今年最後の城跡探訪ストックネタです。
今月始めに仕事で広島県の三次市へ行く用事があった。
せっかくの遠出なので、いつもの寄り道先を検討した結果、安芸高田市へ足を延ばしてみた。
ここにはあの有名な毛利元就の城跡があるからだ。
・TOP左画像
「安芸高田市歴史民俗博物館」
まず最初の見学先がここで、安芸高田の古代から中世、近世へと歴史が分かる。
ただし、館内は撮影禁止。
・TOP中画像
「郡山城跡石碑」
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「郡山」
紅の川と多治比川に挟まれた吉田盆地の北に位置する。
城跡は郡山全体に270の曲輪を配置した西日本最大級の山城。
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「毛利元就像」
元就は明王6年(1497年)に誕生し、27歳で家督を相続。
安芸の盟主から以後、周防の陶氏、山陰の尼子氏を降伏させ中国一円を支配する。
元亀2年(1571年)75歳で死去。
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「三矢の訓跡」
元就が一族の結束を説いた有名な逸話。
↑(TOP右画像)
「大通院谷遺跡跡」
郡山の南西部の砂防工事により発掘調査で掘や石塁、屋敷跡遺構、大量の遺物を検出。
今回はここの駐車場に車を止めて城跡の見学ルートにした。
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登城入口
案内看板と「毛利元就の里」のノボリが立つ。
ここから毛利家代々の墓所が祀られ、周囲は高い樹木に覆われ静けさを漂わせている。
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「毛利隆元墓所」
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「毛利元就・一族墓所」
ここから山頂へは険しい山道が続く。
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「御蔵屋敷跡」(みくらやしきあと)
ここは東西約20m、南北約30m、面積600�屬旅�い敷地。
城の縄張りで最初の到達場所になる。
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「釣井の壇跡」(つりいのだん)
長さ25m、幅15m、面積1000�屬猟溝腓紛蔑悗粘霽瑤砲論亞世�見られる。
ここには「本丸」から一番近い直径25mの石組井戸がある。
ここから時計回りに「本丸」を目指そう。
つづく
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