3月30日(日)
天気予報どおり、激しい雨が降っている。
そのつもりで来たから雨具の用意はしてある。
でもやっぱり面倒くさい。
午前8時、料理民宿「あまの」を出発する。
傘をさして国道を歩く。
ちょっと寄り道して、萩原の街を散策することにした。
駅前商店街は寂れていた。
まあこれが日本全国の地方の普通の姿だろう。
珍しかったのは、商店街の真ん中に城跡があること。
諏訪城という史跡だ。
ここを整備して売りだせば、少しは観光客も来るだろうに。
飛騨川大橋に来た。
橋の手前にシマウマさんがいる。
いつもここを車で通るたびに、どうしてこんなのが建っているのか不思議だった。
近くでじっくり見ても、よくわからない。
そのかわり、シマウマさんが立派な一物を持っていることを発見した。
橋を渡って、国道と反対側の右岸を歩く。
堤防沿いに歩道がある。
雨の中だけど、のんびりと歩いて行く。
しだいに道が細くなってきた。
工場や民家の裏手を、こっそり歩いて行くことになる。
屠殺場があった。
川沿いに「畜霊碑」というのがあった。
動物の慰霊碑だ。
ますます歩道は細くなる。
適当に民家の横をすり抜けて県道に出た。
浅水(あさんづ)という街だった。
昔は材木の運搬で栄えたところのようだ。
国道が対岸にできて、忘れ去られたように静かな佇まいを見せている。
それにしても、雨が激しい。
どこかで雨宿りしたい。
そう思って歩いていたら、ちょうど公園があった。
下り川公園というところ。
お寺があって、東屋があった。
昨日買ってきた酒と肴で、ささやかな宴会をする。
公園を過ぎて、四美という集落に来た。
静かな田舎だ。
ここを歩いていて驚いたことがある。
それぞれの家に、お墓があるのだ。
ガレージの横とか、玄関前の庭先とか、敷地のすぐ隣にあったりもする。
自宅にお墓があれば、墓参りとか行かなくてもいいから便利だろうなあ。
でもなんか変だ。
帰って調べてみたら、こういうのを屋敷墓という。
屋敷墓に最初に注目したのが柳田国男だけど、どうもその後本格的な研究は行われていないらしい。
もともと日本全国に点在しているようだけど。
内墓といって、死体は共同墓地に埋めて、庭先にお参り用の墓を作ることもあるらしい。
仏壇の代わりだ。
でも四美地区のは「納骨塔」と刻んであるので、お骨が入っているのだろう。
この地区には墓地も見当たらなかったし。
珍しいから観光で売りだせばいいのに。
墓石の姿のゆるキャラとか作ればウケるんじゃないだろうか。
四美地区を過ぎて、また細い県道を歩く。
「すべるぞ」などと、上から目線の看板がステキだ。
小坂町が近づいてきた。
小さな集落の一軒に、やはりステキな落書きが書いてあった。
電波オヤジが住んでいるのだろう。
「ネット検索を」と書いてあったから、その場で検索してみた。
「MKウルトラ計画〜アメリカ中央情報局(CIA)科学技術本部が極秘裏に実施していた洗脳実験のコードネーム」
だそうだ。
ちなみに、この家の裏手にも屋敷墓があった。
小坂町の街に入った。
雨は激しく降り続いている。
小さな街だから、適当に歩いて行くと「飛騨小坂駅」に着いた。
ちょうど12時だ。
天気が悪いので、本日はここまでにする。
駅前で、どこかお昼ごはんを食べようと思った。
でも食堂も喫茶店もない。
高山線の特急停車駅だというのに、この寂れかたは尋常じゃない。
仕方がないから駅の待合室で、昨日買ったお菓子を食べながら列車が来るのを待った。
12時50分の特急ひだに乗り、飛騨金山駅に戻り、道の駅美濃白川の温泉に入って帰る。
それにしても岐阜県というのは奥が深い。
長野県より味わい深いような気がする。
次回が楽しみだ。
ログインしてコメントを確認・投稿する