎日10時からの上映一回こっきりで、他の時間帯はそのスクリーンはいまどきの作品、あぶない刑事やらハリウッドのCGものの上映に使うわけだ。


で、その隣町の午前十時の映画祭は、昨日までの2週間はこれを掛けてくれてたんだ。

死刑台のエレベーター Ascenseur pour l'échafaud

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1958年制作のフランス映画。 監督は若干25歳のルイ・マル。

彼はゴダールやトリュフォーなどの一派とは一線を画した独立独歩の人だったので、映画史における狭義のヌーヴェルヴァーグ(新しい波)運動には属していなかったという説もあるけど。

この「死刑台のエレベーター」はまさに新しい波そのものだった。


僕がこの傑作に初めて接したのは中坊の頃、例によって日曜洋画劇場の放映だった。

で、痺れた。 

白黒のシャープな画、シーンの切替の妙、伏線が冴えるプロット、そしてマイルス・デイヴィス。

大人になってレンタルヴィデオを見てまた痺れた。

それが大スクリーンで甦るという。 いかずば!でしょう。


なにしろ半世紀前の話題作なので知ってる人は知ってるし、知らない人はこれからも見る機会はあんまりないと思うので、ネタバレ御免で紹介すると。

完全犯罪になるはずだった、そしたら不倫の恋が実るはずだったという話。

その不幸な恋人たちを演じるのがモーリス・ロネとジャンヌ・モロー。

冒頭の電話のシーンが凄い。 

凄いというのはジュ・テーム Je t'aimeのオンパレードもさることながら。

結局、熱烈な愛人同士が映画の中で直に会話を交わすのは、この電話のシーンだけなんだ。

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あとはお互いのことを想いながら、片方は閉じ込められたエレベーターの中であがき、もう片方は夜のパリを彷徨する。

で、この彷徨うジャンヌ・モローの演技が凄い。

もうねえ、顔のクローズアップばっかり。 しかも髪をアップにしてるので、顔面もろ。

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不安、焦燥、幻滅、恋心、期待、決意・・・ 

そういうのをねえ、スクリーンいっぱいに映し出された顔で表すんだ。

もちろんあれだよ、顔を歪めたり大粒の涙を流したりの巨人の星的な大げさなのはなしで、ちょっと眉をひそめたり、瞳をうつろにしたりで、心の内をさらけ出してみせるんだ。

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ここまで主役の顔のクローズアップを多用して成功したのは、僕の知る限りではルネ・クレマン(太陽がいっぱい)と長谷川和彦(太陽を盗んだ男)くらいだ。

で、50年代末にこれを実践したルイ・マルはこれらの元祖といえよう。


相手役のモーリス・ロネは、僕は「太陽がいっぱい」の陽気でわがままなボンボンのイメージが強いんだけど、ここでは軍人上がりのタフ・無口・地味な男に徹していて、正直なところやや印象薄、結果的にジャンヌ・モローの魅力を引き立てる役回りになった。

そういえば、「太陽がいっぱい」ではアラン・ドロンの魅力を引き出すのに一役買ってたし、そういうのが得意な人なのかもしれない。 役者やのお。

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あと、忘れちゃいけないのがリノ・ヴァンチュラ。

僕はこの人がこれに出演してたのを忘れちゃっててさ。

OPの最後にAVECでLino Ventura の名前が出てきたのを見て、あれれ、そうだっけと思った。

で、なかなか出てこないなと思ってたら。 最後の方で、ずんと存在感のある役回りで登場した。

この人の本領はギャング役だけど、「シシリアン」がそうだったように刑事役もハマるね。

そのヴァンチュラがロネと対峙するこの舞台劇風な取調室のシーンは、今見ても斬新な演出だと思うなあ。

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ちなみに、リノ・ヴァンチュラはデビュー作でジャンヌ・モローと共演してるんだよね。

仏フィルムノワールの古典、ジャック・ベッケル+ジャン・ギャバンの「現金に手を出すな」。

ヴァンチュラはギャバンと敵対するギャング団のボス、ジャンヌはその情婦という役だった。

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と、ここまでが映画本編の紹介なんだけど。

よく知られているように、この作品が映画史に残る記念碑的な存在となったのは、ルイ・マルの演出のキレ、ジャンヌ・モローの顔面どアップ演技もさることながら、なんといっても音楽にあった。

マイルス・デイヴィスだ。

ルイ・マルはこの作品を撮るにあたって、このクール・ジャズの帝王を招聘したんだよ。

まあ、58年というとバードは亡くなってたけど、ガレスピーやバド・パウェルらのビバップ派がジャイアントで、マイルスやコルトレーン、ビル・エヴァンスらのクール派はまだ新進気鋭の存在だったんだろうけど。

なにしろ僕が生まれた年の話だし、ジャズ史を系統だって勉強したこともないので、その辺りはまあ、あれとして。

とにかく、マイルス・デイヴィスが「死刑台のエレベーター」のラッシュフィルムを見ながら即興で曲をつけたというのは伝説として語り伝えられている。

で、このマイルス・デイヴィスのクインテット(ドラムはケニー・クラーク、他のメンバー不詳)の演奏がねえ、素晴らしいんだ。

ジャンヌ・モローが夜のパリを彷徨うそのバックに流れるマイルスのペット、もう最高。

とにかく聴いてみて。



https://www.youtube.com/watch?v=n17pd3bVQCQ

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歌謡曲やポップスなんかはいつのまにか耳に馴染んでいたというケースが多いと思うけど。

もうちょっとこうディープなジャンルだと、なにかきっかけの一曲があってハマっていくことが多いんじゃないだろうか。

例えば、上坂ーガルパンーすみれは、高校1年生の時偶然耳にしたソ連国歌「祖国は我らのために」に感銘を受けたという。

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僕の場合も明確な記憶が二つある。

二つとも中坊のときだ。

一つはヴァイオリン=ジノ・フランチェスカッティ、オケ=レナード・バーンスタイン指揮のニューヨークフィルによるブラームスのヴァイオリンコンチェルト。

なんの気なしに親父のLPを引っ張り出してステレオの針を落としたら。

ヴァイオリンが入ってくるところでなんかすげえなと思い始めて、カデンツァでぶっとんだ。

で、それ以降、クラシックというクラスメイトの連中とは話が合わないジャンルにわけいった。


で、同じくジャズというこれまたなんちゅうかの世界に入っていくきっかけが日曜洋画劇場で放映された「死刑台のエレベーター」だったんだよ。

それまでは自分にとってのトランペットのメジャープレイヤーはニニ・ロッソだったんだけど。

次元を踏み越えたわけだ。

マイルス・デイヴィスって、かっこいいなあと思った。


で、まあ、そうはいっても、中学時代は南沙織、高校時代は流行りのニューミュージックなんかに傾斜してたんだけど。

大学生になって、このジャズとクラシックという二大ジャンルの音楽に傾斜した。

そりゃやっぱさ、かっこつけたい気分が旺盛だったこともありだし。

そういう同好の士も何人かできたしでね。

で、仙台は一番町の路地裏にあった「スィング」と中央通りのこれまた路地裏の「無伴奏」に入り浸る日々を送った。

名曲喫茶の「無伴奏」はコーヒーオンリーだったけど。

「スィング」の方ではウイスキーのオンザロックをちびちびやりながら、無尽蔵とも思われるオーナーのコレクションをいい気持ちで聴かせてもらった。

ジャズ喫茶というと、なんだか神経質っぽい連中が眉間にしわを寄せて耳をすませてる印象があるかもしれないけど。

「スィング」はそんなことはなくて、常連がわいがやしてた。

そういう空間に身をゆだねて、角のロックを舐めて、セブンスターをくゆらせてるとねえ。

マイルスやクリフォード・ブラウンのペット、コルトレーンやドルフィンのサックス、ミンガスのベースなんかがさあ、心地よく耳に入ってきてくれたんだよ。


そういう中で、ジャズはビル・エヴァンス、クラシックはマルタ・アルゲリッチという至高の存在に巡り合って、今でもこの二人のプレイはCDでしょっちゅう聴いてる。

その一方のきっかけをくれたのがマイルス・デイヴィス、ルイ・マル、ジャンヌ・モロー、そして日曜洋画劇場だったわけだ。

その日曜洋画劇場といえば故淀川長治さん。

多くの人と同じく、僕はこの人の解説が大好きだった。

この「死刑台のエレベーター」の解説も見事だった。 なにしろ、中坊のときの記憶がまだ残ってるんだから。

それはラストシーンの解題だった。 

ので、この日記を読んでこれからDVDを見ようと思ってくれた人は読まないで欲しいんだけど。


ラストはリノ・ヴァンチュラがジャンヌ・モローを逮捕するシーン。

そこは写真の現像場だった。 その写真が動かぬ証拠になるんだけど。

物語の中では冒頭に電話で会話しただけで一回も出会うことのなかった二人が現像液から浮かび上がってくる写真の中では幸せそうに仲睦まじくしてるんだよ。

ヨドチョーさんはそういう写真の象徴的な位置づけを解説してくれたんだ。


で、改めてそのラストシーンを映画館のスクリーンで見つめた。

ジャンヌ・モローが写真を撫で回しながら独白する。 そこにマイルス・デイヴィスのペットがかぶさる。 で、FINになる。

実に素晴らしかったよ。

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