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2014年12月11日01:05

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堤防を歩き岐阜羽島に着く

12月7日(日)

海津温泉を出発したのは7時45分だ。
このまま長良川右岸を歩いてもよかった。
そのほうが近い。
でも堤防上の県道は交通量が多すぎる。
大型車が来ると危険を感じる。

三川公園まで戻り、立田大橋を左岸に渡ることにした。
4キロほど昨日来た道を歩く。
公園では自転車レースをやっていた。

立田大橋から先は愛知県だ。
この辺りは県境が入り組んでいる。
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橋のすぐ近くの堤防道路に車両通行禁止の柵がある。
ここから背割堤防が始まる。
明治時代の三川分離で作られた、最も大規模な堤防だ。
11キロの細い道が続く。
右が木曽川、左が長良川だ。

これだけの長さだと、道路の先は地平線に消えている。
天気もいいし、自動車も来ないし、のんびりと歩いて行く。
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去年の木曽川遡行でも背割堤防を歩いた。
あのときは吹雪と強風で、前を見ることもできなかった。

葛木渡船場の跡地に来た。
前回は歩くのに必死で、こんなところに気づかなかった。
2011年まで使われていた、渡し船の乗り場だ。
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2時間ほど歩いた。
また岐阜県に入る。
東海大橋が見えてきた。
これを過ぎると残り3キロほどだ。
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橋を越える。
土手の草むらに座ってお昼ごはんを食べる。

終点が見えてきた。
民家も見える。
背割堤防が終わって道が二股になっているところに記念碑がある。
三川分流碑だ。
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去年来たときはどうしてここに、こんな記念碑が建っているのかわからなかった。
ここは、背割堤防の上流の端は、木曽川水系分流事業のいちばん重要な場所なのだ。

長良川に沿って堤防道路を歩いて行く。
伊吹山が見えてくる。
昨日は山の上は雪だったようだ。

最初の大きな橋、南濃大橋を越える。
ここから堤防を街の方に下りる。
ほんの50メートルぐらいのところに大須観音がある。
名古屋の大須観音が移転する前に建っていたところだ。
お寺の名前も同じ「真福寺」だ。
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ここに来るのは3回目だ。
今回は長良川を歩いてきたから、地形がよくわかった。
本当に川のすぐ際のゼロメートル地帯にある。
昔だったら、いつ水害で流されてもおかしくない。
こんな危険なところに大量の国宝や重要文化財があったのだ。
徳川家康が移転を強行したのは当然のこと。
いまは名古屋台地の地盤がしっかりしたところにお宝がある。

堤防に戻る。
このあたりから河原にアスファルトの道が続いていた。
河川管理用の道路で、一般車両通行禁止だ。
ときどき自転車や歩行者が通り過ぎるだけ。
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ここを歩くと静かで気持ちがいい。
でも芦に遮られて川が見えない。
遡行をしているという気分になれない。
だからときどき堤防道路や土手の途中の段差を歩く。
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名神高速道路を越えた。
堤防に上がったら金華山が見えた。
織田信長の岐阜城が頂上にある山だ。

さらに1時間ほど歩く。
もう午後2時になった。
やっと東海道新幹線の鉄橋が見えてきた。
今回の遡行の終点だ。
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鉄橋を越えたところに河口からの距離の表示板があった。
34.6キロだ。
たぶんこの2日間で50キロぐらいは歩いただろう。
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線路にそって県道を歩く。
1キロほどで新幹線の岐阜羽島駅に着いた。
豪勢に「こだま」に乗って帰ろうと思ったけど、1時間に1本しか来ない。
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名鉄羽島線で帰ることにした。
15時10分の電車だった。
笠松経由で名古屋駅へ。

今回は堤防歩きばかりだった。
建物も伊勢湾台風以降に作られた新しいのが多かった。

次回から、長良川は歴史と清流の姿を現すはず。

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