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2015年10月27日09:01

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四国遠征−36/大洲城(前編)

今月も色々な城跡や有形文化財を見学したが、訪問先が多すぎて日記公開が追いつかない。
遅くなったが、まずは・・・
月初めに「松山市内の掩体壕」を見学したあと、「大洲城」(おおず)を見学。
「大洲」はもともと「大津」(津は港の意味)と称していたが、戦国時代に小早川隆景、戸田勝隆、藤堂高虎の支配を経て、淡路国洲本の脇坂安治が天守を移築した際に地名を「大洲」に変更したと言われている。
その後は明治の廃藩置県まで伯耆国米子の加藤貞泰が入城し、城郭全体が整備されている。
それでは、愛媛県の「大洲城」を紹介しよう。

・TOP左画像
「大洲城」の縄張りは自然の要害を成す肱川(ひじがわ)のほとりの小高い丘(地蔵ヶ丘)を中心に築き、南に内堀と外掘、武家屋敷、寺院を配して防御拠点としている。
尚、大洲市内見学を終えた夕方に撮影した為、写真は薄暗い。

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↑(TOP中画像)
市民会館に隣接した駐車場に車を駐車。
ここは二の丸跡なので天守まで非常に近い。

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「下台所」(県指定文化財)
城内の食糧庫として木造一部2階建て、漆喰(しっくい)の土蔵造りになっている。

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「二の丸御殿跡」の石垣

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↑(TOP右画像)
「井戸丸」から見る「本丸」
この位置から天守と高欄櫓がよく見える。

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「大洲城」の天守
1階の広さは11.8×18.8mで4層4階
四国の現存天守では「松山城」(15.4m)、「宇和島城」(15.3m)よりも高く19.15mもある。

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「台所櫓」(国重文)
天守とは東側に「北多聞櫓」で繫がっている。
内部には台所の土間があり、煙出し用の格子窓が開く。
建物は大地震で大破した為、安政6年(1859年)に再建したもの。

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天守内部には「台所櫓」から入る。

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「天守」内部
天守閣復元事業は平成6年(1994年)に発表され、10年の長い歳月を経て平成16年(2004年)に完成。
この天守の復元は江戸時代に残る古絵図、天守雛型木組模型、明治に撮影された鮮明な古写真が残された事で正確な完全復元が可能となった。
また、全国で鉄筋コンクリート造の復元天守が多い中、慶長年間(1596〜1614年)に建てられた木造を、現在の伝統技術で「木造復元」として再現した事が実に素晴らしい。

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天守から西側を流れる肱川(ひじがわ)を遠望

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「高欄櫓」(国重文)
2階に縁と高欄(手摺)のある櫓で天守とは南側に「西多聞櫓」で繫がっている。
こちらも地震で大破した為、万延元年(1860年)に再建されたもの。

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「高欄櫓」の内部
天井板は無く、屋根裏の土壁には瓦の端が見える。

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「復元 大洲城」平成の城普請を探る
発行日:2004年9月
発行:大洲市
B5版/全24頁
価格200円(税込)
「大洲城」の歴史や遺構、復元の内容が詳しく分かる。
「お城」見学ではこの種の現地本を必ず購入する事にしている。


それでは、次回は大洲市内の史跡を探索してみよう。
つづく
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