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2015年12月04日01:28

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熱田区の史跡をめぐり重大な決断もする

もう12月だ。
今年はいろいろと決断を迫られることが多かった。
決断したらしたで、いろいろ雑事もこなさなければいけない。
年の初めは父親の遺産相続で大変だった。
そのほかいろいろ、日記には書いてないけど、人生の重大な決断もした。

最近もいくつか決断が重なった。
そのうちの一つが車の買い替え。
これはまあ楽しいことだ。
カーナビはどこのメーカーにしようかなあとネットで調べていると、あっという間に深夜になる。
だからmixiも最近は疎遠がちだった。

そういえば、11月22日(日)に名古屋市熱田区の史跡めぐりツアーに参加した。
決断に追われて日記に書きそびれていた。

これは熱田区まちづくり推進室のイベントだった。
普段は立入禁止になっている断夫山古墳も公開されていた。
東海地方最大の前方後円墳だ。
未発掘の古墳で、大雨などあるとハニワのかけらが排水溝に流れてくるそうだ。
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古墳をからツアーは出発した。
ボランティアガイドさんを先頭にして、熱田区を歩く。

最初は白鳥古墳。
ヤマトタケルノミコトのお墓だと言われている。
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その次が白鳥古墳の隣の「白鳥山・法持寺」
北の湖が現役時代、名古屋場所の宿舎にしていたお寺だ。
住職と仲が良かったらしく、たくさん記念碑が建っている。
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北の湖が親方になってからの宿舎は、同じ熱田区にある「愛知労働会館」だ。
これは共産党の建物で、全労連系の労働組合の本部が集まっている。
わたしはこの労働会館で、北の湖親方と酒を飲んだことがある。
お相撲さんにしては小柄で、シャイな感じの人だった。
労働会館にも北の湖の記念碑を建てればいいのに。


次に行ったのが本遠寺というお寺。
日蓮上人かその弟子が来たことがある。
というような説明をされていたのだが、境内を歩き回っていたネコの相手をしていてよく覚えていない。
写真も撮り忘れた。


また歩いて成福寺に着く。
小栗重吉が建立した記念碑がある。
江戸時代の尾張の人で、船に乗っていて遠州灘で遭難した。
太平洋を漂流してアメリカ大陸まで行った。
そのあいだ484日間。
これは長期漂流の世界記録だ。
いまでも漂流はあるけど、これが破られることはないだろう。
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熱田神宮の職員の宿舎というのも案内してもらった。
看板も何もなく、暴力団の事務所のようだ。
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最後に見学したのが誓願寺。
源頼朝が生まれたところだ。
頼朝が名古屋出身だということは、あまり知られていない。
ちゃんと産湯の井戸まで残っている。
そういえば愛知県岡崎市には徳川家康の産湯の井戸がある。
偉い人の産湯の井戸というのは、そんなに大事なものなのだろうか。
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これらの他にも熱田区には100近くのお寺がある。
みんな昔は国宝級のお宝を持ち、広い敷地を構えていたそうだ。
それが戦争の熱田空襲というので、一つ残らず焼けてしまった。
もしも残っていたら京都・鎌倉に勝るとも劣らぬ寺社仏閣観光地区になっていたそうだ。
でもまあ、地元民としてはそんな面倒くさいものにならなくてよかったかもしれない。
いまのようにマンションとショッピングセンターと広い道路がある方が熱田区らしくて良い。
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