三原から北西方向へ出発。
次に目指す場所は本郷町だ。
ここから同じ広島県三原市でも「安芸」の国になる。
ここには小早川隆景公が「三原城」へ移る前に本拠としていた居城跡がある。
沼田川(ぬた)をはさんで東側に「古高山城」、西側に「新高山城」が築かれていた。
小早川一族はここで源平合戦から秀吉の天下統一まで、多くの戦いに参加している。
今回はこの「新高山城跡」を先に探訪してみよう。
↑(TOP左画像)
「新高山城」(にいたかやまじょう)
本郷の町に入ると道路の沿線から城跡の看板が目に入る。
戦国時代中期の城で頂上尾根を削平した本丸や多数の曲輪、石垣、堀、土塁が残る国指定史跡になっている。
↑
「古高山城」(ふるたかやまじょう)
鎌倉時代初期の本拠で小早川茂平が築城。
城域は約41万�屬傍擇咫∩換餮淹悗鮨瑤┐覽�模と言う。
両山共、真下を山陽新幹線が貫いている。
こちらには時間の都合で今回は登城していない。
↑
「新高山城」のふもとに到着すると、登山者専用駐車場が用意されていた。
古城の旅は辺鄙(へんぴ)な場所が多いので、こういった配慮は非常に助かる。
↑
「新高山城跡」登山道入口看板
↑
“本郷町観光協会”や“新高山城跡を守る会”が山道を整備しており、足元の沓摺や休憩用ベンチを要所に設置してくれている。
しかし、山城だけに険しい山道がつづく。
↑
新高山城跡の整備イメージ図
今後、各所に休憩小屋を設置する計画があるようだ。
↑
「番所跡」
山道の途中に大手道を警固する「番所跡」がある。
軽石の段、中の段、下の段の三郭からなり、他にも東の番所、西の番所と呼ばれる郭が残る。
↑(TOP中画像)
「匡真寺跡」(きょうしんじあと)
「番所跡」を通過すると最初の広い場所に到達する。
ここは小早川氏の菩薩寺跡で天正5年(1577年)に建立していたが、現在は三原市本町の宗光寺へ移築されている。
寺跡は東西41m、南北72mに及ぶ広大な敷地で、瓦片の一部が散乱してまだ残っている。
↑(TOP右画像)
「宗光寺山門」
この山門は「新高山城」から三原市本町へ移築したと伝わる国重要文化財で前回の日記で紹介。
「四脚門」(4足)は全国的にも最大級の規模を誇り、重厚な梁組や多彩な彫刻など豪華な造りである。
しかし、城門の規模や細部意匠などから福島氏の時代に新築されたとの説もある。
次回は「中の丸」「本丸」を目指して、さらに山頂を目指そう。
つづく
ログインしてコメントを確認・投稿する