10月21日(火)
朝起きた。
雲は厚いけど雨は降っていない。
わたしは山に登ることにした。
同行者たちは、せっかくだから登る人と、雨が降りそうだから観光する人に分かれた。
まったく韓国まで来て山にも登らず観光なんて、何を考えているのだろうか??
午前7時、旅館を出る。
300メートルも歩くとヘインサ(海印寺)の入り口だ。
お寺の参道や境内の横を歩いて行く。
1キロほどで登山口だ。
石畳のよく整備された坂道を歩く。
木々が真っ赤に色づいていて美しい。
のんびりと落ち葉を踏みしめながら登っていく。
めざす頂上はカヤ山(1433m)だ。
漢字で書くと「伽耶山」。
このあたりは昔、伽耶国と呼ばれていた。
天皇陛下の先祖も伽耶出身だという言い伝えがある。
この言い伝えが本当だったら、在特会は皇居へ行って「天皇は朝鮮へ帰れ〜!」と叫ばなければならない。
という歴史のある山なのだ。
だけど深い霧が出ている。
景色が良くないどころか、ちょっと先もよく見えない。
整備された道だから迷うことはないけど、どうも面白みがない。
2時間ほど歩いたら、突然大きな岩場になった。
踏み跡もよくわからない岩の上を登っていく。
足場が濡れていて滑りやすい。
それを乗り越えて、少し歩くと高さ100メートルほどの大きな岩場がある。
サワンボンというピークだった。
頂上に着いたら雨が降りだした。
景色が見えないので、記念写真だけ写して降りる。
岩場の下に、さらに先に道が続いている。
最高峰のチルブルドンへ続いている。
緩斜面を歩いて行く。
また大きな岩場があって、立入禁止のロープが張ってある。
どうもこの上がチルブルドンの頂上のようだ。
せっかく日本から来たのだから、ロープをくぐり抜けて登っていく。
踏み跡は切れ落ちていた。
急な岩場を慎重に登る。
頂上は尖った岩だった。
午前10時に登頂した。
大岩に乗っかり、跨いでおにぎりを食べた。
どうも天気が悪いので、早めに降りる。
登山口に近づいてきたらメールが入った。
旅館居残りの同行者が、やっと起きだして海印寺の見学に来ているという。
参道の途中で待ち合わせをして合流した。
いっしょに観光することにした。
食堂でビビンバを食べる。
勘定を払おうとしたら「イルボントン、イルボントン!」と言われる。
イルボントン(日本のお金)がどうしたのか?
食堂のおばさんは、日本のお金で支払ってほしいという。
日本の1000円札がきれいで珍しいから壁に貼って飾っておくという。
そういえばずっと以前の日本のお札は聖徳太子と伊藤博文だった。
二人とも朝鮮侵略をした、韓国人にとっては大悪人だ。
よくこんな人物をお札にしていたものだ。
いまは野口英世でよかった。
おばさんもわたしも素直に喜ぶことができる。
海印寺の参道を歩いて行く。
途中の博物館を見学したり、屋台を覗いたり。
お寺は広かった。
大きな建物がたくさんあって、参拝の人で賑わっていた。
世界遺産があるからだろう、外国人もたくさんいた。
境内を登ったいちばん奥に世界遺産の「大蔵経板殿」があった。
1000年前に作られた仏経典の版木を収めてある建物だ。
大蔵経というのはお経の全集のようなもの。
ここにある版木を印刷したものが日本に伝わり、各地の有名なお寺に残っている。
8万枚を超える膨大な木の板にお経が彫られ、韓国の山奥で1000年間大切に保存されてきた。
建物は古く大きな木造建築だ。
中は体育館ぐらいの広さがある。
格子戸の隙間から版木が見える。
写真撮影禁止なので、横にあるパネルを写した。
素晴らしい。
さすが世界文化遺産だ。
深夜にこの建物に忍び込んで、灯油をぶちまけて火をつけたら怒られるだろうなあ。
世界遺産で印刷した般若心経が500円で売っていたので購入する。
日本で親しまれている般若心経は鳩摩羅什の翻訳だ。
こちらは玄奘三蔵の翻訳版。
2つ比べてみると玄奘三蔵のほうが中国の口語に近い。
鳩摩羅什は漢詩のように訳しているから、日本で読経しやすいのだろう。
このように書くと海印寺はインテリジェンスなゾーンのようだ。
でも脱力するような日本語看板が2つもあった。
「ごみやビンビョンはドエガジて来ましょう」
正しくは「ゴミや空き瓶はお持ち帰りください」
安物の翻訳ソフトを使っているな。
「海印寺 ほうもん かたみ」
「海印寺訪問記念」を安物ソフトで翻訳したのだろう。
でも、記念→かたみ、というのは素晴らしい。
ゆっくり観光していたら日が傾いてきた。
山から降りて、雨の中をお風呂にも入らず歩きづめだ。
そろそろ旅館に帰ろう。
今夜もここで連泊だ。
(つづく)
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