mixiユーザー(id:17608066)

2012年08月26日07:03

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できるまでがある

ここまで、働きがのっている物事がある。
ならば、働きののらない部分においての
コミニュケーションできる余地は容易にある。

たとえば
ある程度の音を出すことはできる。
その音と同じような音を出すことまでもできるだろう。
音がなるまでとしたら、イメージとしても、なってからの音が抽象的媒体、音の階層的気づきとなるか、今までと違いなく経験とした記憶となるだろうか。会話ができるような鏡があればいいと思う。
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