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2014年07月31日01:39

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佐村河内と映画音楽の傾向

どうにも最近、気になっていることが、映画音楽って・・・??????

 「佐村河内問題」
それは例の佐村河内問題から、
自分は「交響曲第1番HIROSHIMA」は聴いていないが、高橋大輔のショートプログラムの曲はいい曲だと思っている。

真の作曲者である新垣隆が、週刊文春で語ったとされることばがけっこうショックだったのである。

「佐村河内名義で作曲していたものは「一種の息抜き」に過ぎず、あの程度の楽曲なら「現代音楽の勉強をしている者なら誰でもできる」と言い切っている。」


この文章は、岩波書店の「図書」4月号、青柳いづみこの「どこまでがドビュッシー?(十七)」で読み、そこから引用した。

その中では、小六禮次郎という、映画テレビでも活躍している作曲家のことばも紹介している。

「学校で学んだ無調音楽なんて仕事をする上では何も役に立たない、人を泣かせるのは三和音だ」

小六禮次郎は、1984年「ゴジラ」の作曲者。
最近、ゴジラの音楽を聴き返しているが、
彼の作曲した「スーパーXのテーマ」は、明るい開放感がある。
すぎやまこういちの弟子だと聞いて、作風が似ているように思う。



 「砂の器」
佐村河内問題に触発されて、金井美恵子も朝日新聞社「一冊の本」6・7月号の連載「もっと小さいこと」で、
「砂の器」としての、いわゆる「クラシック音楽」
という文章を書いている。

74年の映画「砂の器」。「感動的なピアノ協奏曲がいやがうえにも感動を誘う」のだけど、松本清張の原作では加藤剛の役は、「前衛作曲家」だったという。
「砂の器」の作曲は、菅野光亮。最近の中居正広のドラマ版の音楽も同様で、千住明が担当。佐村河内は、「あれはほんとうに素晴らしいと思いました」と発言しているとのこと。



 「赤毛のアン」
この文章の中では、新垣隆が、アニメ「赤毛のアン」の作曲家三善晃に師事していた、
ということも書かれてあって、
最近亡くなった三善晃の「赤毛のアン」のオープニングとエンディングを大大大絶賛していた、「群像」4月号の片山杜秀にも触れており、ちょうどその文章を読んでいたわたしは、NHK−BSで再放送されている「赤毛のアン」をたのしみにしていたのだが、
薄情なNHKは、エンディングを途中で切ってしまって、むちゃむちゃストレスがたまっている。



 「葉加瀬太郎」
昨日のテレビ番組で葉加瀬太郎は、映画音楽の源流は、リヒャルト・シュトラウスだと言っていた。
彼の音楽が、楽器を擬人化して夫婦の会話をさせたりしていることはある。
でも、「ゴジラ」映画で伊福部昭が用いているように、ゴジラのテーマとキングギドラのテーマを掛け合わせて音楽をつくるライト・モティーフは、オペラであって、ワーグナーの楽劇伝来のようにも思う。

 「ゼロ・グラビティ」
さて、調性のある音楽よりも、そうでない方が作曲は難しいのかもしれない。
「ゼロ・グラビティ」がアカデミー作曲賞をとってしまったことがある。
わたしは、これが作曲賞をとることはないと日記にも書いた。
それがアカデミー会員である映画関係者から評価されているのである。



最近のアカデミー作曲賞はというと、
2014年 「ゼロ・グラビティ」 スティーブン・プライス
2013年 「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」 マイケル・ダナ
2012年 「アーティスト」 ルドヴィック・ブールス
2011年 「ソーシャル・ネットワーク」 トレント・レズナー、 アッティカス・ロス
2010年 「カールじいさんの空飛ぶ家」 マイケル・ジアッキーノ

そんなに印象に音楽が残っていないようにも思う。
ジョン・ウィリアムスは、昔ほどの冴えがなくなってきているようにも思うけど、
メロディアスな、トーマス・ニューマンとかが評価されないのは、なんでよ、と思ってしまう。
実をいうと、上記の中では、ジアッキーノのサントラ盤CDしか持っていない。
「カールじいさん」はよく知らないが、12年の「ジョン・カーター」の音楽は、まさにジアッキーノ版「スター・ウォーズ」で、無茶苦茶いい。



「ゼロ・グラビティ」は、環境音楽みたい。
これは、葉加瀬太郎の番組で言っていた、サティが提唱した「家具の音楽」に近い。

そもそも、最近の大作「X−MEN」の音楽でプロデューサーでもあるジョン・オットマンが作曲していたり、というのは音楽軽視の流れではなかろうか。
「ウルヴァリンSAMURAI」のマルコ・ベルトラミの音楽の方が断然いいと思う。

ジマー系の音楽には、旋律がなくて、リズムのみ。
これも、「家具の音楽」か。

ヴィジュアル面は何でもありで、編集は巧妙となって、効果音も細かく入る。
音楽はテキトーに場面を盛り上げてくれればいいのか。


 「キング・コング」
ここで、マックス・スタイナーの「キング・コング」(33)を聴いてみると、
場面の盛り上げを音楽が担っていることがよくわかる。この時代は、効果音はそれほど入らないから。エモーショナル。
曲調は全く違うけど、伊福部昭の第1作「ゴジラ」(49)と旋律の起伏が似ている曲があって、円谷英二が研究しつくしたと語られているように、伊福部も参考にしているのかと思う。

また、ジェームズ・ニュートン・ハワードの「キングコング」(05)も、マックス・スタイナーを意識しているところがあるように感じた。



 「ゴジラ×メカゴジラ」
平成「ゴジラ」シリーズ以降の、ゴジラ映画、いや、怪獣映画の中で、最高に燃える映画音楽。
作曲は、「天地人」の大島ミチル。
映画を見て、大分後にCDを購入したので、昨日のBSでの放送を、期待してちょろっと見たら、
画面が全く燃えていなかった。
「マシンに人の魂を宿す」にはどうしたらいいか、という方法は、「マジンガーZ」(72)以降、確立されてきていたはずなのに、何も継承されていない。
去年の「パシフィック・リム」は素晴らしかったなぁ。




 結論として、今は映画音楽を聴いて映画を思い浮かべるという時代ではなくなったのかもしれない。と、考えてもいた。
 それは「アナと雪の女王」の主題歌で、全く打ち砕かれるのである。(あっ、純粋な映画音楽としての曲はイマイチだと思う。)
ひとまず、フランス人、アレクサンドル・デスプラの「ゴジラ」の音楽がたのしみだ。
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