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2015年05月25日01:49

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永遠の旅 〜禅の十牛図から、十一牛図へ〜

新たな試みですが
ちょっと書いていきます。

OSHOの本、
永遠の旅の導入部分を
なんとなく読んで、
書きたくなったので。


禅の十牛図
というものがあります。


牛と人が描かれているのですが、
牛は暴れたりする
心を表しているとも
言われたそうです


なんでも、
この図は、最初は八図、
つまり8つだったらしく、
後で書き足されたそうです。


そして、8つ目は
なにも描かれていない
つまり無や、空を表していると。


そして、十でまた、
その人は、世の中になんとなしに
まざり、人々をなんとなしに
救うというか、生きていくと。



観察するに、
現段階の
世の中の大人たちの目指すところは、
8のが多いなぁと


そこを、理解する
ことに躍起なってるというか
そこから先にゆけない。



自分は、十一個目を
伝えたいって思って



ほんで、世の中で
ますます、ここでいう8図
に関する話が増えていきます


でも、そこじゃないんだよって

「あるがままの自分を
見つける幸せ」

っていうか、


永遠の命、永遠の空である部分
を得たり、留まるところが
ゴールになるんでもないと
思うんだけど


大人の人たちは、
なぜか、
ここを目指していて


いまの子供世代は
また違くて


それでもね、
空(くう)の話が増えてるってか
そこに留まっときゃ
いいんですって

そうは、宇宙が
流れてないかもよって



目覚めの場所のみが
大いに語られ、
喧伝されてきたけども


命にとっては、
また、通過していく
場所なんじゃないかなと


ゴールってさ、
変わってくじゃん


時代が変われば、
ゴールも変わるしね



もちろん、
十牛図の中で
8図を目指すなかでは、
8図がゴールになることも
あるかもしれない


悟りを目指す人たちは、
悟りがゴールで

あるがままのタオに
なるというか
そこがゴールなんだけど


そして、そこの話が
魅力的に感じるし、
やっぱそこだけの話しだすよね


でも、そこだけで
終わるってなんか寂しい


もっと世の中に
入っていく。


あえて
世界と交わり、
新しいゴールに向かってく。



それでこの中の
交わりの中で、

新たな方向性が
進化して
見えていく。


もう、通り過ぎていく
道にすぎなくなる


至福に留まることも
無限の自分もまた

通り過ぎていく



そして、

十一個目の話に。



世界のことを知り、
奉仕の質を掴んだその人は、

自然を長い間観察した結果

自然を促進する方法を



習得します



いや、するかもしれません。



個人的な観点ですが、


自分がアバター
ウィザードに見ているのは、

新しく加えられる
十一図目です。


なんと伝えたらいいかも
わからない。


そんなものは
ないと人は思う。


だけどもうあるし、


この表現の中で


何回も爆発的な創造性

を伝えてますが



創造を行使する
力について理解と見識が
深まり


さらに習得され


タオは意図的に
書き換えられ、

方向づけられます



それは、まだ
見たことのないナニカ


かもしれません


その表現で
本の中でピンとくるものや

大人の話で
ピンとくるものや


または、
覚者の話でピンとくるものは
ありません



もう、そこじゃないと
思うし、


悟りの観点すら、
とおりすぎていく


新たな時代が
始まるし


別に留まる場所でもなければ
休止する場所でもない


かといって、
創造性の話が出来る場所でもない



創造性が増す時代、

それは、
進んだ時代だと思います



これから、

どんどんチャレンジして

成長して

進化して



そういう場所が

新しい成長場所に

なると思います。



この十一図目は、
自分は書くことが出来ません



それは、

あなたが自由に、
描くことになるから


という要素もあります


それは、


生々しい変化し


意図し


生きているタオ



変化と進化を


遂げる


新しい道




通り過ぎて行くべき場所で
留まるのは退化



新しい時代に

進化しよう♪



進化と創造




宇宙の流れを
デザインする


そういった領域まで
無限の歩を進めて



いま語られている場所を

通り過ぎて♪

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