mixiユーザー(id:10212320)

2015年08月26日22:16

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ポップアート@熊本現美

リヒテンシュタインの、コミックの模写から
ウォーホールの、缶詰模写、まで
ポップアートというのは、ある軽さを伴っている。

それは、ほとんど「無意味」で、
この絵画の本体は、意味への明確な拒絶であり、
表層にとどまろうとする何かだ。
深みを探ろうとしたって、
ここには、最初っから深みは無い。

そこに誰かがコーティングする。
それは非常に薄い「意味の膜」で、
批評家ないし本人(ウォーホールなど)または画商の作り出す、
意味を乱反射させる装置だ。
(意味なんて、そもそも無いんだよ。
 デュシャン以来の伝統的装置だ)

無意味の上で、意味が乱反射し、干渉し、
無意味が、なんだかゾワゾワとした無意味に、
つまり、なんだか活性化した無意味に、変貌する。

無意味な本体の上の、薄い意味のコーティングの上を、
軽やかに上滑りして行く、
というのが、この手の展覧会鑑賞の正しい態度なのだろう。
基本、熊本ラーメンを喰いに来るための口実だし、
網膜の気晴らしなのである。

ーーーーー

初期のリヒテンシュタインのマンガ模写はわりと好きなのだ。
後期は、よく考えてるな、ということで、あまり面白くない。

キース・ヘリングやバスキアは、初動の熱気があってわりと良い。

ミニマル?ミニマルまでポップで並べるか?ふむ。

後半はデヴィド・ラシャペルが良かった。写真。
巨大ハンバーガーに押しつぶされる美女、など。
アメリカンな被害妄想。

ーーーーーー

ギャラリーの方は、若い作家たち。
小林駄々の少女絵がチマチマとかわいかった。
人形や髪の毛があちこちにぶら下がってて、まあそれっぽすぎる気も。
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