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2015年02月10日01:08

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山の上のホームレス・長良川遡行第3回

長良川完全遡行を続けている。
先週はその第3回目へ行った。
ちょっと変化の少ないコースかなあと思っていたら、目まぐるしくいろいろあった。
以下はその報告。


2月7日(土)

東海道線と岐阜バスを乗り継いで、長良橋に着いたのは午前7時だった。
ここは岐阜市の街なか、岐阜城・金華山の麓だ。

今日は長良川の右岸を関市まで歩く予定だ。

長良橋の上流は鵜飼の船着場になっている。
春から夏にかけてのシーズンには、すごい人出で賑わうところだ。
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やがて河原が広くなり、金華山の裏側が見えてくる。
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ほどなくして鵜飼い大橋に到着。
橋を越えると、手作り感いっぱいの広場があった。
ツリーハウスなどが作ってある。
こういうところでバーベキューをすると盛り上がるだろう。
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広場から踏跡をたどり、堤防の上に出る。
堤防道路を歩いていたら、道路工事だった。
トンネルを掘っているようで、仮設の足場のようなところを歩かされた。
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工事地帯を抜けると、道沿いに喫茶店があった。
「リバーサイド・ロキシー」というお店だ。
わたしは朝ごはんがまだだ。。
モーニングサービスを食べることにした。

さすが岐阜だけあって、狂ったような豪華サービスだった。
サンドイッチのメンチカツは自家製のさくさくコロモだ。
同行者の頼んだフレンチトーストも絶品だったようだ。
店内は古い作りで、歴史を感じさせる。
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しかし今の道路工事が完成したら、この店はどうなるのだろう。
トンネルができて、店の前の交通量が減り、売上げは激減するだろう。
閉店するんじゃないか。

日本の地方のあちこちで、こういうことがたくさんあった。
広く立派な道路ができて、旧道沿いのお店が潰れる。
立派な新しい道路の方は、トンネルや高架ばかりでお店なんて作れない。
地元の文化と経済が没落していく。

最近は地方創生なんて言われている。
活性化の一つの方法として、高速道路と新幹線を破壊してはどうだろうか。
日本全体の経済は縮小するかもしれないけど、相対的に地方が発展するような気がする。


お腹がいっぱいになった。
少し歩くと「天覧鵜飼御乗船地」という石碑があった。
天皇が来たのか。
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長良川の鵜匠は、宮内庁の職員という身分になっているからなあ。
天皇に天然鮎を食わせる係でもあるのだ。

そしてここは鵜飼船の出発地でもあるらしい。
きれいな河原に降りると、金華山がもうはるか下流になった。
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また上流へ歩いて行くと、コンクリートの真新しい遊歩道があった。
なかなかアートな雰囲気の道だ。
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それが途切れると千鳥橋だ。
道路に戻り、鏡岩という奇岩を過ぎる。

道が直線になり、堤防道路が現れたところに、珍しい墓地があった。
あまりに珍しいので詳しく書くと長くなる。
なのでこれは次回の日記で書くことにして、先に進む。
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堤防道路の先には藍川橋がある。
そのたもとにコンビニがあったので買い物をする。
今回の遡行で、沿岸唯一のコンビニだ。

橋を越えると、また堤防道路だ。
川は二股になっている。
ここで長良川は流れが複雑になり、側島という中洲ができている。

やがて岐関大橋が見えてきた。
岐阜市と関市の境界辺りだ。

その橋の手前に、また珍しい墓地があったけど、長くなるので次回に書く。

橋の向こうでは、武儀川との出合いがある。
500メートルほど武儀川を遡行して千疋橋を渡り、また長良川に戻る。
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千疋橋の手前で昼食にした。
といっても、さっきのコンビニで買ったのは缶ビールとおつまみだけだ。
ビールがお昼ごはんという、まことに不健康な食事であった。

長良川に戻り、千疋大橋を越える。
大きな珪砂工場を過ぎる。
工場の隣に「塚原遺跡公園」というのがあった。

この塚原遺跡というのは、縄文時代と古墳時代の遺跡が同じ場所から出土しているという珍しいところだ。
狭い広場だけど、古墳と竪穴式住居が並んで復元してある。
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資料館に入ってみた。
入場無料なのに、お客さんが誰もいない。
係の人が暇なので、わたしたちに付ききりで説明してくれた。

この遺跡公園から上流が、鮎の友釣り場だ。
ガードレールの所々に釣り場を示す赤テープが巻いてあり、踏み跡が川まで続いている。
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川岸が切り立ってきたので、堤防道路がなくなった。
道路にそって歩く。
小さな丘があり、道路はそれを回りこんでいる。

丘のむこうに出ると、工場があり、その横に細い道があった。
釣り人用の道なのだろう。
どこまで行けるか、進んでみた。
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すると、鮎の瀬大橋までほんの100メートルぐらいのところで踏み跡がなくなった。
この先は大きな岩の崖があり、先に行けない。
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戻るのも面倒だ。
崖の横の急斜面を登ることにした。
樹木が生えているので、枝につかまりながらなんとか上がれる。

やがて傾斜が緩くなり、僅かな踏跡を発見した。
踏み跡を辿って行くと、小高い丘の頂上だ。

なぜかラジオの音がする。
頂上にはシートで作ったテントが張ってある。
ゴミや生活道具が散乱している。
誰か住んでいるのか?
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わたしたちが近づくと、ラジオの音がやんだ。
テントの中の人が警戒しているような気配だ。

「すみませーん。ちょっと通りまーす」
と言って、頂上テントを越えた。
とんでもない断崖絶壁から現れて「すみませーん」もないのだけど、他にどう言えばよいのか。

テントの向こうには脱糞の跡がたくさんあった。
大便の数からして、この人は長期間滞在していることがわかる。

踏み跡はさらに先に伸びていて、辿って行くと道路に出た。
鮎の瀬大橋のすぐ際だった。

それにしても、あの頂上のテント暮らしの人は何だったんだろう。
世捨て人か、地元の変わり者か逃亡中の犯罪者だろうか。
警察に届ければ賞金をもらえたかもしれない。

鮎の瀬大橋から先は、平和な堤防道路だった。
1キロも歩かないうちに鮎之瀬橋に着いた。
今回のゴールだ。
ここから関市の中心まで、2キロぐらい。
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時間があるので付近の観光をする。

橋の横に「円空入定塚」があった。
江戸時代の有名なお坊さんだ。
現代アートのような仏像を何万体も彫った人だ。
その人が即身仏になるために土中入定した場所らしい。
穴を掘れば円空さんの即身仏が出てくるのだろうか?
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でも山の上には円空さんのお墓があった。
死体はどっちにあるのだろうか?

少し戻ったところに「関市円空館」というミュージアムがあった。
もちろん円空の仏像がメインの展示だ。
入場料200円にしては見応えがあった。

この円空館の立っている場所は「弥勒寺跡」という。
古いお寺の遺跡だ。
ミュージアムの横には、広い発掘された遺跡がある。
でも、お寺の跡ということで、標石がところどころ立ててあるだけ。
たんなる原っぱで、面白くなかった。
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鮎之瀬橋を渡って、市街地へ行く。
今日の宿泊は「シティホテル関」だ。
関市内で一番安いビジネスホテルだ。

荷物をおろして落ち着いたら、もう午後5時だ。
近くの繁華街で中華料理を食べた。
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(たぶんつづく)
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