ということで補陀落山寺へ行った。
補陀落渡海が行われたお寺だ。
ここで補陀落渡海の説明。
仏教では、南の海の彼方に補陀落世界(観音浄土)があると想像されていた。
そこを目指して小舟に乗って出ていくことが補陀落渡海。
結果として漂流、入水して死んでしまうのだから、即身仏と同じ捨身行の一種だ。
茨城県から鹿児島県まで広い範囲で行われた。
時代では平安時代から江戸時代まで。
記録に残る渡海は40回ほど。
そのうち25回が那智の補陀落山寺から出発している。
つまり補陀落渡海の根本道場だったのだ。
補陀落山寺は那智の海岸から200mぐらいのところにある。
すぐに海に出ることができる。
本当に渡海のためのお寺だったのだ。
いちおうここも世界遺産に指定されている。
でも観光客はまばらだった。
敷地もそんなに広くない。
駐車場を合わせても200坪を少し越えるぐらい。
本堂の横に小さな建屋があった。
中には補陀落渡海の小舟が実物大模型で再現されていた。
船の全長は3mぐらい。
船倉には棺桶のように渡海僧が入る箱がある。
その周囲には鳥居が四方に立っていて、それを繋ぐように数十本の卒塔婆が連なっている。
これは古代の殯(もがり)、つまり埋葬直後のお墓の形式だそうだ。
じっくりと渡海船を鑑賞してから本堂に入る。
受付の人がいた。
いつもは無人のお寺だけど、今はサービス期間中なのだそうだ。
なにがサービスかというと、秘仏のご本尊を希望者にのみ公開中とのこと。
500円出して拝観した。
本堂正面の大きな耐火金庫が開けられた。
立派な千手観音があった。
高さ170cmで檜の一木造だ。
一つの木から胴体と左右40本の腕を彫り出している。
平安時代の作だそうだけど、すごく現代的な造作だ。
この観音様を拝んで、補陀落渡海僧たちは那智の浜から船出していったのだ。
平維盛も日秀上人も手を合わせたであろう。
サービス期間中に行ってよかった!
本堂の裏山に供養塔がある。
補陀落渡海僧と平維盛、平時子のものだ。
ここで平維盛の説明。
平清盛の孫で、平重盛の子供が平維盛だ。
屋島の戦いを前にして、家族が恋しくなって京に逃げていった。
平家が滅亡して、自責の念に囚われ那智の浜から船に乗って補陀落した。
平家物語のクライマックス「維盛入水」だ。
大河ドラマではここの場面も出てくるのかなあ。
俳優は誰が演るんだろう。
供養塔は森の奥の木陰の下にあった。
かなり風化が進んだ花崗岩が並んでいた。
それぞれ一つずつに、平維盛と補陀落渡海僧たちの思いが乗り移っているようだった。
厭世観とユートピア幻想と信仰心とタナトスと。
彼らは補陀落浄土に行けたのだろうか?
行方は杳として知れない。
ということで、ひなびた世界遺産を堪能した。
次に熊野那智大社へ行った。
ここは観光客でいっぱい。
大門坂(熊野古道)を歩き
那智大社と青岸渡寺をお参り
那智の滝を見る
ということで、なかなか充実した和歌山旅行だった。
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