mixiユーザー(id:4457508)

2015年06月01日22:00

2599 view

「ひっそり祭SP〜バルディオス毒舌トーク〜」の内容まとめ・その8

36.(参加者からの質問)バルディオスの一番の思い出は?

酒井あきよし氏にとっては、バルディオスは一番思い入れが強い作品。
脚本もたくさんこなし、熱も入っていたが、突然中止になった。
だから、映画の話が決まった時の、その昂りが忘れられないとのこと。

佐藤会長にとって、酒井あきよし氏と、「ドラマを作ろう」と言うことで話をしたバルディオスとは、「一番最初の集大成であり、今でも大好きな作品。アフロディアのような女性と恋をしてみたいが、そういう女には会ったことがない」とのこと。
バルディオスは、企画開発には金がかからなかったという。
これは、佐藤会長が何度か「本当にコストパフォーマンスがよかった」という旨の発言をしていた。
外注することなく、企画立案からシリーズ構成、キャラデザ、メカデザを全て自社でやり切れたのが大きいのだろう。

さて、ここで一つ、ちょっとタブーめいた話題が入るのですが、それは、第三者の立場の自分が軽率に言葉にすると、他者への誹謗中傷になりかねないので、この部分に関するトークのレポートは、全てこちらの判断でカットします。ご了承ください。

37.(参加者からの質問)田中保氏について。
田中氏は、実は仕事をしない人で、それを何とかしなければ、と思っていたそうだ。
タツノコから葦プロダクションに移ってきた時は、リアルなキャラは描けなくなってきていたというが、それでも仕事をしていて、上條修氏の名前がバルディオスでは出てきてしまったから、田中氏は一歩引いた感じになったそうだ。

田中氏の画の上手さは、下描きをせずに、線を一発で決めることにあったという。
氏の机の中にはいつも瓶が入っており、液体(佐藤会長ら曰く。何かはお察し)を飲みながら、常に斜めに座って仕事をしていたそうだ。

38.(参加者からの質問)先ほどちょっと出たアフロディアの改心について
これは、酒井あきよし氏が主に答える。
アフロディア自身は、改心する人物ではない。
本人の意志として、「改心したい」はあっても、自分自身がやってきたことの筋は通さねばならず、己が司令官であるという建前も崩すことはできない。
そうした人生の悲しさのようなものを描写するキャラとのことだった。
そしてそれは、ガットラーも同じく背負ったものであり、ガットラーも「かわいそうな人物」とのことだった。

39.(参加者からの質問)打ち切りが決まった時、そして映画が決まった時の感慨
打ち切りは、聞かされておらず、ショックで落ち込んでしまったが、1年経たずに映画化の話がきまり、作ってくれるのが嬉しかった。
(TVは)どうしてここで終わってしまうのか、視聴率が悪かったのか?とも考えたそうだが(劇場版が決まって)感動した。

佐藤会長は、打ち切りになったことが怖く、それを打ち明けることに悩んだ。映画化に関しては自分なりの贖罪の気持ちもあったそうだ。
バルディオスにもファンレターがたくさんきて、第一企画にも、東京12チャンネル(当時)にも(打ち切りが決まった後に、スポンサー側に)その事実を伝えたが、打ち切られた経緯を知っているからスタッフの側には言えなかったそうだ。

スタッフの側からすると、当時のロマンアルバムなどで人気があったのに、どうして?という思いもあったそうで、打ち切りから3〜4か月が経過した時、当時の東映セントラルから「映画にしないか?」という話があった時も、佐藤会長は映画製作の経験がなかったので、できるかどうかが怖かった。スケジュールもなく、納期ギリギリで作品を仕上げた。
この時作画監督をやってくれた故・芦田豊雄氏は、佐藤会長からすると、仕事上の大先輩であり、一緒に仕事ができるとは思いもしなかった人だそうだ。

そして、あらためて、バルディオスを愛してくれたことに対して、佐藤会長が礼を言う。
8 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する