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2015年09月13日04:00

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「信」と「疑」と「大いなる推進力」

 OSHO存命中、アメリカでの大規模なコミューンの実験期に、秘書であったシーラとその一味による独裁と裏切りが、時のレーガン政権によるコミューンへの介入と破壊を招き、さらにOSHOが逮捕拘留され毒を盛られることによって短命に終わったことを、ぼくは決して忘れはしない。

 そしてこの当時のOSHOを光明を得た特別な人として祭り上げて無邪気に信奉し、闇の中で計画されていたシーラクーデターにまったく気づけなかった自分の騙されやすいナイーブさにとことん嫌気がさしたものだ。

 けれどもぼくは、そのことでOSHOを責め、OSHOのもとを去ることも、コミューンを離れることもしなかった。OSHOがOSHOの立場においてとるべき責任(状況に応じる能力)は、どこまでもOSHO自身のものであって、ぼくのあずかり知るところではなく、ぼく自身の領域のことではないからだ。しかもOSHOは、もう十分にその果実を得て、その「からだ」を著しく崩壊させていったのだ。

 そしてその後、ラジニーシプーラムのショックを自らの課題として引き寄せ、瞑想にエネルギーを全力で投入することにより、ぼくはようやく静かに変容をとげ始めたのだった……

 今ぼくは、この大騒動の顛末を、シーラ体制を消極的に支えることになったうぶなサニヤシンの群れを、聖なる存在の化身としての天皇をいただきながら、無謀な戦争へと突入していった大日本帝国……そしてまた懲りることなく、再びその愚を犯そうとしている盲目の為政者たち、財界人、宗教家たちを今も支えつづけている無邪気な日本の群衆の姿とどうしても重ね合わせてみてしまう。

 違っていたのは、シーラ一味のクーデターは、OSHO自らの手によって未然に食い止められ、アメリカの国家権力との全面戦争は回避され、ひとりのサニヤシンもこの騒乱に巻き込まれて血を流すことなくすんだこと……振り返ってみるに、この差は実は、この上もなく大きいのではないかな。現天皇に、それだけの力量とガッツがあるとも思われない。

 1970年代の初頭から、ラジニーシプーラム崩壊の1980年代半ばまでの約15年間にわたるサニヤスムーブメントは、実は、個ではなく個が産まれくる土壌を育むためのグループワークだったと言える。いわばそれはまだ仲間内の閉ざされた「信」の時代であり、真の個を確立させる「疑」の時代ではなかったのだ。

 そしてまた「疑」が単なる知的な遊戯ではなく、ほんとうに突き詰められて、そのひとの全存在を反転させる「真の大疑」へと煮詰められてゆくためには、矛盾しているようだけれど、前提としての、下地としての「信」が絶対的に必要とされるのだ。

 伝統的な禅においてさえ、大疑団・大信根・大憤志の3つを学道の3原則としているように、「信」と「疑」と「大いなる推進力」のバランス、この三つ巴は、真の目覚めのために絶対不可欠な三つの珠だと言えるだろう。

 

 

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