木曽川の映画・アニメ「伊勢湾台風物語」の感想文。
伊勢湾台風というのは、1959年(昭和34年)9月26日に東海地方を襲った超大型台風だ。
伊勢湾から津波が押し寄せ、木曽川が決壊した。
死者4,697人・行方不明者401人。
これは阪神大震災に抜かれるまで、自然災害としては戦後最多だった。
また被災者の人数、約153万人というのは、その後のどんな災害でも及ばない堂々第一位の大記録だ。
ちなみにわたしの両親も避難所に行った。
だからわたしは伊勢湾台風の被災者二世だ。
今年の1月、河口から木曽川遡行を始めた。
最初に出会ったのが「伊勢湾台風の慰霊碑」だった。
さらに河口から左岸を歩くと「伊勢湾台風、殉難者火葬之地」と書いた石碑がいくつも建っている。
台風で火葬場が被災した。
大量の死体を処理することができず、河原で野焼きにしたのだ。
それぞれの場所で、どのぐらいの遺体が燃やされたのだろうか。
映画「伊勢湾台風物語」は災害被害と惨劇を描いたアニメだ。
1989年、台風上陸30周年を記念して作られた。
出資したのは未来工業という会社。
木曽川の中洲に本社があって、ここも台風のときは大変な被害にあったそうだ。
名古屋市南部の架空の街が舞台だ。
でも道路の作りなどで名古屋市南区柴田だと、地元の人なら分かる。
主な登場人物は小学6年生の3人。
同じクラスの生徒だ。
商店街の雑貨屋の娘。
お父さんが気象台に勤める公務員の息子。
お金持ちの息子。
これら登場人物の声優は戸田恵子さん、小山芙美さんなど愛知県出身の人たちばかり。
みんなナチュラルな名古屋弁でしゃべる。
会話の内容も、松坂屋、山崎川、敷島パン、栄町など懐かしい単語が頻出する。
「三丁目の夕日」のようなノスタルジックな気分になる。
前半はほのぼのとした学校ドラマ。
明日は運動会だけど、台風が来るので中止になり、みんな残念がる。
雑貨屋の娘と公務員の息子は、仲がいい。
それをお金持ちの息子が妬んだりする。
夜になって伊勢湾台風がやってくる。
ここからがアニメの感動シーンだ。
まずお金持ちの息子が、一家全員で避難しようと走っている。
津波がやってきて全員即死する。
たぶんいまの「くら寿司」が建っているあたりだろう。
雑貨屋の家族は自宅の屋根の上に避難した。
ところが洪水で家ごと押し流される。
力尽きた家族が、一人ひとり水の中に落ちていく。
娘だけは大木の枝に引っかかる。
公務員の息子のところは、お父さんが気象台で夜勤だった。
家にいたのは母親、息子、妹さんの三人。
津波がやってきて、外に避難するのが遅れる。
水位が上がる。
天井を突き破ろうとするが、固くてできない。
自宅の部屋の中で母親、妹、息子の順番に溺死する。
子どもたちの目の前で、母親が最初に死んでしまうシーンは酷い。
ひと通り悲劇が終わったあと、被災地の俯瞰画像が順番に映る。
柴田、弥富、半田、長島。。。。
みんなわたしにはよく知っている地名と地形だ。
そこが水浸しになり、建物がすべて壊れている。
ほんとうに涙が出てくる。
これが全然知らない場所だったら、何とも思わないだろうけど。
映画はまだ終わらない。
アメリカ軍が出動して捜索や救助にあたる。
世界中でこの災害が報道される。
地元の消防団が浸水した街にボートを出す。
たくさんの水死体がプカプカ浮いている。
消防団長は「生きている者が先だ!」と叫ぶ。
雑貨屋の娘はここで救助される。
被災者は避難所で炊き出しに並ぶ以外やることがない。
退屈だから自宅の近くまで泳いでいく。
知り合いの死体を発見する。
このアニメがどうしてここまでナマナマしい描写をしたのかというと。
遺族や被災者たちが「もっとリアルに作れ。死体も描け」と注文したからだそうだ。
ラストは30年後の伊勢湾だ。
スーパー堤防ができて、すっかり平和な海になっている。
二人の人が昔を思い出しながら語り合っている。
熟女になった雑貨屋の娘と、老人になった気象台の公務員だ。
この場所はちょうど、わたしたちが木曽川遡行を開始したところの対岸だ。
じつはこの映画、最初に公開されたとき映画館で観た。
同時上映は「魔女の宅急便」だった。
こんな歴史的傑作と比べられるからだろう。
アニメ「伊勢湾台風物語」は、その後あまり話題にならない。
でも、わたしはどちらの映画で泣いたかというと、語るまでもない。
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