Jポップに関することで、1つ思い出したことがある。
俳優の半田健人が、以前、歌謡曲とJポップの違いについて、こんなことをいっていた。
歌謡曲は、何かについて問いかける傾向が強く、対してJポップは何かしら答えを出す傾向が強い。
つまり、歌謡曲は「始まり」を歌い、Jポップは「終わり」としての結論を歌う、と。
――記憶で書いているので、多少は正確さに欠けるかもしれないけれど、すごい面白い見解だと思ったし、その通りなのではないかな、と。
答えを出してる時点で、Jポップの底の浅さが窺い知れるように思う。
何故なら、結局のところ「答え」なんてどこにもないから。
にもかかわらず、答えを出すというのは、よっぽどの単細胞思考の産物ということになる。
だから、Jポップって薄っぺらいんだなあ、きっと。
勿論「答え」がないと知りながら、あえて「答え」を出すということはあり得る。
でも、多くのJポップからこの「あえて」感を聴き取れることは、まずない。
例えば、本物のロックアーティストなら、こう歌う。
結論は出ない、いや、むしろ出さない
答えはこうして、生きてることさ
( “TEKUMAKUMAYAKON(テクマクマヤコン)”BY エレファントカシマシ)
そういうわけで、薄っぺらいJポップを聴くよりは、エレカシを聴いた方が、はるかに有意義だということです(笑)
ログインしてコメントを確認・投稿する