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2015年10月28日07:26

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四国遠征−37/大洲城(後編)

「大洲城」には4つの現存櫓が残っている。
その内、2つは天守の両側に建つ「高麗櫓」と「台所櫓」なので、前回で紹介済み。
残りの櫓を探してみよう。
まず、最初に到着した「二の丸」駐車場の片隅で見つけた。

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「苧綿櫓/おわたやぐら」(国重文)
天保14年(1843年)に再建されたもので、「二の丸東端」に位置する。
2重2階建てで肱川(ひじがわ)に面しており、格子窓や石落しが設けられている。
しかし、城内側にはまったく窓がない。

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「櫓下御門跡」
「大洲城」の正門(大手)にあたり、かつては高麗門と櫓門の間に土塀で囲み、枡形の広場があった。

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「旧八幡浜街道」
「三の丸」や外堀の南側の道路

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「二の丸大手門跡」
「二の丸」への入口として、この位置にかつては薬医門が建てられていた。
ここから奥に天守が見える。

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「龍護山曹渓院」(りょござんそうけいいん)
大洲藩初代藩主・加藤貞泰が父・光泰の菩薩を弔うために建立。
以後、加藤家代々の墓所となっている。
大洲市の史跡指定。


続いて、もう一つの現存櫓を探す為に市内を歩くが中々場所が分からない。
周囲は民家に囲まれ歩き周ってやっと到着した。

・TOP右画像
「三の丸」南側の土塀

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「お殿様公園」(有形文化財)
大正14年(1925年)に建築された旧大洲藩加藤家の住宅を公園化。
この公園の敷地内に櫓が残されている。

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「三の丸南隅櫓」(国重文)
明和3年(1766年)に建てられたもので、「大洲城」に現存する最古の建物。
外部両端に袴腰形の石落しを備えている。

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「三の丸南隅櫓」入口
ここは無料開放されている。

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「三の丸南隅櫓」の内部

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「太鼓壁」
土壁の中に小石や瓦を詰めて厚く塗り、弾丸が壁を貫かないようにしている。


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さて、「大洲城」の天守は老朽化が進み維持費に困窮した為、残念ながら明治期に取り壊された。
しかし、残された「高欄櫓」は小天守の役目を持つ事から、この「大洲城」も現存天守に準じていると言う。
その後、1994年に天守閣再建検討委員会が発足し、史実に忠実な天守を復元させた。
これは木造天守として4重4階は日本初との事。
復元資金には多くの市民の寄付があり、いかに「大洲城」が市民に愛されていたのかよく分かる。

つづく
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