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2015年10月12日21:12

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日本にとって大学とは何か?【長文】

自分もまぁ似たような境遇だから、
院卒でも月給20万もらえてるならいいじゃん。
定収入があって食えてるなら御の字だよ。
中卒の奴が月に40万稼いでようと1000万稼いでようと
別にどうだっていいじゃん……とも思ってしまうのだが。


この手の記事見ると、

日本にとって大学とは何か?
日本人は大学での学問研究をなんだと思ってるのか?
日本人は大学に何を期待しているのか?

……なんてことを考えてしまう。

「中卒月収40万円」といっても、
そういう中卒は中卒全体のうちの例外的ケースで、
自分で起業したとか、
中学卒業後に相撲部屋に入ったとか
伝統工芸の職人に弟子入りしたとか
町工場に就職して技術を身につけ、親方的ポジションについたとか
そういうのを除けば
大多数はフリーターとか派遣社員とかで
カツカツの生活をしていると思うのだが。

誰もかれもが田中角栄や松下幸之助みたいになれるわけじゃない。

それに、そんなに中卒高卒が「使える」ものなら、
企業がこぞって中学や高校に求人票を出し、
中高卒人材を積極的に採用すればよさそうなものだ。
なぜそうしない?


中高卒を貶したいわけではなくて、
実際それも悪くないと思うんだけど。

戦前や戦後すぐぐらいには、
義務教育を出たくらいで企業に就職して
「小使いさん」になる人もいた。

江戸時代の丁稚に毛が生えたような存在だけど、
鉛筆削りやら何やらの雑務をこなしながら
目端のきく奴は、大人が横で働いてるのを横目で見ながら
実務の仕方や職場の仕組みを
理屈ではなく身体で覚えた。

先輩や上司は、
日頃の働きぶりや年季などを考慮しながら、
見込みがありそうだったら、
「お前、これちょっとやってみるか」とかいって仕事をさせてみた。
その出来栄えがよかったら、正社員として採用した。

(現実にはそういう見返りも与えないで労働だけ搾取する
 ブラック企業も多かっただろうが)

そういうやり方を見直したっていいんじゃないか?
こういうやり方がもっと一般化したほうが
学歴社会の是正につながるのではないか?

だが現在、ほとんどの企業はそうしない。
履歴書を見て中卒とか高卒とかなら、洟も引っ掛けない。

少なくとも大卒を採る。

それどころが、学歴フィルターを仕込んでまで
一流大の卒業生を採ろうとする。

なぜだろう?


強いてその理由を推し量るならば、

一流大学の入試に合格できたということは、
それだけの知識を頭に詰め込める地アタマの良さと、
受験勉強という「苦役」に耐えられるだけの
忍耐力を具えているとみなしうるわけで、
企業に就職しても仕事を早く覚え、激務にも耐えることができる
というわけであろう。

そういう説明を何度か聞いたことがある。

しかしそれなら、
大学すっとばしてそのまま就職できる入試をやったらいいのでは。
大学入試センター試験じゃなくて、
経団連あたりが音頭をとって
企業人に必要と思われる知識や技能を試験する
企業入試センター試験をやったらどうか。

そこで学力だけでなく社会常識も問うたら良い。

国際化に対応するために英語力が必要というなら、
ビジネス英語の能力も問えばよい。

受験生はたぶんそれらを必死で勉強するはずだし、
予備校はそれらを効率的に習得する方法を編み出して、生徒に教えるであろう。

そのようにしたら、
順当に行けば大卒より若くして採用できるから、
体力もあるし頭も柔軟で仕事もよりよく覚えるだろう。
いっそこっちのほうが良さそうな気もするのだが。


「それはちょっと……」というなら、
企業は自らに問わねばならない。

なぜ自社は、
企業入試センター試験で高卒生をいきなり採用するのでなしに、
「大学生」を採るのか?と。

一流大学の人脈につながっている人材が欲しいのか?

それとも、大学にいる間に
勉強であれ、遊びであれ、クラブ活動であれ、ボランティアであれ
恋愛であれ、他のなにかであれ、
社会人になった後でやるのは困難な体験をした人材が欲しいのか?

それともまた何か別の理由があるのか?

なぜ?


この話はここでひとまずおいておこう。


院卒の就職が難しいという話は以前からある。
院卒の就職が難しいということは、
大学院での研究が
大学の外では役に立たないと考えられているということである。

アメリカだったら(分野にもよるけど)
むしろビジネスマンは修士くらい持ってないと話にもならないという。

  >博士課程に限らず大学院に進学を考えるときは、
  >そのすぐ向こうにある「職探し」の現実をもっと真剣に考えるべきです。
  
  >学歴や資格さえあれば仕事が「もらえる」と期待する人よりも、
  >社会や会社に求められる仕事を「自分から探し出す・創りだす」という意欲が、
  >今は評価され必要とされているのです。

博士号があったら食いっぱぐれがないと思ってる院生の
考えが甘いのは確かだけれども、
おれはここまで個人に責任をおっかぶせ、突き放すことはできないと思う。

二十代中盤まで一度も実社会に出たことのない青年に
「社会や会社に求められる仕事」を予測したり、
それを創り出せというのは、少々酷な要求なのではないか?

それができるのは天才だけだからである。

フォードは
「もしも顧客にあなたの欲しいものは何かと意見を聞いていたら、
『もっと早い馬車が欲しい』と言っていただろう」
という意味のことを言ったという。

フォードがT型フォードを作って売るまで、
個人が持てて、複数の人や多くの荷物を運べるようなモノといえば
真っ先に浮かぶのは馬車だった。

自動車というモノが現れてから、
「自動車が欲しい」という欲望や要求が生まれたのである。

さて、
アメリカの場合を見ると、法学であれ理工系であれ、
実務や起業を念頭に入れたプログラムが組まれているという。
日本でも最近はあちこちでそういう試みが行われているとも聞くが、
まだまだ手薄だと思う。

アメリカには「学問は社会に有用でなければならない」という
プラグマティズムの哲学的伝統があって、
学問を象牙の塔の専有物から解放して、
社会に有用ならしめ、人類を益する試みを
学界と産業界が共同して行っているようにみえる。
学生や院生に実務や起業のためのプログラムを提供するのも
実はその一環である。

日本でだって
「学問は社会に有用でなければならない」といえば
誰だって「そうだそうだ」とは言うだろうけど、
「社会に有用」というのは、
ぶっちゃけて言えば
「研究内容がカネになる」とか
「ノーベル賞でも獲って日本が世界から賞賛される」
というくらいの意味しかない。

学界と産業界にプラグマティズムのような共通基盤がなく、
デューイなどアメリカの学者のプラグマティズム哲学を研究してる人はいるけれども、
十中八九、それは単なる文献学に終わってしまっている。

そのために、
運良く大学内にポストを得たような先生方は
往々にしてそこに安住してしまい、
「自分の学問が社会にどう役に立つか?
 いかにすれば社会に利益をもたらすか?」
 自分の弟子をどうやってそちらに方向づけるか?
という意識が薄い。

一方、実業界のほうも、
最新の学問研究と、それに従事する人々(ここには大学院生も含まれる)を
いかにして社会化し、利益を引き出すかという動機付けが弱くて、
院生なんて研究ばっかりしてて社会性がないとか。
プライドばっかり高くて使いにくいとか、
高い年齢で就職するから働きの割に給料が高くつくとか、
はなから無用の長物とみなしてしまっている。

あえて断言すれば、
「使えない院卒生」は産学の構造的産物である。
個人の「覚悟」のような精神論で話を済ませてはいけない。


まとめると、

1.日本の企業は、
  大学およびそこを卒業した人間に何を求めているのか、
  もしかして、ただ漫然と員数合わせの採用を行っているのではないかと
  改めて考え直す必要がある。

2.日本では、学界と産業界が
  「学問研究およびそれに従事する人々を社会に有益ならしめる」
  ために協同する姿勢および、そういう哲学が弱すぎる。

3.院卒生が「使えない」わけを
  個人の責任や「覚悟」という精神論に帰してはならない。
  
というわけだ。




……などと偉そうなことを書いてみるテスト。

実際、日本人にとって大学とは何なんでしょうね?

――――――――――――――

■増える高学歴プア、博士号を取ってもフリーターのワケ
(JIJICO - 10月11日 18:01)


理系の博士号をもつ28歳男性の手取り額が20万円弱?


「中卒月収40万円VS院卒20万円」というショッキングな見出しのネット記事が注目されています。理系の博士号をもつ28歳男性の手取り額が20万円弱という内容で、一部の極端な事例を紹介したものですが、現代日本の教育・研究と就労という重要な部分について、一面の事実を明らかにしていると思えます。


内閣府の統計資料によれば、昭和60年に大学院博士課程に在籍していた人の数は2万1541人。それが平成23年にはおよそ2.6倍の7万4779人となっています。20年ほどで2.6倍に増加した博士課程の修了者たちは、その後どのような進路をたどるのでしょうか?


文科省の科学技術政策研究所がまとめた「平成20年度大学院活動状況調査」によれば、この年に大学院の博士課程を修了した人が全国で約1万6000人。この中で、大学教員になった人が2400人。その他の公務員や医者になった人が2800人。民間企業や公的研究機関に就職した人が4000人とあります。残り6800人ほどの内、約2200人がポストドクターとして研究室に残っていますが、その他は「一時的な職に就いた者等2900人」と「進路不明1600人」とあります。


博士課程に進んでも大学の教員職に就くのは狭き門


ところで博士課程に進学を決めた人々は、その時点で修了後の進路をどのように考えていたのでしょうか?前出の研究所が2012年に発表した、博士課程修了者の経済状況に関する調査結果があります。その中で、「博士課程進学時に修了後の進路として意識していた職種区分」という項目があり、それによれば2000人の回答者中1699人が「研究・開発職」と回答しています。「非研究職」は300人です。


博士課程を志す人は、いつまでも自分の好きな研究をしていたいということでしょう。しかし上記の通り大学の教員職に就くのはかなりの狭き門で、いつになるか分かりません。民間の研究室に就職するにも、求められる専門分野と能力が、自分にマッチしていなければ難しいでしょう。そうすると博士課程を修了し、もしかすると博士号も取っている人が、研究職に就くことができないまま、フリーターのような形で必要最低限の収入を得つつ、自分の進路をどうすれば良いのか途方に暮れている姿が目に浮かびます。


社会に求められる仕事を「探し出す・創りだす」意欲が必要


博士課程に限らず大学院に進学を考えるときは、そのすぐ向こうにある「職探し」の現実をもっと真剣に考えるべきです。「いくら何でも博士号をとってフリーターにはならないだろう」、そんな考えではこの20年で様変わりした社会についていけないでしょう。学歴や資格さえあれば仕事が「もらえる」と期待する人よりも、社会や会社に求められる仕事を「自分から探し出す・創りだす」という意欲が、今は評価され必要とされているのです。


研究者の道を選ぶ人は、自分のやりたいことをする喜びを第一として、生活面での苦しさは覚悟する必要があります。そこまでの覚悟ができない人は、進路選択の際に少し先に見えるはずの「就職」というハードルをどうやって飛び越えるか、しっかりと考えましょう。

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=180&from=diary&id=3658740
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