レーベン号で、陸前高田に行ってきた。
何をどう伝えたらいいんだろう。わたし自身、これからどうしたらいいんだろう。
まだ、途方に暮れている。
でも、だからこそ言葉にしていこうと思う。すこしずつ。
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3.11直後から陸前高田を知る人たちは、「半年で、よくぞここまで」と感慨をこめて言う。
でも、わたしみたいに初めて現地入りしたものは、がれきと化した町の様子に絶句する。
「半年たっても、まだこんな...」
涙がはらはらあふれてくる。
泣いてることを周りの人たちに気づかれないよう、嗚咽をこらえるのが精一杯だった。
わたしはセンチメンタルなほうじゃない。
子どものときから、火事や交通事故の現場だとかに何度も遭遇しているし、友人たちの死にもずいぶんと立ちあってきた。自殺体の発見も三度している。だからそういうの、わりと平気で、たぶんけっこうドライ。
それでも、あふれる涙を止められなかった。
テレビで見る映像は、どんなに鮮明だとしても「面」なんだと思った。
画面からは、見渡すかぎり広がる荒涼とした風景の、"奥ゆき" や "広がり" が、ほんとうには感じられない。
町全体が根こそぎ持っていかれた、その根こそぎの "深さ" が、感じられない。
ららみぃさんが、写真を見せてくれたとき 言っていた。
「ああ、海がやってきたんだ」 と思った、
って...。
哀しみを抑え、淡々と、詩みたいに。
そのときは、わかったつもりでいた。でも、違ってた。
実際に行って、はじめてちゃんとわかった。
「そうなんだ...その日、海がやってきたんだね」
「僕のふるさと陸前高田は、ほんとうに綺麗な街だったんです」
ららみぃさん、そうも言ってた。
うん 、きれいだったって、想像できる。
いまも、空と海はどこまでも青く続き、カモメが遊んでいるもの。
高速の渋滞で、予定より一時間ほど遅れて、
レーベン号は、
災害ボランティアセンターに到着した。
わたしたちは、広田町の一角の草刈りと瓦礫の片づけをすることになった。
(つづく)
◆ 写真は、震災前の広田町
東日本大震災 写真保存プロジェクトより
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