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2015年09月17日12:59

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反逆の炎として燃え上がる 2 of 3

以下、OSHO『反逆のスピリット』(めるくまーる)からの引用のつづきです……。


OSHO:ほんの数日前、私はこういう報告を受けた。インドには真に豊かな人々はわずかに15人しかいない――9億の民を抱える国で、真に豊かな人々がわずかに15人! つまり、9億の人々のすべての富が搾取されてきたということだ。彼らの労働、彼らの全財産は、わずか15の家族によって吸い取られてきた。この不均衡は非人間的だ。なぜなら、生産する者は飢えているのに、寄生虫たちは、自分たちには何の役にも立たない金を集めつづけているからだ。金は飢えで死にかけている人たちには有用だ――そして彼らこそが生産者なのだ。

 これら15の豊かな家族は働くことをしないし、生産もしない。彼らはただ、いかにして生き血を吸い取るかということについて狡智にたけているだけだ。彼らはタコのようにその触手を伸ばし、何百万もの人々の生き血を吸っている。千とひとつの道を通って、すべての金が静かに音もたてずに彼らのふところに入ってゆく。

 これを聞いたらあなたがたも驚くかもしれないが、ボンベイ市には全国の金の半分が流入している。奇妙なことだ……国中が動いているのに――人々は田畑で、農園で、工場で働いている――だが、どこかに何らかの策略があって、金はボンベイに向かって動きつづける。全国の半分の金がたったひとつの都市に! これは許しがたいことだ――だが、人はそのことに腹を立てるべきではない。それが許しがたいのは、それが非人間的なことであり、人々の愛、人々の慈しみ、人々の優しさを破壊しているからだ。それはあらゆるたぐいの犯罪を生み出している。貧困はあらゆる犯罪の母だ。

 なんと奇妙な世の中なのだろう。あなたはまず人々を貧しくしておいて、彼らに犯罪者になるように強い、それからあなたがたの法廷や警察や裁判官が彼らを処罰する。まず最初に彼らは搾取されて、それから犯罪者として罰せられる。

 真の犯罪者は、こられ全国の富を搾取した15家族だ。しかし、彼らが罰せられることはけっしてない。なぜなら彼らは、あなたがたの判事すべてを買収できるし、あなたがたの政治家全員を買収できるからだ。彼らはすでにあなたがたの政治家をすべて掌中におさめている。政治家は、選挙のための何百万ルピーという資金をどこから調達するのだろう? それが貧しい人々から来ることはありえない。それに政治家に何百万ルピーも与えるような人々は、それを慈善行為で与えているわけではない。もし百万ルピーを与えるなら、彼らはその政治家から少なく見積もっても五千万ルピーは得るだろう。政治家が権力を握ったとき、あらゆる認可は彼を権力の座に導いた人々のところへゆく。
 
 これらの政治家たちはみな、ある資本家グループの、あるいはほかの資本家一族の奴隷だ。彼らは貧しい人々によりよい未来を約束しつづけるが、そんな未来などやて来ないことを彼ら自身がいちばんよく知っている。なぜなら、政治家たちはまずはじめに、自分たちに与えられた金を返さなければならないからだ。彼ら自身が奴隷なのだ。

 この状況は醜い。この構造が変えられなければならないことは確かだ。しかし、その変革は、苦しみを受けているすべての人々への愛と慈しみからのものであるべきだ……すべての金を握っている、すべての贅沢品を所有している、それら少数の者たちに対する怒りや羨望、嫉妬からのものであってはならない。

 それはどこに焦点があるかの問題だ……あなたは貧しい人たちのために闘っているのだろうか? それともあなたは、自分がその15家族の一員ではないことに嫉妬して闘っているのだろうか? あなたにこの構造に対して反逆することを促しているのは、あなた自身の嫉妬、羨望、怒り、暴力だろうか? もしそちらの方が実情なら、権力の座についたあなたは、よりいっそう危険な存在になるだろう。なぜならそのとき、あなたは自分に可能なかぎりの復讐を試みるだろうからだ――それも徹底的に。

 だが、あなたの革命が人類の苦しみを見てきたがゆえのものなら、あなたはあらゆる人に成長するための平等の機会を与える構造をつくり出すだろう。だが、平等という考えを押しつけることはしない。なぜなら、平等というものはそもそもありえないからだ。それは心理学的にも、実存的にもありえない。

 バートランド・ラッセルは、あくまでもバートランド・ラッセルであり、彼のような人にもっと楽な生活が与えられるなら、その方がずっといい――その貢献は実に偉大なものであり、彼のような人にはできるかぎり快適な生活が与えられるべきだ。

 アルバート・アインシュタインはあくまでアルバート・アインシュタインであり、彼は世界のほかのだれとも等しくはない。だれひとり自分は彼と同等であると名乗りを上げられる人はいない。彼に平等性を強いるのはただただ馬鹿げている――彼の仕事は特別なものであり、彼の才能は特異なものだ。彼を引き降ろしてはならないことは明らかだ――彼は店主ではないし、人夫でもない。彼は店主になるよう強いられるべきではないし、もしそうなったら、それは人類の進化全体にとって途方もない損失となる。彼は人夫になることを強いられるべきではない。ほかのだれも彼に取って代わることはできないのだから。

 ほかの誰が相対性理論をつくるだろう? ほかのだれが、私たちに原子力エネルギーの途方もない力を与えてくれるだろう? 政治家たちがそれを、人間を破壊することに使いつづけてきたのは不幸なことだ。しかし、アルバート・アインシュタインにその責任はない。その同じエネルギーは、人間をより豊かに健全にし、世界をより美しくするためにも使うことができたはずなのだから。
 
 人間は平等ではない――それが私の基本的アプローチだ。

 そして第二に、あらゆる人が私有財産をもつことを許されるべきだというのが、私の理解だ。ただその格差は大きすぎるべきではない。それは人間的な限界の範囲内であるべきだ。

 国全体が豊かでありうる。

 国家があらゆるものの唯一の所有者になる必要はない。それはひとつの国にとって、起こりうるもっとも危険な事態だ。なぜなら、国家にはすでに充分な権力があるからだ。すべての軍隊、すべての法廷、すべての警察力、すべての法律、自分たちに都合のよいすべての判事たちをかかえながら、その上さらに国中のすべての財産まで国家権力の一部に加えようというのか? そうなれば、国土全体が丸裸になり、「もう私たちには何もありません」という乞食同然の状態になってしまう。そして国家はとてつもない怪物になってしまい、もはやそれを相手に闘うことすらできなくなる。

 国家はその手のなかに可能なかぎり権力を集めてきた。ロシアでは、すべての新聞は政府が発行している。政府の政策を批判するいかなる記事も書くことはできない。そんなものはけっして掲載されないだろうからだ。もし書いたりしたら、あなたは鉄格子のなかに入れられることになる。それが世に出ることはけっしてないばかりか、“あなた”もこの世からいなくなってしまう!

 どんな本を出版することもできない。なぜなら、何かを出版する権利をもっているのは政府だけだからだ。その結果は明らかだ――ロシア革命から60年、ただひとりのレオ・トルストイも、フォードル・ドストエフスキーも、ツルゲーネフも、チェーホフも、ゴーリキィも現れていない……これら5人の名前は、革命が起こる以前のものだ。この5人は世界的に有名な小説家となった。世界中から10篇の偉大な小説を選ぶとしたら、そのうちの5篇はロシアのものになる。この5人の作品を除外するわけにはいかない。そうするよりほかはない。なぜなら彼らは最高傑作を生みだしているからだ。

 そうした天才はどこへ消え失せてしまったのだろう? この60年間で、ただの一篇の小説さえそれらの域に達していない。それは不可能だ。なぜなら〈個性〉が完全に破壊されてしまっているからだ。今や政府の官僚たちが、どの小説が出版されるべきでどれが出版されるべきでないかを決定している。ところがこの愚かな官僚たちには、繊細さのかけらもない。彼らは詩人ではないし、小説家でもない。彼らには創造性の微妙なニュアンスなど理解できない。だが、今はその彼らに決定権が握られている。最良のものが出版されないのはそのためだ。ただ三流のものだけ――なぜなら、彼らには三流のものしか理解できないからだ。

 ほんの数日前、私の友人のひとりがデリーから私にこういう知らせをよこした。「政府内部では、あなたの本はまず政府によって検閲されるべきで、あなたのテープも同様に検閲を受けるべきだといいう話が進んでいます。検閲がすまないかぎり、それらが大衆に届くことは認可されないようにするべきだ」と。

 私は彼にこう返事をした。「彼らの好きなようにやらせておけばいい。そうなれば彼らは最高裁で私と面と向かわなければならなくなるだろう!」

 それは誰が決めるのだろう――その男の顔が見たいものだ――私の本のなかで何が正しく、何がまちがっているかを決めるのはいったいだれなのだろう?
私は閣僚たちをみな知っているし、国会議員のほとんども知っている。彼らにはそれだけの度量もなければ知性もない。彼らのうちのひとりとして、瞑想したことのある者はいない。私の言っていることが正しいかまちがっているか、いったい彼らにどうやって決めることができるのか?

 そのうち彼らは、科学者たちにも言いはじめるかもしれない。「あなたの研究報告書は、公表される前に、まず政府の官僚たちによって正しいかまちがっているかを調べられねばなりません」

 ところがこの政府の官僚たちには、いかなる科学の心得も、詩や音楽の心得もない。もし、彼らに詩や科学や文学や哲学の心得があったなら、彼らは最初から官僚になどならなかっただろう! それはこの世でいちばん醜い職業だ。政府の官僚であるということは、あなたが醜い機構の一部になってしまい、自分の魂を失ってしまっていることを意味している。あなたは、もはや自分自身でものを考える独立した人間としては存在していない。

 愛からの反逆、創造性からの反逆、瞑想性からの反逆――それこそが私の希求、私の希望だ。そしてそれはまた、全人類にとっての唯一の希望でもある。

 私たちは、ゴータマ・ブッダのような人たちが反逆的になる道を拓かねばならない。

 彼らの手のなかではじめて、権力は腐敗することがなくなる。それどころか、彼らは権力を浄化することができる。そして彼らの手のなかでのみ、人間の〈個性〉に安全が約束される。なぜなら、彼らには人間の内と外の存在についての理解があり、人類の手助けをすることができるからだ。
 
       (つづく)
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