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2015年10月29日06:10

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山頭火の日記(昭和15年8月3日〜、一草庵日記)

山頭火の日記(昭和15年8月3日〜、一草庵日記)

『一草庵日記』

八月三日 晴。
絶食、私は絶食しなければならない、食物がないといふ訳ばかりでなく、身心清掃のためにも。――せめて今日一日だけでもすなほにつつましく正しく暮らしたいと思ふ、その日その日――その時その時を充実してゆくことが一生を充実することである。黙々読書、おのれに籠つておのれを観た、労れると柴茶をすすつた……今日も午後はおこぼれ夕立があつた、めつきり涼しくなつて、夜明けは肌寒くさへ感じた、夜無水居を訪ふ。

【一草庵日記】
『一草庵日記』には、昭和15年8月3日から昭和15年10月8日(山頭火最後の日記)までの日記が収載されています。山頭火は飄々と旅から旅へ、流転の日をかさねました。晩年は松山市の一草庵に住みましたが、無私無欲、しばしば酒につかり、食べるものを欠き、伝統や新聞も停められ、寒さと飢えに難儀していますが、しかし山頭火は少しもへこたれませんでした。常に変わることなく愚を守り、拙をつらぬき、句作に生命を燃やし、未曽有の詩的境地をひらきました。


八月十五(十四の間違い)日 曇、晴。
眼がさめるとそのまま起きる、おとなりの時計が四つうつた。こんなに曇つてどんより蒸暑くては稲の虫害が心配になる、――晴れよ晴れよ、照れ照れと祈りつづける。……昨夜大食、今朝少食。どこの店にもマツチが品切れ、タバコの吸へないには少々まゐつた。泰山木の一枝を貰つて来て庭隅に挿したが、どうぞ根づくやうに、夾竹桃が芽ぶいたやうに。せめて――いとせて私が末後の一句を得んことを。――おちついて、私は待つてゐる。……けふはあるだけの麦を炊いた、そしてそれで今日明日を支へやうと考へてゐるところへ、一洵老来庵、なつかしや一ケ月ぶりの対談である、旅の話を聴く、そしてまた土産代を頂戴する、ありがたう。午後は道後へ、一浴一杯、そしてまた一杯、――それがいけなかつた、また一杯また一杯でさんざんだつた、どろどろぼろぼろになってしまつた。ああ、ああ。人間のあさましさよ、そして私の弱さよ、私は倒れたまま空を見つめたまま自分を罵り自己を鞭打つばかりだつた。... …

【道後温泉】
山頭火は、松山に来てからは道後温泉へよくでかけたようです。「朝湯のよろしきもくもくとして順番を待つ」の句があります。


九月一日 曇 微雨。
二百十日、興亜奉公日一周年記念日、関東震災記念日。いろいろの意味で、今日は私にとつて意味ふかい日である。跣足になつて近郊を散歩する、転々一歩一歩の心がまへである。独行不愧己、独寝不愧衾、慎独の境地である、私の生きるべき世界である。省みて疚しい私である、俯仰天地に恥ぢない私でなければならないのである。終日終夜謹慎、身心安定して熟睡することが出来た。

私の覚悟――
 節酒断行、借金厳禁、二食実践。
約言すれば、節慾である、生活に即して具体的にいへば、
 酒は一日一合、一度に三合以上、一日に五合以上は飲まないこと、酒は啜るべく味ふべく、呷
 らないこと、微酔以上を求めないこと。借金は決してしないこと、その借金が当面逼迫の融通で
 ないかぎりは、食べ過ぎないこと、代用食を実行すること。煙草も刻ですますやうに努めるこ
 と。
ただただ実践である、省察が行持となつて発現しなければならない、これを誓ふ、私は私に誓ふ、汝自身を守れ、愚を貫け。

【もりもりもりあがる雲へあゆむ】
山頭火句帳のこの日には、四国88ヶ所第52番札所太山寺巡拝のときに詠んだ「もりもりもりあがる雲へあゆむ」の句が記されています。この句には、生命のぎらつきを感じます。太山寺参道に、この句碑があります。また、松山市御幸町の長建寺にもこの句碑があります。


九月十七日 晴。
起ると、隣の時計が五つ鳴つた、山に落ちる月がうつくしかつた。身心の平静をとりもどした、私は日に日に刻々燈みつつある、と自信し自祝する。
 ぽろぽろ冷飯ぼろぼろ秋寒
これは今朝の実感である、実情は偽れない、そこにこそ句の尊さがあるといふものぞ。けさも郵便は来ないのか、ああああ、山頭火みじなことである。私が若しも――若しもだが――酒をやめることが出来たら私はどんなにやすらかになるだらう、第一、物質的に助かる、食ふや食はずやのその日ぐらしから救はれる、赤字のなやみ、借金のせつなさがうすらぎ、つまらない苦労がなくなる、――だが、私には禁酒の自信が持てない、酒を飲むことが、私にあつては、生きてゐることのうるほひだから! アル中の徴候がだんだん現れてきよる、ああ。ちよいとポストまで、途上、句を拾ふ、タバコの吸ひさしを拾ふ。今日の買物は、――二十六銭 平麦一升 十銭 ナデシコ 六銭 豆腐一丁 五銭 切手 卑しいかな人間、――醜いかな山頭火! 風、風、風――秋、秋、秋。身のまはりをかたづける、自分のエゴイズムを見せつけられたりして。

俳句について、――
     ┌精神――日本的――不変  ┌構成的
俳句的│                   │
    └表現――時代――流行    └主体的
完成――作品個々的には、未完成――作家的には、

御飯を炊きつつ、いろいろさまざまのことを考へる。おお何とデカい胃袋、さういふ胃袋の持主――私といふ無能力老人は不幸(あたりまへだけれど)である。ひしひしと迫るもの、ああ私は生きてゐられないのだ! 自粛の力――時代の力――そして季節の力。今夜もよい月、ひとりしづかに読みつつ考へつつ寝た。

【タバコを拾う】
この日の日記に、「途上、句を拾ふ、タバコの吸ひさしを拾ふ」とあります。また、このころの山頭火の句に、「あてもなくあるいて喫いさし拾ふ句を拾ふ」があります。山頭火は、還暦を迎えようとしてなお、道端に落ちたタバコを拾わなければならない姿に、落ちるところまで落ちて、むしろ腰を据えた一人の男を見ることができます。

【身のまはりをかたづける】
さらに、日記に「身のまはりをかたづける」とあります。また、山頭火の句に「身のまはりかたづけて遠く山なみの雪」があります。山頭火はよく身辺整理をしています。それは、意外に几帳面だった性格からきていますが、むしろ、いつ死んでもいいように、という配慮からきたものでした。さらに、「旅のかきおき書きかへておく」の句を書き残しています。


十月六日 晴―曇。
今日明日は松山地方の秋祭。和尚さんの温言―お祭りのお小遣が足りないやうなら少々持ち合せてゐますから御遠慮なく――とわざわざいつて来られたのである、――温情、ああありがたしともありがたし、昨年一洵老に連れられて此処新居へ移つて来た、御幸山麓御幸寺境内の隠宅――高台で閑静で家も土地も清らかであり市街や山野の遠望も佳い――が殊に和尚さんにその人を得た。ただ感謝あるばかりである。澄太が一草庵と名づけてくれた、一木一草と雖も宇宙の生命を受けて感謝の生活をつづけてゐる、感謝の生活をしろよとは澄太の心であつたのであらう。一草庵―狭間の六畳一室、四畳半一室、厨房も便所もほどよくしてある、水は前の方十間ばかりのところに汲場ポンプがある、水質は悪くない、焚物は裏から勝手に採るがよろしい、東に北向だからまともに太陽が昇る、(此頃は右に偏つてはゐるが)月見には申分がない。東隣は新築の護国神社、西隣は古刹龍泰寺、松山銀座へ七丁位、道後温泉へは数町、一洵どんぐり庵へは四丁、友人もみな、親切――、すべての点に於て、私の分には過ぎたる栖家である。私は感謝して、すなほにつつましく私の寝床をここに定めてから既に一年になろうとしてゐる。それにそれに……。感謝の生活、私は本当にそれを思ふ。

【重複される日記】
山頭火のこのころの日記、特に10月6日と7日の日記が重複されて書かれています。日記を読むと、どうもアルコール中毒によるせん妄、幻覚などの症状が現れてきているようです。


十月七日 曇―晴。
早朝和尚さんに逢ふ、――昨日はどうでした、お祭りのお小遣はありますかと言ふてくれた――勿体なし勿体なし、人には甘えないつもりだけれど、いづれまたすみませんが――とお願ひすることだらう、ああああ。けさは猫の食べのこしを食べた、先夜の犬のことをもあはせて雑文一篇を書かうと思ふ、いくらでも稿料が貰へたら、ワン公にもニヤン子にも奢つてやらう、むろん私も飲むよ! 犬から餅の御馳走になつた話、――

【犬から餅の御馳走になつた話】
この日の日記に、「犬から餅の御馳走になつた話」とありますが、数日前の10月2日の日記に、「この夜どこからともなくついて来た犬、その犬が大きい餅をくはえて居つた、犬から餅の御馳走になつた。ワン公よ有難う、白いワン公よ、あまりは、これもどこからともなく出てきた白い猫に供養した。最初の、そして最後の功徳!  犬から頂戴するとは!」とあります。またこのころ、「秋の夜や犬からもらったり猫に与えたり」の句があります。山頭火が他者や弱者(コオロギの虫など)にも、最後まで慈悲深かったのに間違いはありません。この句が山頭火の最後の句といわれていますが、諸説あります。

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