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2015年12月24日07:07

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鎌倉市さんぽ「山崎・天神山(北野神社)から台峯緑地」

鎌倉市さんぽ「山崎・天神山(北野神社)から台峯緑地」

○「玉縄首塚(戸部会館前)」(岡本2-2)
大船駅から柏尾川に沿って南西に向かうと、戸部会館前に「玉縄首塚」があります。中央にある五輪塔が首塚とされています。塚に聳える榎(エノキ)は、このときに植えられたものと伝えられ、「甘糟榎」と呼ばれていました。塚も「甘糟塚」と呼ばれていましたが、現在は「玉縄首塚」と呼ばれています。大永6年(1526)、里見実堯は軍船数百で鎌倉の海岸に押し寄せ、由比ヶ浜や材木座海岸から上陸しました。そのため、鎌倉市中でも小田原の北条氏綱との激戦が繰り広げられ、ついには鶴岡八幡宮も炎上しています。『里見代々記』によれば、これを「不吉なり」として退却したのだといいます。
【怨親平等碑】
怨親平等碑には、次のように記されています。
《今から473年前の1526年11月12日に、南房総の武将里見義弘が鎌倉を攻め落とそうと進軍し、鶴岡八幡宮に火を放ち鎌倉内に乱入しました。このことを知った当時の玉縄城主北條氏時(早雲の孫)は、大船甘糟と渡内福原の両軍と協力して里見の軍勢をこの戸部川辺にて迎え撃ち、合戦すること数回にして敵を打ち破り鎌倉を守りました。この合戦において甘糟氏以下35人は戦死し、福原氏は傷を負い、里見軍の死者は数がわからないほどでした。 戦闘が終わった時、城主の氏時は敵と味方の首を互いに交換し、これらを葬り塚を築いて塔を建てました。そして郷里を死守した霊を慰めると共に、怨親(おんしん:敵味方)平等という考え方の例としました。これを玉縄首塚とよんでいます。経云我観一切普皆平等(お経には、すべての人は敵味方なく皆絶対平等であると説いております)。》
【玉縄首塚の釈迦立像】
六地蔵の左後ろにある駒形板碑の「釈迦立像」は、道標になっていて「右 □□ミち、左 ふじさわミち」とあります。

○「塩釜神社」(台1-5)
玉縄首塚から柏尾川に架かる橋を渡ると「塩釜神社」があります。祭神は塩土老翁神ほか。勧請年月は未詳ですが、宮城県の塩竃神社から例を受けて祀ったといわれています。

○「フラワーセンター」(岡本1018)
柏尾川に沿って行くと「フラワーセンター大船植物園」があります。観賞植物の生産振興と花き園芸の普及を図るために開設された植物園です。園内に約5,700種の植物が、四季折々に美しい花を咲かせているほか、ここでしか見られない「しゃくやく」や「はなしょうぶ」などを楽しむことができます。

○「妙法寺」(山崎663)
フラワーセンターから南に向かうと、山崎に「妙法寺」があります。山梨県にあった寺(耀光院)で、関東大震災により廃寺となっていたのを、昭和3年日宝によって鎌倉に再建されました。本尊は曼荼羅。日蓮像や鬼子母神像があります。
【妙法庚申神社の石碑】
境内の片隅、本堂の右手に七面天女が祀られた七面堂があります。七面堂の前には、「妙法庚申神社」と刻まれた小さな石碑が立っています。この石碑は、寺を建てるとき地中から出現したものだそうです。
【子育て地蔵】
本堂の東側には、沢山の石地蔵が安置されています。この地蔵は「子育て地蔵」と呼ばれています。
【源頼朝の隠し湯】
この付近は昔、鉱泉が湧き出ていたところで、天神山の西裾(妙法寺の南)には戦前まで山崎園という温泉旅館もあって、「源頼朝の隠し湯」と呼ばれて賑わっていたといいます。源頼朝が傷を治すために訪れたとか、戦いで傷ついた武将や円覚寺の僧侶もここを利用していたといいます。そもそも、田んぼの水で足の治療をしていた雁がいたことから、傷を治してくれる水として広まったようです。
【山崎の地】
山崎という呼び名は、地形から考えて、天神山などの先の方だから、山の先となり、それが山崎になったといわれます。また、源頼朝に仕えた武将のひとり山崎六郎憲家が、山崎氏の祖として初めてこの地に住んだので、山崎と呼ばれるようになったという説もあります。

○「八反田の庚申塔」(山崎660)
妙法寺から東に向かうと、右手にある天神山の下の三叉路の手前の道端に、4基の庚申塔があります。

○「北野神社(天神山)」(山崎736)
三叉路を右折して行き、右手の天神山への200段余りの長い石段を上り詰めると、「北野神社」(山崎天神)があります。広場から北側を見下ろすと木立の間から大船駅方面が、西北には大船観音が見えます。暦応年間、夢窓疎石が京都の北野天満宮を勧請したものと伝えられています。その後、貞治元年(1362)、円覚寺塔頭黄梅院主によって再建され、村の鎮守となりました。江戸時代には、「洲崎神社」とも呼ばれていたようです。
【石造宝篋印塔】
社殿の左側に、高さ1.5mの「石造宝篋印塔」があります。応永12年(1405)建立の、四方に薬師如来、弥勒菩薩が彫られた珍しい宝篋印塔です。この宝篋印塔は、もともと昌清院近くの「もろん台」にあったといいます。
【天神山城趾】(山崎662)
天神山は戦国時代の城跡です。北野神社本殿の裏手に廻ってみると、天神山城趾の土塁が残っています。

○「宝積寺跡」(山崎交差点付近)
北野神社から南に進むと山崎交差点です。この辺りには、夢窓疎石によって建立された「宝積寺」があったといいます。北野神社の本地仏といわれる「十一面観音」が安置されていたそうですが、現在は昌清院に移されています。

○「江の島古道の道標」(山崎832付近)
山崎交差点のローソン横の道を南東に向かうと、間もなく右側に「従是江のし満道」と刻まれた「江の島古道の道標」(柱標)があります。ゴミ置き場になっているのが残念です。この道標は、山崎天神(北野神社)を修理したという梅沢尋庸が、文化8年(1811)に建てたものです。この道は、江戸からの江の島詣の旅人が通った古道で、昔は鎌倉街道の小袋谷から台(神明神社横)を抜けて、この道標の前を通って、山を越えて、上町屋(泉光院)・手広(青蓮院)を通って、江の島に向かったと考えられています。

○「十王堂跡」(山崎1524付近)
なおも東に向かうと、道路右側の山崎集会所のあるところが「十王堂跡」になります。江戸時代、ここには十王像(昌清院に安置)が置かれていたといいます。
【もろん台】
道路の南側に丘陵が連なっています。集会場の先にその丘陵「もろん台」に上る石段があります。高台に上るともろん台で、素晴らしい見晴らしです。丘の上には畠と墓地が広がり、墓地の奥には数軒の民家が並んでいます。北西には一団と大きな山(天神山)が見えます。もろん台は、「室の台」あるいは「物見の台」が鈍ったものだといいます。

○「昌清院」(山崎1482)
山崎集会所(十王堂跡)の路地を南に入って行くと、「昌清院」があります。昌清院には、北野神社に本地仏として祀られていたという金銅の十一面観音像が安置されています。この観音像は、宝積寺(廃寺)の本尊であったとも伝えられています。ほかに、十王堂(山崎集会所)にあったという地蔵菩薩像、十王像、倶生神像、奪衣婆像も安置されています。
【おとうさま(崇高院の墓)】
昌清院から少し戻って左折し、正面のコンクリート壁を左から階段を上ると、小さな祠の「おとうさま」があります。祠の中には、五輪塔が1基祀られています。江戸時代、山崎の領主だった崇高院の墓と伝えられています。崇高院は駿河大納言忠長の妻ともいわれ、忠長は高崎で自害させられましたが、三代将軍家光が忠長の妻に山崎の地を与えたともいわれています。また、忠長の妻は小袋谷の成福寺の山門を寄進した人物ともいわれています。

○「薬師堂跡」(山崎1310)
山崎集会所まで戻ってなおも東に向かうと、鎌倉中央公園への右に入る道があります。公園の山崎入口の横に「獅子岩」がありますが、ここは直進します。そのまま狭い道路を行くと三叉路に出ます。この三叉路の北側の小さな空き地が「薬師堂跡」です。壊れかけた石塔が2基残っています。鎌倉十薬師の一つともいわれた薬師如来と、運慶作と伝えられた十二神将が安置されていたといいます。その後、仏像は台の東渓院(廃寺)に移されたといいますが、現在光照寺にある薬師如来がこの薬師堂にあった像であるともいわれており、光照寺の山門や釈迦如来像も東渓院のものと伝えられています。

○「山崎打越の庚申塔」(山崎1875付近)
薬師堂跡のある三叉路を右折して少し行くと、右側マンションの前に4基の庚申塔があります。

○「星岡窯跡(北大路魯山人邸宅跡)」(山崎2347)
さらに東に進むと、道が左折するところを川に沿って直進すると、山崎小学校校庭の脇に出ます。そして道を挟んで反対側が、北大路魯山人が晩年の30年を過ごした邸宅「星岡窯」の跡になります。現在「其中山房」の表札のあるあたりだと思われます。魯山人の住んだ母屋は、昭和40年に笠間に春風萬里荘として移築されました。残った家屋は、平成10年に管理人の放火により焼失し、敷地内には当時の家屋は何も残っていません。魯山人の登り窯は現在、地元の陶芸家が使っているそうですが、公開はしていません。ちなみに、漫画「美味しんぼ」海原雄山のモデルが魯山人だそうです。この近くで、一時期イサム・ノグチ、山口淑子夫妻が住んでいたことでも有名です。また、小学校の北側には、切通し(この切通しを魯山人は臥竜峡と呼んでいた)を崩して無粋な大型マンションが建てられています。

○「台峯緑地」(山崎の南東地区)
小学校の先に「台峯緑地」があります。JR横須賀線北鎌倉駅の西側、尾根と倉久保の谷戸を台峯緑地といい、鎌倉中央公園に接しています。この緑地は、広町、常盤山とともに鎌倉の三大緑地の一つで、平成16年に鎌倉市が台峯(28.7ha)の買収することで全面的な保全に成功しました。貴重種であるオオタカやフクロウなどの動物も確認されています。
台峯緑地の丘陵入口は、山崎小学校先の切通しを通り過ぎ、さくら青少年広場(神明神社の南)の手前を右折して、少し先の小学校裏手が遊歩道の入口になります。入って行くと、丘陵の遊歩道歩きが楽しめます。やがて右手下に「北鎌倉女子学園グランド」が現れ、丁字路に出ます。左に行くと北鎌倉女子学園、ここは右折してグランドを右下に見ながら行くと、左に休憩ポイントの展望台があります。
【北鎌倉展望台】
展望台からは、北東方向に北鎌倉の六国見山や山麓の円覚寺などを眺めることができます。ここから南方向に、遊歩道はまだ続きます。途中から右折していくと「谷戸ノ池」に行くことができるのですが、気が付かなくてそのまま直進してしまいました。

○「鎌倉中央公園」(山崎1667)
台峯緑地から南に向かっていくと車道となり、やがて「山の上通り」の道路に出ます。ここを右折してしばらく行くと、S字坂の手前に「日当公園」があります。公園の右の山の上通りのバス道路に入り、しばらく直進していくと山の上バス停から右手の「鎌倉中央公園」に入ることができます。
鎌倉中央公園は豊かな自然を生かし、「人と自然」・「人と人」の交流の場として位置づけられ、農業体験など多様な余暇活動や都市緑化植物園として、緑化推進の拠点にもなっている23.7haの風致公園です。池にはカワセミやカモ、サギなどの野鳥も飛来し、春を告げる梅や桜が咲き、緑豊かな公園として自然観察やのんびりと散策が楽しめます。

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