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2015年06月04日10:14

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何するにもけだるい、それは風

何するにもけだるい、それは風






  息苦しいほど狭められている、私たちの人権。

  そのことを書き記しておきたいと思った。

  自分の意思を持たず、子どもの風船のように、

  あっちへこっちへとさまよっている人たちを連想した。





  電車に乗り込んでみたのですが、窓は開けておらず、

  冷房がかかっていません、電気の消費を奨励していないのでしょう。

  大企業であっても、電気のコストはそれぞれ異なります。

  発電コスト、使用電力量の規模が影響します。



 
 
  電車の車窓はいつからこのように、頑丈な窓になったのでしょう。

  電気を無料のモノだと信じて疑わなかった頃、

  あの時から電気の使用量を考えなければならなかった。

  コストとともに、真偽を問われる立場になりました。





  あなたは、人の命を奪ってみても、電気を使いたいと思いますか。

  無限に使いたいと思いますか。

  考える日本人にあっては、電気の使用料を減らそうとするのが一般です。





  電車で雨をしのいでみても、冷暖房はその時だけです。

  何も密閉の空間を、望んでいるわけではありません。

  暑い日であれば、車窓を開けて、窓を開けるだけでいいのです。

  ところが、窓を開けることもしないで、あわよくば冷房がかかるのを期待したまま。





  なぜ電車の冷暖房を、インフラとして認め始めたのでしょうか。

  2011年あの悲劇が日本に襲ってから、電気は鬼っ子に生まれ変わりました。

  電気の片棒を「国や自治体」が組みする、庶民として黙って様子を見るしかありません。

  犯罪者の片棒を組んで、これから同じ道を歩んでいくのか。

  その選択を自分で考える必要があります。





  少し前は、クーラーを持っているか持っていないかが、豊かさを分けていました。

  いまは、冷房による病や電気量の多さが、暮らしを狭めています。

  自然の奏でる風を、全身で味わうことができる。

  いつの間にか車窓でもって、閉じ込められてしまった。

  自然と隣会うことができない、なんと貧しい私たちの、暮らし向きでしょうか。




  
  つまり電気料金を思いのほか使えることが、その人の存在を表わしています。

  寒いほどぐんぐん冷房を使い切っても、誰もそれを苦情として云わない。

  それが、公共で作り上げた教育機関・教育施設であったりする。

  彼らは、コストや採算性を追求されることはない。

  そして教育の実績も評価されない、記録に残されない事業なのです。






  さらにそういう場所では、エチケットとして上着の正装が常備。

  正常な空気に満たされて、国の事業が営まれていると誰も信じて疑っていません。

  思いのほか、電気の使用量はうなぎのぼりでしょう。
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