以前、泣く人を書いたけど、喋る人も多く居る。
とかく、女性はおしゃべりだが、女性に限らない。
例えば責任ある人のばやい、この話しはこの人に話して良いのかどうか見極めがつかずに喋る人が居たばやい、その人の下で働いている人、話された人はとても戸惑う。
喋るという事は、ここだけの話し!っと前置きしながら、実はその人から全体に伝わってくれればとの願望もあるのかも知れない。
責任ある立場でこれをされたら多いに無責任だ。
だが、責任がないと思っているオバンやオジンのばやい、一対一なのだからと、そのお喋りはとめどない。喋り続けたいのだろうか。沈黙が不安なのだろうか。
内容と言えば、芸能人の悪口や身内の悪口。それも毎回同じ相手のことばかり。もう聞いた話ばかり。過去をそんなに引きずっているのは可哀想だなぁと思うのが、もう耳にタコが出来て来た。
あまりこれが続くと老人ボケに近いような気もしてきた。私よりは若いのだけどね。
こんな人が居たあんな人が居た。私は、私は!私は家庭教育でこんな教育を受けてきたし、こんな学校まで出ているし、かつてはセレブだったし、ブランド物にとても詳しいし、仕事は出来るし(自分でそう思っているだけ)…等々、ようするに内容たるや、とても世間が狭いのである。
百田尚樹の短編(幸福な生活)←ちょっとコントっぽいけど、を読んでいるのだが、なんだかこの喋る人がダブッてしまい、今私の中でアメーバモンスターのように鬱陶しい存在になりつつある。
少しは亡くなった身内に思いやりを持ち、口を慎みなされや!!!
私がもし、男子なら「うるさい!!! だまれ!!!」となるだろう。
東野圭吾も百田尚樹もヒットする訳が判った。
とても日常的で判り易い、読みやすいってことだった。好き嫌いはあえて言わない。
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