先日、福山の仕事先で神辺町に日本全国でも非常に珍しい文化財があると聞いたので、さっそく現地へ行ってみた。
ここは福山市から北々東へ約10キロに位置する神辺町。(現在は福山市に合併)
江戸時代後期に当地を治めた備後福山藩が建設した砂防ダムが今もなお残されている。
これは度重なる堂々川の氾濫による土砂災害を防ぐためのダムで、この構築技術は日本の城郭建築から発展した石垣積技術を用いた日本独自の砂防ダムで、特に「堂々川砂留」の規模は日本土木史にとっても大変重要な遺構となっていると言う。
↑(TOP左画像)
「堂々川砂留」
この砂防ダムは芦田川水系の堂々川に建設されている。
・TOP右画像
上流側は「堂々公園」として整備されている。
↑
「一番砂留」
1751年(寛延4年)〜1829年(文政12年)砂留普請。
堤高3.2m、堤長 9.6m
↑
「二番砂留」
1751年(寛延4年)〜1829年(文政12年)砂留普請。
1912年(大正元年)〜1916年(大正4年)増改築。
堤高3.9m、堤長2.6m
↑
「三番砂留」
1832年(天保3年)着工。
堤高5.5m、堤長32m
↑
「四番砂留」
1751年(寛延4年)〜1829年(文政12年)砂留普請。
1912年(大正元年)〜1916年(大正4年)増改築。
堤高3.3m、堤長32m
↑
「五番砂留」
1832年(天保3年)〜1835年(天保6年)砂留普請。
堤高8.8m、堤長31m
↑
「六番砂留」
1835年(天保6年)に砂留普請。
近代1868年(明治元年)〜1911年(明治27)増改築。
1872年(明治5年)嵩上げ。
1976年(昭和51年)最上層積み替え。
堤高13m、堤長56m
下流の「一番砂留」から220mの位置になる。
江戸期から明治、昭和に至るまで数度に亘り石垣が増設されており、その石積み状態を見るとよく分かる。
江戸時代に造られた砂防ダムのうち、これほど大きな規模の砂防ダムは他県には現存していない。
↑
「鳶ヶ迫砂留」
1732年(享保17年)砂留普請。
1813年(文化10年)再築。
1884年(明治17年)再築。
堤高11m、堤長39m
ここは堂々川から西側の支流になる。
他の支流にも「内廣砂留」があるが、茂みに覆われて進入出来なかった。
2006年に国の登録有形文化財(第34-0075号〜第34-0082号)に8基が登録。
しかし、江戸時代に造られた砂留は堂々川流域だけでも16基。
また、その周辺を含めると40基以上が造られ、そのほとんどが現存している。
・関連サイト
堂々川砂留群
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%82%E3%80%85%E5%B7%9D%E7%A0%82%E7%95%99%E7%BE%A4
http://www.arch-hiroshima.net/arch-hiroshima/arch/seto/dodogawa.html
↑
ところで、今は彼岸花が鑑賞できる見頃になっている。
訪問したこの日も多くの人が撮影していた。
また、観光バスも来ていたが、こちらの観光ガイドや案内パンフを見た事がない。
もっと宣伝しても良いと思うが・・
そんな貴重な砂防ダムがこんな場所に保存されていたとはまったく知らなかった。
近隣探訪は、だから面白い。
ログインしてコメントを確認・投稿する