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2015年03月11日05:21

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町田市さんぽ「鎌倉街道上ノ道��(成瀬コース・ひなた村〜長津田)」

町田市さんぽ「鎌倉街道上ノ道��(成瀬コース・ひなた村〜長津田)」

○「宏善寺」(本町田3409)
ひなた村バス停で「鎌倉街道上ノ道・原町田コース」と別れ、ひなた村の前を少し行くと「宏善寺」があります。宏善寺は、元々真言宗の坊として創立され、文永8年(1271)に日蓮宗に改宗しました。鎌倉時代の戦乱で堂宇を焼失しましたが、暦応元年(1338)に再建されました。境内にはイチョウの巨樹のほか、町田市の名木百選に選ばれているイヌマキ、毎年2月に見事な花を咲かせる枝垂れ梅などがあり、季節の移ろいを感じさせる寺として隠れた人気を集めています。
http://www.tokyonanbushumusho.com/kobetsu/115.html

○「養運寺」(本町田3654)
さらに行くと鶴川街道の手前に「養運寺」があります。養運寺は、永禄10年(1567)の開創と伝えられますが、明らかではありません。丘陵地の石段を登った高台に山門があり、その奥に本堂があります。本堂には阿弥陀三尊像を安置しており、町田市の文化財に指定されています。境内は手入れが行き届いていて静かで美しく、近年再建された鐘楼の脇にはムクロジの木があり、この木は町田市の名木百選に選ばれています。その根元にはまるでこの木に包み込まれたような小さな石仏があり、不思議な姿を見せています。
http://itot.jp/13209/195

○「南大谷天神社」(南大谷451)
恩田川に沿ってなおも行くと、小田急線の手前に「南大谷天神社」があります。南大谷天神社は、菅原神社、町田天満宮とともに町田三天神として知られていますが、春は桜の名所としてもよく知られています。木立に囲まれてひっそりとした印象があり、境内には桜の木が大きく育ち、初夏から秋にかけては社がすっぽりとそれらの木陰に包み込まれてしまいます。天神社は、その名が示す通り、京都の北野天満宮を総本社として菅原道真を御祭神として祀っています。案内板には、社の由緒として「正保2年(1645)に五十嵐豊前守勝春の末男五十嵐次郎左衛門が大谷村の村長となって御神像を島山屋法春に造らせ天満宮を鎮守として奉安したと伝えられている」などと書かれています。
http://www.mrfujii.jp/walk/heritage/jinja/92minamiooya.htm

○「かしの木山自然公園」(成瀬3084)
さらに東に向かうと、だんだんと上りとなり、坂上右に「かしの木山自然公園」があります。「鎌倉街道上ノ道」は、右折してこの公園に入っていきます。かしの木山自然公園は、成瀬の北西の端、西に恩田川を見下ろす丘の上にあります。昭和53年に開園したもので、4.8haほどの面積の園内のほぼ全域を林が占めており、尾根筋には鎌倉古道跡も残っており、古い時代の多摩丘陵の姿を保った、自然溢れる公園です。小径を辿って園内を一巡りした後は、「中央広場」で鳥の声を聴きながらのんびりと一休みするのがお薦めです。公園内にはシラカシが多く自生しているということですが、もちろんさまざまな樹木が茂り、ミズキなども多く、オオシマザクラやヤマザクラも少なくありません。雑木林散策の醍醐味は存分に味わうことができます。また、広場の南端部分には「六角亭」と名付けられた四阿があり、そこからは木々の隙間に西方の視界が開け、恩田川河畔の高ヶ坂の住宅街から町田市中心市街、さらにその向こうには遠く丹沢の山並みを眺望することができます。中央広場から尾根筋の散策路を南へ辿ると、木々の間を抜けて公園の南口へ至ります。南口へ至る小径はいかにも古道らしい佇まいで、鎌倉古道の跡だといいます。鎌倉古道についての解説を記した案内板が小径脇に設置されています。
http://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/park/kashinoki/park10.html
http://www.machidashi.net/sight/kashinoki/

○「鞍掛の松公園」(成瀬)
南口から公園を出て、園内の小径の延長のように延びる小径を辿ると、尾根を東西に越える道路を小さな橋で渡ってさらに南へ続き、やがて住宅街の端の道路へ出ますが、この住宅街の一角に「鞍掛の松公園」という小公園があります。公園入口に「鎌倉古道」の石柱があり、公園内に「鞍掛の松」についての解説があります。元弘3年(1333)鎌倉攻めのために挙兵した新田義貞が、分倍河原の合戦で北条泰家に大勝した日の夜、この地で兵を休ませ、その際に新田義貞が馬の鞍を掛けた松が、後に「鞍掛の松」と呼ばれるようになったといいます。
http://tottoka.blog45.fc2.com/blog-entry-169.html
http://mycitymachida.com/toubu/naruse/260/

○「金毘羅神社」(成瀬2587)
鞍掛の松公園から南に下っていくと「金毘羅神社」があります。神社については詳細不明。現在では住宅街に埋もれていますが、かつては山腹にあったことが地形から想像されます。
http://www.mrfujii.jp/walk/heritage/jinja/76konpira.htm

○「道祖神と庚申塔(成瀬消防出張所前)」(成瀬2105)
成瀬街道に出て東に向かうと、成瀬消防出張所前バス停のところに「道祖神と庚申塔」があります。左が文久2年(1862)の道祖神、右が元禄4年(1691)の青面金剛庚申塔です。右の青面金剛庚申塔の下部には、当然のようにある三猿のさらに下に、向かい合った鳥らしきものが彫られています。

○「弁財天(弁天橋公園)」(成瀬2045)
成瀬消防出張所の裏手、恩田川沿いに「弁天橋公園」があります。公園内東側に弁財天があります。公園の恩田川沿いの桜は有名です。
http://www.3oh.co.jp/sakura/data2012/010m.html

○「石塔群(成瀬センター前交差点南西角裏)」(成瀬)
「鎌倉街道上ノ道」は成瀬街道の北側を通り、成瀬センターにぶつかってセンター前のコンビニの東側の小道に入ります。すぐ左手に「地神塔などの石塔群」があります。地神塔には、文政11年(1828)の銘があります。この石塔群は、成瀬高校北側の成瀬センター前交差点南西角の裏手に立っており、この近くを鎌倉古道が通っていたことを示しています。恩田川は成瀬高辺りから西に向きを変えますが、その南側高台に成瀬城 (砦)があったといいます。往時、城(砦)は街道を見下ろす位置に築かれることが多く、このことも近くに鎌倉街道の存在を想像させます。

○「成瀬城址(城山公園)」(南成瀬3-16)
城山公園に成瀬城址の石柱が立っています。東運寺の石碑(縁起)に、成瀬城のことが記されており、小田原北条氏が関東進出し、大永4年(1524)頃、それまで廃城であった小机城を重臣笠原越前守信為の居城としました。さらに勢力拡大に伴い小机城の支城を各地に築き、出城として会下山に成瀬城を築城しました。
http://tama-oldcastle.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/02/post_4b81.html
http://jyokakuzukan.la.coocan.jp/001tokyo/117naruse/naruse.html

○「天狗道祖神(西山児童公園)」(南成瀬4-19)
城山公園の下流にある西山児童公園に「天狗道祖神」があります。公園の右側の片隅にひっそりと建っています。右から天狗道祖神(顔が欠けた天狗、左手に葉団扇、右手の持ち物は欠けて不明)。文字地神塔。文字庚申塔。文字道祖神。
http://www2.tok2.com/home2/dousojin/tokyo/matida/1001.htm

○「成瀬吹上の石仏群」(成瀬)
成瀬街道に戻り、東に向かうと県境手前の路傍に「石仏群」があります。寛文11年(1671)の寒念仏供養地蔵(右端、川田家の首切り地蔵と呼ばれているらしい)。元禄14年(1701)の文字庚申塔。元禄2年(1689)の合掌阿弥陀を主尊とする庚申塔。
http://nityo.blog.so-net.ne.jp/2012-12-20

○「天狗道祖神と地神塔」(南成瀬8-10)
少し戻り気味に恩田川の都橋を渡って行くと、成瀬高校から南二小の北側を通り吹上橋を渡ってきた「鎌倉街道上ノ道」に出合います。「成瀬クリーンセンター」の南、道路反対側に「天狗道祖神」と「地神塔」があります。天狗道祖神は、舟形光背、造立不明。説明板によると、全国的に類例を見ない貴重な天狗童子(烏天狗と呼ぶ人もいる)で、髪を高く結い吊り上り目を半眼に開き、翼を左右に拡げ、右手に七裂きの八つ手を持って胸にあて、左手に錫杖を持っています。昔、成瀬中村に薬師堂があり、修験者たちが加持祈祷を業としながら、造塔信仰をひろめていたとされ、村人と修験者との深いかかわりの中に造立されたものだといいます。地神塔は、嘉永2年(1849)建立。この場所は、小川地区の柳谷戸と呼ばれる地域から発する柳川が流れ、そこから揚水するための東光寺堰(せき)の前でした。「稲作の豊かな稔を祈る」村民の切なる願いが塔を建立させ、神のご加護と相まった豊作を願い、地の神様に講中一同で深く祈り上げたものと思われます。
【庚申塔丸彫り地蔵】
天狗道祖神の向かい側に立っている「庚申塔丸彫り地蔵」は、享保8年(1721)建立。台座に一猿が浮彫され、念仏庚申と彫られています。庚申を念仏講の礼拝対象とし、講々の仏を賜り参拝する行事を完了した記念として造を建立したと思われます。
http://8317.teacup.com/mwa/bbs/466

○「梅稲荷大明神」(南成瀬8-13)
天狗道祖神の裏の坂道を上がっていくと、「梅稲荷大明神」があります。
http://www.mrfujii.jp/walk/heritage/jinja/107umeinari.htm

○「与兵衛坂」(南成瀬8-10と11の間の坂)
「与兵衛坂」については、『町田の民話と伝承(第二集』に次の話があります。
《昔、東光寺(南成瀬8丁目)に「与平」という名医がいた。この医者に診てもらうには馬坂(与兵衛坂の東側の坂)を通らねばならなかった。そのうちに一刻も早く診てもらいたい気持ちから近くの崖をよじ登って診察を受けに来るものが出るようになった。親切で患者思いの与平は、崖を切り通して近道を作り患者の便を計った。人々はこの坂を感謝と敬意を込めて「よへい坂」というようになった。》
http://homepage3.nifty.com/k_harada/tsurugamine/tsurugamine.htm

○「田苗坂」(南成瀬8-3と10の間の坂)
与兵衛坂の東側の坂。『町田の民話と伝承(第二集』に次の話があります。
《坂のなかほどにどんな日照りの時でも清水の湧き出る溜池があった。村人はこの溜池に苗床作りの間、籾を浸しておき時期をみはかり苗床に籾まきをした。田の苗を浸しておく溜池がある坂道というので、いつとはなしに田苗の坂、「田苗坂」と呼ぶようになった。》
坂の途中に「田苗坂改修記念碑」があります。また、田苗坂の途中から右(南西)に分かれて上る坂が「馬坂」と呼ばれています。

○「中里好治忠魂塔」(横浜市緑区長津田町)
与兵衛坂を後にすると「鎌倉街道上ノ道」は左へ緩やかに曲がります。前方にこんもりと樹木で覆われた薄暗い小丘があります。昔は「崖山」と呼ばれた所で刑場のあったところといいます。崖山の石段を上ると、『陸軍歩兵軍曹 中里好治』と刻んだ大きな墓碑が一基と、その右隣に形の崩れかけた地蔵が1体立っています。地蔵は、ここで処刑された「義民原嶋源右衛門供養碑」といいます。「中里好治忠魂塔」は、日露戦争で戦死した中里好治という兵士を悼む碑で、説明板によると、この人が参加した旅順攻略作戦は無謀なもので、乃木将軍率いる司令部が無能であっため多くの犠牲者が出たというようなことが書かれています。
【名主原嶋源右衛門死刑の地】
この辺りは崖山と呼ばれて、「崖山地蔵」とも呼ばれており、昔は道端にあってあたりは暗かったので、くらやみ坂・ゆうれい坂などと呼ばれ、どうしても通らなければならない時には大風呂敷ですっぽり隠してから通ったといいます。原嶋源右衛門という人が処刑されたという場所だそうで、ここにも解説板があります。その概略は次のとおりです。
《成瀬村の名主原嶋源右衛門が、成瀬村と長津田村にまたがる葦沼という湿地帯を努力のすえ、新田として開発した。しかし、それを妬んだ長津田村から境界問題でクレームがつき、話し合った結果、一部を長津田村に譲って、境界を確定することで決着したと思われた。ところが、奉行所がこれに横槍を入れ「公儀をたぶらかした」として、原嶋源右衛門を罪人に仕立て、1716年に通称がけ山と呼ばれるこの場所で打首、一家断絶となった。その背景として江戸の発展と幕府の財政問題、それに関連した土地紛争の多発があり、紛争鎮圧のための見せしめとして犠牲になった。》
この過激な説明文には、筆者の住所氏名まで明記されています。町田市成瀬の中里猪一という人で、となりの碑の旅順で戦死した人も中里という姓ではなかっただろうか。おそらく、子孫か縁者でしょう。原嶋源右衛門の話に戻りますが、「町田の民話と伝承第一集」という資料に基づく解説がありました。以下、その一部を抜粋します。
《昔、成瀬村の東光寺部落と長津田部落との間に境界争いが起こり、それがもつれにもつれた末、あらかじめここぞと思う場所に、一夜のうちに、有利なように地中に木炭を一列に埋めて境界の証拠とした。幕府の役人を呼んで検地してもらったところ、役人は以後、この境界のむこうを長津田とし、こちら側を東光寺とすることになり、東光寺部落は一応この訴訟に勝った。しかし、 訴訟に勝ったが、この木炭は埋められてからあまり期間が経っていないため、わざと境界を偽ったことが知られてしまった。この結果、首謀者の原嶋源右衛門が 捕らえられ、源右衛門及びその一家は悉く処刑されてしまった。》

○「八坂神社(御野立落雁)」(横浜市緑区長津田町)
さらに進み東急と横浜線のガード下が見えてくると、左にかなり磨り減っている庚申塔があります。ガード下を潜り線路沿いに上って行くと「八坂神社」の北側に着きます。境内裏の細い道を進むと、林の中に「皇太子殿下御野立之跡」(長津田十景・御野立落雁)という大きな碑がたち、隣には慰霊塔があります。その脇には「八坂神社」があります。大正10年の陸軍大演習で、当時の皇太子(昭和天皇)が演習をご覧になった場所だそうです。眼下に恩田川(鶴見川の支流)とその周辺の地を一望できる場所です。落雁は雁が空から舞い下りる様子です。
http://www.city.yokohama.lg.jp/midori/kankou/miru/cultural.html
http://carpincho.moo.jp/yama/n10k/index.html

※「鎌倉街道上ノ道・成瀬コース」は、この先、線路上の新長津田橋を渡り、駅南口入口交差点の西側から長津田みなみ台を通り、南の霞ヶ丘へと向かっています。

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