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2016年01月19日23:06

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TRIPLE STARS PRESENTS 国際映画社作品CDサントラ発売記念『国際映画社ナイト2009』 イベントレポートその4

注:このイベントは、2009年8月20日に開催されたもので、レポートは、2009年8月26日に執筆開始したものです。
当時からかなりの時間が経過しているため、現在の認知と、当時の認知が異なっていることなどをあらかじめご承知おきください。以下の文書で書かれる「今」は、すべて2009年8月当時のものです。

また、今回、一部加筆をしました。その部分については、太字としています。


当時の日記タイトル:ジュンよ(TRIPLE STARS PRESENTS 国際映画社作品CDサントラ発売記念『国際映画社ナイト2009』個人的徒然雑記その4)

やまとの群雄も、ニッチを確保できなかったのか、結局後が続かない中途半端な展開に終わりそうだな。ラインナップはブライガー、バクシンガー、サスライガー、バルディオスと個人的には魅力的だったんだけど。後は、本当にアクロバンチとスラングル、ガルビオンが出てくれれば…と思ったのは自分だけではないハズだ。

さて、国際映画社ナイトの第二部は、アクロバンチのOP、EDから始まった。

第二部には一人ゲストが来ると言う。誰かと思ったら、中原”個人的には式部雅人”茂氏!

いや、第一部の時から、自分らの後ろにいて、何人かがサインを求めていたので、誰かな、なんて話をマイミクさんとしていたんだ。そしたら…ねえ。何でも、ネギ坊主のあさたろうの収録を終えてすぐ、ロフトプラスワンに直行してきたらしい。ご苦労様です。

割と有名な話で、アクロバンチの監督にクレジットされてる「夏木よしのり」も、四辻監督の別のネームの一つで、あの頃四辻監督は複数の作品の監督を(表向き)やってたことになる。ただ、さすがにそれは物理的に不可能だったみたいで、アクロバンチの場合は「3本作って監督を降りた」のだそうだ。

中原茂氏の話。デビューはアクロバンチだったという中原氏だが、そんな氏を推したのはやっぱり四辻監督。
当時は、今と違って声優養成所なんてない時代で、声優になりたい人はまず劇団員になって、それで10年くらい経てばなれるかも…という時代だったそうだ。
で、ある日中原氏は「君、ちょっとオーディションを受けてみない?」と言われる。元々中原氏はシンガーソングライター志望だったそうだが、それを挫折して声優になった、と苦労話を語っていた。ご本人曰く「大学が嫌で逃げて、逃げが先がアクロバンチだった」のだとか。

そもそも、何故中原氏が唐突に採用されたかというと、オーディションでなかなか決まらずにいたところを、音響スタッフや青二スタッフの話を受けて四辻監督が興味を持ったらしい。「オーディションを受けてみない?」という話が来て2週間後、もう一度オーディションを受けて、その1週間後に「アクロバンチが始まるよー」と。文字通りトントン拍子で決まってしまったのだそうだ。

初めて演じたジュンは、中原茂氏曰く「思い出したくない」のだそうだ。
誰のコメントか、メモを取っていないのでわからないんだけど、リアクションは
「下手なんだけどこの子どう?」
「下手なのは困る」
「これだけ下手なのもスゲーな・・・」
という散々なものだったらしい。

もっとも、普通ミスキャストがあれば(?)監督は何がしかの責任を取らされそうなものなのだが、それすら「趣味」で片付ける四辻監督はある意味凄い。

ちなみに、ドン・コンドールこと徳丸完氏の声を聞いたときも同じで、「海外ドラマで徳丸氏がしばしば演じていたような『イヤミな声で』演じてくれ」と注文したらしい。監督みずから「こんな嫌な声をやる奴をよく主役にしたな」としきりに感心しておられた。

個人的にバクシンガーも山形ユキオ氏の声で何度も聞いているけど、やっぱり一度は徳丸さんのあの声で「J9って知ってるかい?」を聞きたいやね。ご本人の尊顔もまだ見たことないけど>徳丸完氏。もっとも、アイマス1stライブの時に「うっ…噛んだ。プロデューサー諸君、私が徳丸完だ」という名台詞を残しているので、割と茶目っ気のある人なのではないかと類推してみる。

以下、2016年1月19日追記
―――ここから―――
そして、アイマス1stライブが、自分個人は、徳丸完氏の声を生で聞いた唯一の体験になってしまった。徳丸氏に黙祷。
―――ここまで―――


話が反れたけど、四辻監督的には、中原氏の起用は「上手い必要はない。ただ、声に魅力があった…というところでフォローになったかな?」だそうだ。

中原氏の立場からすれば、周囲がベテランばかり(考えてみ?柴田秀勝氏、若本規夫氏、加藤精三氏の中にいきなりド新人が入るんだぜ?)で、自分だけが上手く演技が出来ない、という厳しい場だったらしい。もっとも、アクロバンチをやっていなかったら恐らく中原氏も声優をやっていなかろう、そういう意味では大きな出会いの場だったと言っていた。
蘭堂ジュンは、設定年齢が15歳で、これくらいの少年ならまだ女性でもできそうな感じではあるんだけど、スタッフの一人が「男でやってみたい」と言っていたのも、監督の趣味と並ぶ、中原氏起用の大きな要素だったそうだ。

ちなみに、アクロバンチの現場で一番の若手は塩沢兼人氏、そして、若本規夫氏も当時30代で若かったという。

そして、アクロバンチで多くの人が「動画が間に合ってないアニメ」ということを思い出すと思うのだが、当然アフレコでも画はなく、赤線、青線など、色々と勉強したのだそうだ。
野島昭男氏には「お前は台本だけ見ていろ」といわれたのだとか。
アフレコでも、テスト、ラステス、本番の順でやるのだが、録り直しになるのも中原氏だけで、一番最初の台詞から30テイク以上やり直し。最低でも10テイクはやったそうだ。1シーンに1時間をかけて録っていたという。…監督は途中で帰ってしまったという。

で、中原氏はオンエアを電気屋の前で見たのだという。まあ、電気屋だから、音声は聞こえない。それでも下手というオーラ(?)が伝わってくる。いや、下手なんてモンじゃないと思ったそうだ。

四辻監督から言われたことの一つに「主役でデビューしちゃったから、走っていけるかダメになるしかない」。
山本優氏からは「引き出しを多くしていかないとね」
青二の松浦氏からは「ウチの超々新人の中原茂」という風に紹介されたそうだ。

「無事に育ったからいいじゃん」と監督がしめてこの話題は終わるのだった。ちなみに樋口氏は中原氏がどうだったかを覚えていない代わりに、野島氏や若本氏はやたら印象に残っていたのだと言う。
本人曰く「野島、若本とかうるさいのはいっぱいいたな」
…若本氏をうるさいの呼ばわりですか…スゴいなと思った。

つづく。
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