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2015年05月30日22:15

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全闘委

私が高校生の頃、世の中は学生運動盛んなりし時代でした。高校でもそのようなグループがいて、自らを「全学闘争委員会」と称していました。誰に頼まれた訳でもないのに「委員会」もないですが。

名前も立派ですが、彼等は旗まで作っていました。上半分が水色、下半分が赤、真ん中に黄色の星という、およそセンスのかけらもないデザインです。

世間の活動家のように鉄パイプを振り回すのはちょっと危ないと思ったらしく、彼等は竹の棒を持ってやたらとそこらを叩いては、アジ演説をしていました。学校に対して5項目要求なるものを突き付けており、その中には「アメリカはベトナムから手を引け」などという、学校はどうすればいいの?というようなのもあり、さらには「秋の運動会阻止」などというのもあって、ミソもクソも一緒くたという感じでした。なぜ運動会に反対していたか、彼等の言い分では「日本軍国主義の先兵を育てるためのもの」だからだそうです。万事がこの調子ですから、先生方も大儀なことです。

彼等が先生を手当たり次第に捕まえて議論を吹っ掛けると、中には迎合して理解があるかのようなことを言う先生もいました。でも、そのような先生はまた更なる禅問答みたいな議論に引き込まれてしまうのでした。

でもKというなかなか骨っぽい先生もいて、そう易々とは全闘委のペースにははまりません。ある日K先生はお気の毒なことに中庭の真ん中で全闘委のリーダー格の生徒に捕まり、例のごとく議論とも言えない議論になったのですが、それを大勢の生徒が取り巻いていました。全闘委と言っても加入の基準がある訳ではなく、誰がメンバーなのか名簿があるでもなく、誰かが認証するでもないので、シンパや半シンパ、四分の一シンパみたいな生徒はたくさんいました。そんな連中に取り囲まれても、K先生は毅然とした態度で一歩も引きません。勝ち目がないと悟ったリーダーは、ひどい言葉で先生を罵りました。するとそれに乗じて後ろのほうにいたシンパの誰かが、オウそうだそうだ、とか言いながら紙を丸めて投げ、それが先生の顔に当たりました。次の瞬間、それまで毅然としながらも落ち着いて返答していたK先生の凛とした声が、あたりの空気を震わせて響き渡りました。
「物を投げるのは誰だ!失敬じゃないか!」
あたりは水を打ったように静まり返りました。ややあって、所詮は確たる主義主張がある訳でもなく、単に尻馬に乗っていただけのシンパ達が散って行きました。その連中の様子を観察すると、なかなか面白いものでした。ほぼ3通りの類型に分類できたのです。

1.何らの変わったできごとも起きておらず、平穏無事にあらゆることが運んでいるかのように
  無表情で淡々と立ち去る。
2.あたかも突然急用を思い出したような顔をして、そうだこうしちゃいられないとばかりに急い
  でその場を離れる。
3.小さな声で誰に言うでもなく、何だあいつ?なぁ〜に怒鳴ってるんだよなあ、などと呟きつつ
  背中を丸めて手近の物陰に向かう。

ある日、体育館で「全校集会」と称して全闘委のいつものご宣託を聞かされていた時のこと。中には当然全闘委を良く思わない生徒もおり、そんな一人が質問しました。
「君達は何でもかんでも粉砕粉砕って、壊すことばかり言ってるが、壊した後どうするつもりなんだ?」
すると全闘委の大将がいみじくも宣うには
「そ、そそ、それはなお前・・・・・・壊してから考えるんだよ。」
あちこちから小さな失笑が起こりました。別の全闘委の生徒による、同じような質問に対する回答には、誰かが何とかするんだよ、っていうのもありましたっけ。

こうして思い出してみると、異常な時代だったという感を強くすると同時に、あの頃の高校生はまだ幼かったんだなあ、とも思われてくるのです。
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