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2015年10月31日23:43

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カトマンズからポカラへ

10月13日(火)

ホテルにチェックインした。
ブッキングコムで予約していた。
外国人専用のビジネスホテルのようなところだった。

夕方まで、繁華街ハメルを散歩した。

日暮れごろ、みんなで知り合いのネパール人の実家を表敬訪問した。
3階建ての鉄筋コンクリートの家だった。
ネパールの中流階級は、だいたいこのような家を建てて住んでいるらしい。

夜はイギリス在住の関西人と、関東在住の名古屋女と3人で居酒屋風レストランで食事。主宰者夫妻は友達のネパール人一家のところでホームステイするので別行動。


ということで、ネパール一日目、カトマンズでの夜が終わった。

ネパールの震災から6ヶ月しか経っていない。
だけど悲惨な地震の爪痕のようなのは、ほとんどなかった。
ハメルの旧市街でたまにヒビが入ったり倒れた建物が見つかるぐらい。
市民は普通の生活をしている。
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それよりも、前回ネパールに来た時よりも、車やバイクの交通量がかなり少なかった。
大通りを横断するのに、3年前は命がけで走りこんでいたのに、今回は簡単に歩くことができる。

先日からインドとの関係が悪化して、石油の輸入が途絶えてしまった。
それでカトマンズ市内の自動車は、奇数ナンバー偶数ナンバーと日替わりで通行を許可されている。

ガソリンスタンドでも給油制限がある。
スタンドには何百メートルも行列ができていた。
何リットルかのガソリンを入れるだけでどのぐらいの時間を待つのだろう。
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観光客にとっては静かな環境で良いことだ。
でもネパール人にとっては死活問題だ。
いまは震災復興よりもガソリン不足のほうが深刻だそうだ。

なにごとも実際に訪れてみないと分からないものだなあ。


10月14日(水)

今日はポカラへの移動日。

朝、主宰者とトレッキングのガイドさんがホテルへ迎えに来てくれた。

今回のガイドさんは23歳の女性だ。
名前はカピラさん。
ウルトラセブンの怪獣のような名前だけど、顔立ちは韓国人風の美人さん。

お父さんが山岳ガイドだったので、自分も試験を受けてガイドになった。
仕事は1ヶ月に1回もないけど、両親と同居しているので生活にはそんなに困らない。
彼氏は欲しいけど、結婚はまだ考えていない。
今の仕事が楽しいからだ。

なんだか日本にも、こんな感じの娘さんはたくさんいそうで親しみが湧く。

彼女の自宅は半年前の震災で全壊したそうだ。
しばらくはテント生活をしていた。
日本のように指定避難所がないからだ。
それも親戚など3家族が一つのテントで寝起きしていた。

テレビの映像などで写ったのは、こういうときのものだ。

今はもう新しく頑丈な家を建てたから安心だ。
なんて言ってるけど、本当に大丈夫だろうか。
そんなに早く再建できるものだろうか。
日本の東北地方では、いまだに仮設住宅で何万人も暮らしているけど、あれはいったい何なのだろうか。

9時30分、カトマンズ空港の国内線でポカラ行きの飛行機に乗る。
40人乗りのプロペラ機だ。

30分もするとポカラに到着。
ホテルの車が迎えに来てくれていた。

ポカラでは3つ星の豪華ホテルに宿泊した。
主宰者の奥さんの希望だ。

大きな中庭があり、レストランも豪華だった。
そのレストランでランチしたあと、街を散歩してみる。

ポカラはネパール第2の都市だ。
ヒマラヤトレッキングの入り口になっている。
外国人観光客がたくさん歩いている。
おみやげ屋さんや外人相手のレストラン、居酒屋、両替屋が建ち並んでいる。
大きくて賑やかなところだ。
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大通りから一本西に入るとフェワ湖という湖がある。
水際が遊歩道になっていて、歩いていると気持ちがいい。
道の脇には居酒屋や食堂が点在している。
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ビールが1杯200ルピーだ。
景色の良さそうな店を選んで、のんびりと酒を飲んだ。
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夜はみんなで韓国レストランへ行き、ビビンバを食べた。
わたしは店の人と韓国語で会話した。
最後まで韓国人だと勘違いされていた。

ポカラには韓国レストランがたくさんある。
日本食の店は2軒しかないのに。
ホテルの人も韓国語ができる人が多い。
わたしは便利だから良かったけど、日本人はもっと頑張らなければいかんと思う。

明日はジョムソンへ移動して、いよいよトレッキングが始まる。

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