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2013年05月15日23:10

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遊園地の観覧車に乗り、お城に登る

木曽川遡行シリーズ、第5回、通算10日目。

5月12日(日)

午前8時40分、紅岩山荘を出発した。
昨日の雨はすっかりやんだ。
今日は快晴だ。

ところで、木曽川完全遡行での方針の一つ。
できるだけ河原の近くを歩くこと。

紅岩山荘のすぐ近くに遊園地がある。
恵那峡ワンダーランドだ。
河原に一番近いルートを取るためには、遊園地の中に入らなければならない。

下流に近いゲートから入場して、川の近くを歩き、上流側の出入り口から出る。
午前9時、開園と同時に遊園地に入った。

中にはまだお客さんがいなくて閑散としている。
係の人が遊具を動かす準備をしている。
川に近い隅っこを歩いて行く。

中年ハイカーたちが朝早くから遊園地の中をコソコソと歩いているのだ。
通報されてはいけない。
早く出よう。

でもせっかくだからと、観覧車だけ乗った。
さすがに見晴らしがいい。
恵那峡が見下ろせる。
昨日見えなかった1000m峰の笠置山がきれいに見える。
さらに奥の2000m峰の恵那山、はるか向こうには3000mの御岳も見える。
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出口付近には足湯があった。
おじさんたちにはメリーゴーランドやジェットコースターよりも、こっちのほうがいい。
歩きはじめたばかりだけど一休み。
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恵那峡ワンダーランドを出て、すぐのところにある恵那峡大橋を渡る。
左岸を道伝いに歩いて行く。
温泉付きの住宅が並んでいる。
みんな高級な別荘のような家だ。
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高級住宅地帯を抜けると恵那峡パークカントリークラブ。
ゴルフ場の中の道を歩いて行く。
みんな気持ちよさそうにゴルフしている。
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ゴルフ場が終わると支流を渡る。

小さな牧場があった。
牛がいる。
この中に道が続いているけど、関係者以外立入禁止になっていた。
口蹄疫など伝染病の恐れがあるから。
しかたがないので県道を遠回りする。

そのあとは畑が続く、広い田舎道だ。
道が複雑に入り組んでいる。
できるだけ川の近くを歩こうとすると、何がなんだかよくわからなくなる。
地図やGPSを頼りに歩いていく。

地元の子どもたちから
「あの人地図を見ながら歩いてる!」
などと指をさして言われる。

通報されないことを願うばかりだ。

地図に載っていない道もあり、付近の人に聞いてもよく分からない。
適当に歩いていると、登山道のようになってしまった。
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無理やり進んでいると、大きな作業所の敷地の中に出た。
障害者の福祉施設のようだ。
介護福祉士とか、なんかそんな人が走ってきた。

「こんなところで何をしてるんですか」

本当に通報されそうだ。
あわてて木曽川遡行のことを説明する。

介護福祉士さんは了解してくれて、先の道を教えてくれた。
福祉施設の売店でちょっと休憩してアイスクリームを食べる。
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さらに進むと、またハイキングコースになった。
源済公園というところだ。
ちょうど樹木の間から、付知川と木曽川の合流点が見えた。
それにしても、ここもまったく人が来ないような場所だった。
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公園から県道に出て、そのまま美恵橋を渡る。
また右岸を歩いて行く。

今度は一本道だ。
しばらく行くと、別の温泉付き分譲住宅街があった。
ここはラジウム温泉が湧き出ている。
何ベクレルのお湯か知らないけど、毎日のことだとホルミシス効果の線量範囲を超えてしまわないのだろうか。

住宅街の上に桑原寺があった。
へんな仏像がたくさん並んでいるので有名なお寺だ。
本堂を拝観したかったけど、受付の人が留守だった。
お庭だけでも充分に変だった。
ぜひまた訪れたい。
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国道257号線を横断して、坂道を登ると苗木遠山史料館に到着。
このあたりは江戸時代、苗木藩という一万石の小さな藩だった。
あまりに小さな藩だったから、お殿さまも真面目だったのだろう。
廃仏毀釈のときに、徹底的にお寺を廃絶した。
苗木地区にはお寺はほとんど残っていないそうだ。

というようなこの地区の歴史を展示してあった。

ちなみに苗木藩のまわりは、ぐるりと尾張藩に取り囲まれている。
尾張藩は大きな藩だった。
だからいい加減なところがあって、廃仏毀釈などほんの少しだった。
それで愛知県は、日本でいちばんお寺の多い県になっている。
京都よりお寺の数が多いのだ。
さらにキリシタンの弾圧もいい加減だったらしい。
とくに木曽川沿岸にはたくさんのキリシタンがいたらしい。
いまでも遺跡がたくさんある。
御嵩町にはキリシタン博物館まである。
こんど行ってみよう。

史料館の裏手から坂道を登る。
山の上に苗木城の城跡があるのだ。
この山城は作りが変わっている。

自然の巨石をそのまま生かして石垣を作っている。
天守閣の土台など、ほとんど頂上の自然石そのままだ。
苗木藩は一万石と金がなかった。
それに岩ばかりの地形だった。
だからこんな石垣になったのだろう。
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史料館では、お城の姿がCGで再現されていた。
もしも建物が残っていたら、姫路城を凌ぐ世界遺産のお城になっていただろうに。
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頂上の見晴らしを満喫した。
また坂道を下る。
国道に戻り、川の近くの道を歩いて行く。

廃線になった北恵那鉄道の鉄橋を過ぎる。
すぐに玉蔵大橋だ。
停留所があったので時刻表を見ると、あと10分でバスが来る。
午後4時37分の北恵那バスに乗って中津川駅へ行く。

まだ時間があったから、駅前で夕食を食べる。
中津川のB級グルメ、トリトマ丼だ。
正式名称は「若どりトマト丼」という。
中津川名物の鶏肉とトマトを使った丼だ。
駅の近くの焼鳥屋さんで食べる。
さすがに鶏肉の専門店だけあって、上手に焼いてあった。
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ということで、ついに中津川まで来た。
来月からは木曽路だ。
島崎藤村の世界だ。

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