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2014年11月22日00:10

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文科省の英語観に疑問【長文】

いきなり「小学3年から英語教えることになったからるんるん
とか言われたって現場の先生も困るだろうに。
まずは英語を教えられる先生を養成するのが先決じゃないの?

記事を見た限りでは、
その点をどうするのかについての記述が
どこにも見当たらないんだが。

生きた英語が充分身についてない先生が変な英語を教えて、
最初にブロークンな英語が身についてしまったら、
後でまともな英語に修正するのは大変なんだよ?

それに、「子供が自ら課題を見つけ解決を図る」って、
むしろ日本の教育自体がそういうことを極力避けて、
「与えられた課題に対して、疑問を持たずにひたすら正解を求める」
という方向でずっとやってきたのに、
英語だけそれと真反対のことをやろうというのか?

もう一つ、以前文科省の有識者会議が
「アジアトップ級の英語力を目指すべきだ」とか言ってたけど、
言ってることの意味が分からん。
「トップ」って何をもって言っているのか?

TOEICやTOEFLの国際ランキングで上位に入ることか?

そうだとしても、そういう試験で高得点をとったからって
必ずしも英語が使いこなせるとは限らないわけで。
逆に、イングリッシュ・モンスターみたいに、
例えひきこもりでも試験に特化した勉強をして
最高得点を叩き出すことも出来なくはない。

そういうのでなく、
もっと実践的・実用的な英語力を求めているとしても
アジアにはフィリピン、シンガポールみたいに
小学校から英語教育を行ってて、
高等教育は全部英語っていう国も少なからずあるのだが。
そういうところと太刀打ちできるとはとても思えない。

「英語での高度な内容の話や文章が理解でき、
論理的で明瞭に話せ、達意の文章が書ける
高度な英語力を目指す」とかいうならまだ分かるんだけど、
不用意に「アジアでトップクラス」とかいう言い方をしちゃうあたり、
そもそも文科省の英語観自体が歪んでるような気がする。

「なあ、ひょっとして語学ってもんをナメてない?」と
おれなどは思うんだけど。

このおかしさは、英語力を「日本語力」に置き換えてみればよく分かる。
たとえば、村上春樹の日本語力はいくらで、
百田尚樹の日本語力はいくらとか言ったら、誰だって「変だ」と思うだろう。

それなのに「英語力」だと「アジアでトップクラス」などと、
英語力がランキングできることを前提にした物言いをして怪しまない。
連中は英語力というものを、
『ドラゴンボール』の「戦闘力」みたいに
簡単に数値化・計量化できるものと思ってるのではないか?

これは、文科省の関係者がどれだけ深く「英語=受験英語」という
観念に毒されているかを物語るものだと、おれは思う。

そんな連中がいったいどういう英語教育をやろうというのか。
はなはだ気がかりである。


―――――
■小3から英語教育=高校日本史は必修化―学習指導要領改定を諮問・文科省
(時事通信社 - 11月20日 11:01)

 下村博文文部科学相は20日、小学3年からの英語教育開始や高校の日本史必修化などを含む学習指導要領の全面改定を中央教育審議会に諮問した。子供が自ら課題を見つけ解決を図る「アクティブ・ラーニング」と呼ばれる学習の充実に向けた提言なども求め、知識偏重から主体性重視への教育内容の転換も打ち出した。

 指導要領は約10年ごとに改定され、現行要領は小中が2007年度、高校が08年度に改定、11年度以降順次実施された。中教審は16年度中にも答申し、20年度以降、新要領に基づく授業がスタートする見通し。

 諮問によると、国際的な人材育成に向け、英語に親しむ「外国語活動」を小学3年から始め、5年から正式教科にする。「読む、書く、聞く、話す」の4技能育成が重要とし、「身近なことで気持ちを伝える」(小学校高学年)、「英語による授業を基本に、身近な話題で互いの考えを伝え合う」(中学校)、「幅広い話題で発表や討論」(高校)などの達成目標を設ける。

 高校では自国への理解を深めるため、現在は選択科目の日本史必修化を検討。世界史と合わせた新教科創設も含め地理歴史教育を見直す。また、国民投票年齢が満18歳以上になることを踏まえ、社会の一員として自立した力を身に付けるため新たな教科を導入することや、科学や数学で才能ある生徒を伸ばす新科目の創設、職業教育の強化なども諮問した。 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3149904
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