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2014年03月01日12:18

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飛騨川にそって田舎の細道を歩く

2月23日(日)

白川温泉を出発した。
白川まで国道41号は飛騨川の左岸を走っていた。
ここから上流はずっと右岸を走っている。

今日はその対岸、左岸の細い道を歩く。
商店街から少し歩くと、すぐに民家がなくなる。
細い道路だ。
車に乗っていたら、対向車が来たらどうしようとドキドキしながら運転するようなところ。
でも歩きだったら気分のいいハイキングだ。
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対岸にはずっと国道41号が走っている。
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一時間も経たないうちに「島」という集落へ着いた。
墓地には古い石仏などが隅っこに寄せ集められ、神道のお墓が並んでいる。
明治時代に廃仏毀釈が激しかった地域だろう。

飛騨川が大きく蛇行して河原ができている。
ちょっと降りてみた。
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そこから辿っていくと、狭い林道がある。
その奥は未整備の登山道のようになっていた。
草がたくさん生えていて、歩きにくい。
雪も積もっている。
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のんびり進んでいたら突然国道41号にでた。
そのまま歩くとすぐに「道の駅・美濃白川ピアチェーレ」があった。
トイレに入ったり、ゆっくり休憩する。
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道の駅を越えると、また細い道路だ。
葛牧という集落に来た。
狭いけど、のどかな農村だった。
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さらに進むと野原城址というのがあった。
登ってみると、小高い切り立った丘の上にモニュメントがあった。
城址といっても石垣も土塁もない。
地元の言い伝えがあるだけ。

城跡から景色を見渡す。
下流は渓谷になっていて、1キロ以上先まで見通せる。
標高差も100メートルほどある。
上流のほうは背後が広い平地になっている。
少し高台なので、城跡からすぐに下りていくことができる。

ここは下流からの侵略を防衛する、最適な拠点だったのだ。
実際に多くの戦闘が行われたらしい。
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なんかこういう地形を活かした史跡に来るとワクワクする。

背後の集落に下りた。
同じ苗字の家ばかりだ。
城址の説明板に書いてあった豪族と同姓だ。
子孫たちが住んでいるのだろう。

また細い道路になった。
高山線に沿って歩いて行く。
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下油井という集落に来た。
JR下油井駅がある。
小さな無人駅で、駅の前を国道256号線が通っている。
国道といっても細い生活道路だ。
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下油井を抜けて佐見川を渡る。
だんだん道が開けてくる。
金山町に入った。
七宗ダムを越えると飛騨金山の町外れだ。
田島という集落だ。

そこから金山町の中心街へ行く途中に、大きな石碑があった。
「国境争論地・右飛騨国(天領) 左美濃国(苗木藩)」
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江戸時代に領地の争いがあった。
地元のいざこざが苗木藩と幕府の抗争にまでなった。
裁判と実地調査が行なわれ、ここが境界になった。
当時の資料も金山町にちゃんと残っているそうだ。

つまりここが美濃地方と飛騨地方の境だ。
なんだか感動する。

飛騨金山に着いた。
大きな街だ。

本当は商店街も小さくて寂れている。
ちょっと歩くとすぐに町外れ。
だけどいままで限界集落のようなところと通り抜けてきたので、すごく大きな街に見える。

駅前の喫茶店でお昼ごはんを食べた。
岐阜の名物、けいちゃん定食だ。
鶏肉と野菜を甘辛く炒めたもの。

ついてきた味噌汁は郡上味噌といって八丁味噌のような赤い豆味噌だ。
岐阜は隣県だけあって、料理が愛知県民の口にあう。
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飛騨金山駅から高山線に乗って帰った。
車が置いてある古井駅まで30分ぐらいだった。

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