昨日の明け方、ちょっと不思議な夢を見た。
母方の祖母に教わって、魔法のお菓子を作っている。
十数種の野草や木の実を混ぜて、呪文をとなえ、れんげの蜜と虹と雨とでことこと煮込む。
それをヒバリの卵に入れたらできあがり。
その卵を食べた人は、「愛」が見えるようになるんだ。オーロラみたいに。
誰もが自分が思っていたよりも「愛されている」と知って、やさしく輝きはじめる。ペインボディがひとつひとつ解けていく。地球のあちこちで、まばゆい光が波紋のように広がっている...。 わたしは死者の国にいて、空からそれを見ている。
――just beautirul. きれい。
至福の気分のまま、目が覚めた。
めずらしく夢を見たのは、なぜだろう。
親愛の情のあらわしかたって難しい、と痛切に感じていたからかな。
たとえば、好きな人が、優れた五感の持ち主で、目に見えない美しいものに形をあたえて見せてくれるような素敵な人、だとする。
これって、ここだけ取り上げると、まるでその人の審美眼や才能に恋をしているみたい。
もちろん違う〜。
優秀とか有能だとか、綺麗とかセクシーだとか、センスがいいとか楽しいだとか、そうでないよりは、そうのほうがいいに違いない。
だけど、そうでないところもすべて込みで、ホリスティックに好き。
"存在そのもの" が、無条件に大切。
だって、好きなんだもん。 (^-^*)♪
っていうのが、友達だったり恋人だったりするんだと思う。
でも、AC(アダルトチルドレン)やDV被害者の友人たちは、「無条件に」って感じをなかなか信じてくれない。決して彼らのせいじゃない。それだけ受けた傷がひどいんだ。だけど、"存在そのもの" が大事、って信じてもらえないと、関係が築けないよ。
どんなにあなたを想っているか、鼻の高さが変わったりして、可視化できたらいいのに。
この十年ほどのあいだに、まじめにそう思うことが何度かあった。
だから、昨日の夢は、しあわせな夢...。
少なくとも、同じ可視化なら、鼻がピノキオより、オーロラのほうがいいよね。
この前、夢を見たのはいつだっただろう。
そう思って検索したら、夢の日記は四つ。
◆
アイルトン・セナが、マイケル・ジャクソンの代わりって!? 2011. 6月25日
◆
サンバノペ / Samba no Pe 2008. 9月20日
◆
虹の彼方に / The Rainbow Connection 2007. 7月15日
◆
ジダンをめぐる夢. . . 2006. 7月11日
「サンバノペ」は、ホヤちゃんの夢だ。
乳がんの若い友達で、わたしの日記を「あめっこみたい」と言ってくれた人。
亡くなって、もうすぐ四年になる...(cf.
ポケット・カスタネット 2008. 05. 21)
そのホヤちゃんが、2007年の日記「虹の彼方に」にも、コメントしてくれていた。
> やみぃさんの文章ってなんでいつも柔らかくて可愛いお菓子みたいなんだろう?
わたしの文のどこがお菓子みたいなのか、わからない。
でも、とってもうれしい。
そして、どうやら、お菓子とホヤちゃんはつながっているらしい。
わたし、落ち込んだりして泣いている場合じゃないや。
「福井の原発止めよう」と同じくらい、きちんと、想いも届けなくちゃ。
「あなたのことが大好きです」って、みんなに伝えていかなくちゃ。
I really LOVE YOU guys!
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