僕が初めて登山らしきものを経験したのは、中学の学校行事である耐寒登山。
金剛山に上りました。
当時ラグビーをしていて体力に自信があった僕にとっては苦も無く登れたのですが、それほど楽しいものでもありませんでした。
そのままこれといって山に触れることもなく十数年過ぎた1988年、東アフリカのケニアでキャンピング・サファリに参加していた僕は、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ(標高5895m)のケニア側の麓でテントを張っていたのです。
そこではいろんな動物たちを見て楽しんでいたのですが、それに勝るとも劣らない感動を与えてくれたのが、毎朝キリマンジャロの横から上る朝陽だったのです。
毎朝まだ暗いうちからテントの外に出て、カメラを抱えて右に左にと子供のように走り回ったものです。
刻々とその色を変えるその空と、壮麗な姿に輝くキリマンジャロの雄姿に涙することも…。
そして、とうとうその姿を見ているだけでは満足できなくなってしまったのです。
自分の気持ちに正直でありたいと思っている僕は時に衝動的な行動をとることがあるのですが、この時もツアーを離れてタンザニア国境を超えることにしたのです。
そう、キリマンジャロに上るために…。
とはいえ、キリマンジャロに上ることなど露ほども考えていなかったので、何の用意もしていません。
装備はレンタルで揃えますが、靴は革製のボロボロで重〜いものだし、ウェアにいたってはアラスカのモービル石油のガス・スタンドの制服です…(笑)。
それでも、キリマンジャロ登山は楽しいものでした。
この山は標高は高いけどすごく傾斜がなだらかなので、最初の3日間はハイキング気分。
やがて眼下に雲が見えるようになるのですが、こうなると雲の上を歩いているような気分です。
でも、4日目になると事情が変わってきます。
普通の人の高度限界は4千メートルぐらいだそうですが、4500メートルあたりから僕にも高度障害が…。
200〜300メートル歩いては立ち止まって、息を整えてまた歩き出すという繰り返し。
そして、5日目には地獄を見るのです。
この日は最高点のウフル・ピーク(5895m)でご来光を眺めるために夜中の1時ごろに出発するのですが、外は雪の八甲田山を髣髴させる吹雪です。
しかも傾斜はきつくなるし、植物も生えない砂地なので踏み出す脚がズルズル滑るのです。
何度も「やめたい」と思ったけど、僕がやめると6人のチーム全員が降りなければならないので、とてもそんなことを口に出せはしません。
やめる勇気というのは、そう簡単なものではないのです。
何も考えずに足を踏み出すしかないのですが、頭はほとんど何も考えていません。
最後は意識も朦朧としていたし、写真を撮ることもできませんでした。
カメラを取り出し、ファインダーを覗いてシャッターを押すという簡単な作業さえできない状態だったのです。
そんな中、チームリーダーのアメリカ人テッドが撮って後に送ってくれたのは救いでしたが…。
キリマンジャロに上っている間、何人もの欧米人旅行者が僕が日本人であることを知ると富士山について尋ねてきます。
キリマンジャロに上ろうという人にとっては、日本といえば最大の関心事は富士山なのです。
でも、僕が知ってるのは金剛山のみ。
それで、日本に帰ってから富士山に登ったのです。
ということで、僕の登山歴は金剛山、キリマンジャロ、富士山という順番になったのです…(笑)。
その後、登山の方向には向かわなかったけど、トレッキング、山歩きの楽しさを覚えた僕は毎年冬場は山歩きを趣味とするようになったのです。
あのキリマンジャロの横から上る朝陽を見ていた日々が無かったら、今ごろ僕は冬の休日をどのように過ごしていたのでしょう…。
ログインしてコメントを確認・投稿する