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2015年05月04日21:18

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ウリ(●●)二つ←?

そもそもテロの標的になったのは君が代じゃなくて
重光葵や大日本帝国の陸海軍の将軍たちだろうに。

>右脚を失った重光を含め、居並ぶ帝國陸海軍の将軍らは誰も動かなかった。
>「国歌斉唱中だった」からだ

そりゃテロリストからしたらこれ以上の好機はないよなぁ。
標的がまったく動かないんだから。

そういうのって危機管理の観点からはどうなんよ?

むしろ犯人の逮捕は憲兵だか警備兵だかに任せるとして、
慌てず騒がず避難するぐらいの臨機応変があっても
いいと思うのだが。

かえって、一事が万事こういう調子の日本軍首脳部の硬直性が
大東亜戦争において大日本帝国を敗亡に導いたのではあるまいか……。


……まぁいいや。

いくら産経新聞でも、ここまであからさまに右ストレートな記事は珍しい。

この手の思いつきの珍説奇説を
韓国のメディアで目にすることは珍しくないけど、
大多数の韓国人は「また例のアレか」てな感じで
別に相手にもしてない訳だが。

そんなのにまともに噛みつく産経新聞ってwwwww


>(満州国の)祝典曲は愛国歌のメロディーの一部にウリ(●●)二つ

って何が言いたいかわからないんですけど。

素直に「瓜二つ」と書けばいいものを。

もしかして「ウリ(우리)」とひっ掛けたかった?

最初、豚の鼻か何かのAAかと思ったわ……。


>自らを褒め、他者をおとしめる手口だろうが、それではますます国際で埋没してしまう

この記事読んだら、
「朱に交われば赤くなる」とか
「ミイラ取りがミイラになる」という諺を思い浮かべるのは
おれだけだろうか…………。

産経新聞は韓国と一緒に国際(国際社会?)で埋没したいのだろうか。

黒田勝弘が以前

「そんな韓国のマイナス情報をせっせと集めて溜飲を下げているのは見苦しいと思う。
韓国人に対し、日本人はそこまで落ちぶれる必要はない」。

と言ってたけれども、
産経新聞においてそれが最も顕著なようである。

それも、最もダメダメな点において
韓国メディアとウリ(●●)二つになりつつある。
                                                     
                                                        
                                                     
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■韓国の「国歌機密」 作曲者は親日、「不都合な歴史」を封印
(産経新聞 - 05月04日 09:17)

 韓国では国歌演奏・斉唱中のブーイングは許されるが、ストレッチは処罰対象となるようだ。韓国プロバスケットボールチーム所属の外国人選手が3月、韓国国歌《愛国歌(エグッカ)》の演奏中にストレッチをしていた行為が引き金で懲戒処分=解雇に処された。が、2013年に韓国で開催されたサッカーの東アジアカップでは《君が代》斉唱時、スタンドを揺るがすブーイングの嵐が起きた。自国国歌への非礼に激憤する一方で、他国国歌を侮辱できる品性と常識の欠落は、日本の国辱ではなく韓国の国辱。恥ずかしいと感ずる感性が育まれぬ社会の幼児性は哀れだ。独自性に乏しい文化や経済・産業を国際的に認知させるべく、自らを褒め、他者をおとしめる手口だろうが、それではますます国際で埋没してしまう。あるいは「君が代の起源は韓国」であるからして、ブーイングは勝手し放題とでも言うのか。神道や武士道にはじまり柔・剣道、茶道や和歌・俳句、歌舞伎や折り紙、すし、果ては日本語まで「韓国発祥」と、大まじめでホラを吹く内は児戯で済まされる? しかし「君が代起源説」が、韓国にとり“爆弾”に成り得る危険を理解できていない。愛国歌は、日本に学び、日本を理解する人物によって創られたのだ。自らの劣等感を払拭せんと、もがけばもがくほど「歴史の軽さ」が暴露される。「日本離れ」する韓国の誕生を願っている。


 ■作曲者は親日という史実

 韓国語で「われわれの」を意味する「ウリ」とオリジナルをかけて呼ぶ「ウリジナル」には、すっかり慣れているつもりの小欄も、2009年の韓国紙報道には仰天した。れっきとした大学総長が、以下の主旨を主張したのだった。

 《日本に上陸した朝鮮人・金(キム)氏が王国を造った。キム氏が日本の覇者=天皇となる。すなわち、キム家の世=君が代が始まる。皇統をたたえる歌は金家をたたえる歌であるので、君が代は朝鮮渡来と言ってよい》

 あえて反論する必要もない詐話とはいえ、せめて「大日本帝國による韓国人従軍慰安婦の強制連行」の如く、一部欧米人を欺せる程度の工夫は欲しかった。その点、愛国歌制定の歴史は動かしようのない史実だ。

 作曲者は名門中の名門、ウィーン交響楽団やベルリン交響楽団の指揮者を務めた安(アン)益(イク)泰(テ)氏(1906〜65年)。1921年に来日して旧制中学入学。後、東京高等音楽学院(現国立音楽大学)で学んだ。さらに米国やオーストリア、ハンガリーで研鑽を積み、35〜36年ごろ愛国歌を作曲。48年の韓国建国の際、国歌に制定された。

 ところが《満州国建国十周年記念音楽会=42年》で安氏が、自ら作曲した祝典曲を、自らベルリン放送交響楽団を指揮して披露したシーンのフィルムが2006年発見される。当然韓国の“文化”に従い、安氏は親日韓国人を指弾するブラックリスト《親日人名事典》に「日本の植民地支配(史実は併合)への協力者」として掲載された。


 ■「不詳」とされた作詞者

 フィルム発見と批判報道は韓国自身を追い詰めた。この国の「間の悪さ」を絵に描いたように。祝典曲は愛国歌のメロディーの一部にウリ(●●)二つ。日本が事実上建国した満州国と、日韓併合(1910年)で日本となった韓国の、関係楽曲が似ていても違和感はまったくない−などと言ってはいけない。歴史には「都合」も「不都合」もなく、唯唯史実のみ存在するはずなのだが、韓国人は「不都合な歴史」に凄まじい衝撃を受けるのだ。

 作曲者のみならず「不詳」とされてきた作詞者の存在も「不都合な歴史」に加わりそうだ。2000年代に入り、次々と尹(ユン)致(チ)昊(ホ)(日本名・伊東致(ち)昊(こう))氏(1865〜1945年)だと特定する新事実が明らかになっているためだ。尹氏は日韓併合当初は独立運動家だったが、覚醒したことで「親日派」の烙印を押された開明的人物。決定的証拠は、朝鮮戦争(1950〜53年休戦)後の1954年、韓国が米国の知識人にPR用資料として無料配布した英文の小冊子《韓国入門》で、掲載された愛国歌の譜面上に、作詞は尹氏、作曲は安氏と明記されていた。《韓国入門》は、当時の李承晩大統領(1875〜1965年)の米国人顧問や駐米韓国大使館文化広報センター長らが中心に編集しており、政府刊行物といっていい。また、歌詞をしたためた尹氏の署名入り原本も、遺族が尹氏が留学していた米国の大学に寄贈。古くより原本の存在は知られていた。


 ■「不都合な歴史」を封印

 実は55年、政府の国史編纂委員会が審議し、11対2で尹氏を有力としたが「満場一致ではない」とする不可解な理由で「作詞者不詳」となった。「尹に決まれば国歌変更へのうねりが起きると懸念した李大統領の指示」と観測する韓国人専門家もおり、「不都合な歴史」を封印したかったに違いない。

 他に、米国赤十字社が52年に刊行した《国歌集》なども見つかり、尹説は相当有力になっているが、決着は不透明。尹説に反対する勢力は「韓民族独立の父」とあがめられている独立運動家を作詞者だと主張する。「あってはならぬ=不都合な歴史」が葬り去られ、後釜に「あるべき歴史」が据えられる韓国文化を忘れてはなるまい。

 ところで、4月29日は先帝(昭和天皇)陛下がお生まれになった《天長節=昭和の日》であった。昭和7(1932)年のこの日、上海で行われた天長節祝賀会で、壇上に在った重光葵(まもる)公使(後の外務相/1887〜1957年)らに、朝鮮人テロリストが爆弾を投げ付ける。だが、右脚を失った重光を含め、居並ぶ帝國陸海軍の将軍らは誰も動かなかった。「国歌斉唱中だった」からだ。

 現在はブーイング、戦前はテロの標的となった君が代は、韓国人が「君が代の韓国起源説」を信じていない証左である。

 自国は無論、他国の建国史や国歌さえ捏造する韓国の情念は不気味だが、わが国左翼の「無国籍ブリ」も理解不能。今春の卒業式で国歌斉唱を実施した日本の国立大学は、86大学中たった14大学だった。

 国歌に命懸けで敬意を払い、書斎に掲揚した日章旗を毎朝礼拝していた重光が知ったら何と思うだろうか…。

(政治部専門委員 野口裕之)

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=133&from=diary&id=3401733

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日本人よ、「反韓・嫌韓ブーム」は見苦しい!
黒田勝弘氏、長引く反韓の空気を憂慮

福田 恵介

―1―

日本では、マスメディアを中心とした「反韓」「嫌韓」の感情的な言動や報道がなかなか衰えない。そんな状況は、在韓経験30年以上、韓国の現代史を見つめてきたベテラン記者にはどう写っているか。産経新聞ソウル駐在客員論説委員で、最近『韓国人の研究』(角川oneテーマ21)を出版した黒田勝弘氏は、「反韓の情熱に驚くばかり」と吐露する。
韓国メディアは産経新聞を「日本を代表する極右新聞」とし、なかでも支局長を長年勤めた黒田氏を「極右言論人」との枕詞をつけて紹介することが多い。そんな黒田氏でも、現在の反韓・嫌韓ブームには強い違和感を感じている。

━━衰えを知らない日本の反韓・嫌韓。この現象をどう見ていますか。
韓国滞在もすでに30年以上、韓国の反日に慣れきってしまった身からすれば、現在の日本の反韓・嫌韓ブームには非常に驚くほかない。なぜここまで広がってしまったのか。そんな中で出版した本書は、親韓本では決してない。かといって、「反韓本」として見てもらっても困るのだが、あえていえば「中間、これが真相本」だ。

━━どういう点が特に驚くべき事象なのでしょうか。
かつて日本でも反韓はあった。たとえば1973年の金大中事件の後がそうだった。この時は第1次反韓ブームと言ってもいいかもしれない。韓国の工作員が後に韓国大統領となった金大中氏(故人)を日本で拉致したという傍若無人ぶりが、日本人の怒りに火を付けた。だが、この時の韓国たたきは政治レベルでの反韓だったと言えるだろう。
反韓への“情熱”はどこから?
ところが現在の反韓は一般大衆にまで深く根付いてしまった。韓流ブームの反動という感じがするほど、情熱的ともいえるようなコリア批判になっている。実に不思議な現象だ。韓流ブームと同じく、反韓も韓国への強い関心の結果だから、日本にとって韓国がそれほど大きな存在になっていたことに改めてびっくりしている。

━━日本の書店には「反韓本」があふれています。
何冊か目を通してみたが、これら反韓本の著者の大部分は韓国の専門家やゆかりがある人ではない。専門家でもない人がなにゆえそれほど韓国に関心を持ち、韓国を批判するのか。読者を含め、その情熱がどこから出てくるのか。
韓国に住んでみると、韓国は発展したものの、生活のあちこちで「まだまだだなあ」と思うことが多い。それを考えると、韓国を目の敵にしてまで批判する感情は覚えない。日本で韓国があれほど袋だたきにされているのを見ると、逆に韓国に同情したくなるほどだ。

−2−

━━そうした「情熱」はどこから出ていると思いますか。
友人で京都大学の小倉紀蔵教授から「日本の反韓感情の背景には、(日本の)若い世代の剥奪感がある」と聞いたことがある。剥奪感とは、「韓国のおかげで損をしている」というものらしい。これを韓国人が聞いたら、むしろ彼らがびっくりするだろう。韓国人は、今なお日本に対して剥奪感を感じているからだ。
2000年代から日本や世界で広まった韓流などでようやく、「対日赤字」を少し解消してバランスが若干改善したと韓国人の大半は考えている。ただ、それと「日本から何かを奪っている」とは韓国人は考えないだろう。あくまでも自国の国力回復によって剥奪感の解消はあるからだ。
もともと、韓国人は今でも歴史を含め日本に対する被害意識が強い。日本のほうが韓国と比べて圧倒的に強いという意識がある。日韓のこの意識のギャップは非常に大きい。


日韓メディアが「誤解が誤解」を産む構造に

━━朴槿恵大統領の、いわゆる「告げ口外交」などを見ると、「韓国は日本を邪魔する存在」との見方は首肯する人が多いかもしれません。
反韓の情熱は、確かにそのような告げ口外交から生じているのかもしれない。韓国はことあるごとに日本の足を引っ張る。安倍晋三首相を右翼だなんだとバッシングすることもそうだ。ところが、韓国が日本を批判するたびに、それがネットなどを通じて日本に流れる。それに対して日本人が「また反日か」「けしからん」とすぐ反応する。
そんな反韓ぶりを今度は、韓国メディアが本国に伝える。韓国メディアは反日メディアであり、そんなメディアが毎日のように垂れ流す情報がいかに日本人を刺激しているのかを、彼らは伝えようとはしない。これの堂々巡りであり、誤解が誤解を生み出しているのだ。

━━(聞き手である)記者も韓国に住んだことがあります。当時を振り返っても、実生活でそれほど「反日」を感じたことはありません。
そうだと思う。韓国人は確かに反日だが、24時間365日、いつも反日をしているわけではない。しかし、日本の反韓は「コリアンは365日、いつも反日」を前提にして、それに怒り、不満を述べている。これは、韓国の現状とはどこかズレている。韓国を見て不愉快になってストレスをためる日本人がいるとすれば、そんなストレスを解消するために私が今回本を書いたのだと言っても過言ではない。
私は1970年代から韓国を見てきた。そして住んできた。そして隣国や隣人には多様な側面があることを痛感している。前著の『韓国 反日感情の正体』(同)では、「昼は反日、夜は親日」と書いたが、その続編として、そんな韓国の現実と情報を知ってもらいたい。

−3−

━━反韓・嫌韓の感情を持つ日本人に知ってほしい、現実の例を教えてください。
現実として韓国にはまだ「日本に学べ」という意識が強い。政治・外交的にメディアは過度に反日的な報道をするが、一般の人たちが日本に対する拒否感を持っているかと言えば、日常的には壊滅的と言ってもいい。長年韓国に住んできた日本人にとっては逆に寂しいぐらいだ。韓国に住む日本人として、以前は感じざるを得なかったある種の緊張感は今はまったくない。
ところが、そういう現状にもかかわらず、あるいは、そういう現状であるがゆえに、逆にメディアや知識人、政治家がことさら「反日」を叫ぶ。これは「韓国人は反日であるべき」という「べき論」からだ。彼らが意地になって「べき論」で反日を叫んでいる印象が強い。基本的には、これが日本の反韓を刺激しているという構造だろう。
韓国人には「理」の世界と「気」の世界がある。韓国のメディアや知識人が反日を唱えるのはこの「理」の世界、すなわち「べき論」の世界だ。理の世界では「日本を許してはいけない」という意識がある。それが彼らの中で維持されているのだ。

━━黒田さん自身、「韓国に厳しい記事を書く」として、韓国メディアから「日本を代表する極右記者」と紹介されることがあります。韓国で生活をしていて、問題は生じませんか。
日常生活で、私が被害に遭うことはまったくない。昔は産経新聞の支局にも押しかけて記事の内容について抗議されることはあったが、近年はほとんどない。
それもそうだろう。日本の観光客がソウルの地下鉄に乗って日本語を話しても何も問題がない時代だ。昔は露骨に嫌がるか文句を付けられたりしたものだが、今は何もない。これだけ見ても、韓国における日常的な反日が完全に後退していることがわかるだろう。
いまだに「日本あっての韓国」
日本からすれば、韓国は世界中で反日行動をやっている、慰安婦問題でよその政府まで焚き付ける国と考えるかもしれない。そうした、一見、激しい反日は、日本から見れば確かに迷惑で不愉快だが、これは「彼ら自身のため」でもある。
反日は韓国人にとっては今なお「元気のもと」であり、韓国人のアイデンティティ確認の材料であり、世界で韓国人ががんばれるエネルギー源なのだ。いまだ「日本あっての韓国」だから、それ自体はせつないことだが。

−4−

━━それでも行き過ぎた反日には、日本人として非常に不愉快になるときがあるのも事実です。
そこまで反日にこだわるのは、韓国人の特殊な考え方、つまり文化があるためだろう。日本の植民地になって、「日本にやられた」「日本の下だ」というコンプレックスがあり、それが民族的うっぷんになっている。これはなった者でないとわからない。日本人としてはなかなか実感しにくいのだが、それが「コリア」なのだと理解するしかない。
韓国のメディアには日本に関する記事が非常に多い。よきにつけあしきにつけ、毎日のように日本、日本、日本なのだ。スクラップしていくとすぐに段ボール箱が一杯になる。「そんなに嫌であれば無視すればよいのに」と思うが、肯定的にも否定的にも日本には関心がきわめて高い。
日本がけしからん存在ならば、無視すればよい。それでも、何かあると日本を見るし、日本に聞いてくる。近現代史を踏まえても、憎悪だけでは説明できない関心の高さだ。そんな韓国人を私はとてもせつなく思う。愛憎織りなす日本への思いは、日本に対する接近感かもしれない。反日だけでは説明できない韓国人像を、反韓を主張する前に知っておいたほうがいいのではないだろうか。
「反韓」で日本人は落ちぶれていいのか
韓国は「日本は先進国だ」と思っていると同時に、自分たちが「日本を上回った」とも思っていない。これまでの自動車や電化製品をはじめとするハードの製品や技術だけではなく、今はソフトパワーの世界で日本はやはり先進国だと思っている。

韓国もハード面ではいいところに来ているが、もはやモノではないと韓国人自身が思い始めた。特に、日本を訪れた人たちはソフトでも日本は先進国だと考えている。そのソフトとは、社会的秩序や安全、安心システム、清潔さ、人々の立ち居振るまい、サービス文化といったものだ。
現在、日本で広がっている反韓は、基本的には国際的に大きくなった韓国の存在感とその特異な反日行動に刺激されたものだ。しかし、韓国自体を「とんでもないことをやらかす存在」と思い込み、そんな韓国のマイナス情報をせっせと集めて溜飲を下げているのは見苦しいと思う。韓国人に対し、日本人はそこまで落ちぶれる必要はない。

http://toyokeizai.net/articles/-/57530
http://toyokeizai.net/articles/-/57530?page=2
http://toyokeizai.net/articles/-/57530?page=3
http://toyokeizai.net/articles/-/57530?page=4
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