mixiユーザー(id:18367645)

2011年03月10日07:11

847 view

宗谷・稚内B級グルメ、ひとしの店のかに丼(3/5)

[1613]
先週土曜日5日は、今月一杯で営業を終了する稚内駅の立ち食いそば屋「そば処宗谷」の食べ納めに来た。

朝札幌を出発し、稚内には昼過ぎに着いて昼飯に立ち食いそばを食べた。

この日は稚内に泊まったが、立ち食いそば屋は夕方前にはその日の営業を終えるから、夕飯はどこか別の店で食べねばならない。

いつものように飲みに出てしまおうかとも考えたが、今回は青春時代の思い出の味を食べに来た旅だから、夜も懐かしの店を再訪することに決めた。

今から24年前、大学3年生だった1987年(昭和62年)の夏休み、当時東京・八王子の実家に住んでいたボクは、生まれて初めての北海道をクルマで旅していた。

初めての北海道だから、当然のことながら宗谷岬を目指して稚内にやってきた。

今のようにインターネットなんかない時代だから情報が少なく、稚内と言えば小説「蟹工船」の舞台だからたらばがにが名物なんだろうということぐらいしか知らなかった。

東京の郊外の実家で食卓にたらばがになど出たことなどなく、貧乏学生だったこともあり、それまでたらばがになど食べたことはおろか見たことすらなかった。

ましてやたらばがにはカニではなくヤドカリの仲間だなんて全然知らない。

ともかく、初めて日本最北端の稚内に来たら、有名なたらばがにとやらを食べてみたいと思っていた。

しかし、当時はバブル経済真っ只中で、高級食材であるたらばがには本場の稚内でも高く、土産物屋で見たらキロ5000円、中ぐらいの大きさのたらばがにでも1匹1万円以上もする。

宿泊費を浮かせるためにキャンプ場で寝泊まりしながら北海道旅行している学生の分際で、とても居酒屋や寿司屋でたらばがになど注文できる金額ではなかった。

そこで、太い脚を頬張るのはあきらめ、とりあえずたらばがにというカニはどんな味がするのかくらいは分かるだろうと、駅弁くらいなら手を出せる金額で買えるだろうから稚内の駅に寄ってみた。

稚内の駅前は食堂や土産物屋が立ち並び、観光客であふれかえっていた。

そんな稚内駅前で、ひときわ「かに」をアピールしている食堂があった。

「ひとしの店」である。

もちろん、普通の食堂にあるメニューも書いてあったが、誇らしげに書いてある「かにめし」、「かにラーメン」、「かに丼」の文字が眩しかった。

お店を覗いて金額を確認すると、かにのメニューは安くはないが1000円台で提供されていた。

せっかくはるばる稚内にやって来たんだから、そのくらいなら奮発しても大丈夫だ。

吸い込まれるようにお店の戸を開け、「ここのかにというのはたらばがにですか?」と尋ねる。

「もちろん本たらばですよ」という返事で、「かに丼」を食べた。

値段ははっきり記憶してはいないが、1000円以上はしたと思う(1200円だったかな?)。

これが稚内での初めての食事だ。

この初めての北海道旅行で北海道の魅力にはまってしまい、今度は冬に流氷やダイヤモンドダストも見てみたくなった。

当時はスタッドレスタイヤなんてなく、高いスパイクタイヤかスノータイヤしか出回っておらず、東京在住で雪道の運転に自信もなく、今度は列車と青函連絡船で北海道に来た。

東京からの往復に北海道内の特急も自由席なら20日間乗り放題が付いて、季節割引に学割まで効くという、今では考えられない大盤振る舞いの「北海道ワイド周遊券」を握り締め、宿代を浮かすために当時道内を走っていた夜行急行を宿代わりに流氷が接岸するまで道内を回っていた。

当時、札幌と釧路、網走、稚内を結ぶ夜行急行が走っており、稚内行き「利尻」にもよく乗った。

朝6時に稚内に着くと、早朝なのに「ひとしの店」はすでに開いていた。

外は吹雪で寒く、たまらず駆け込みまた「かに丼」を食べた。

そんな青春の思い出の店なのである。

それから冬以外の季節にも来る年も多かったが、沖縄勤務時代も含めて毎年冬には必ず北海道に通い続け、その後釧路勤務となり、北海道に通うようになってかれこれ24年になる。

平成元年には稚内駅の立ち食いそば屋「そば処宗谷」も開店し、夜行列車で朝6時に稚内に着いて、まず「ひとしの店」か立ち食いそばを食べるというパターンが多かった。

稚内駅前が賑わっていた頃は、飲食店や土産物店が何軒も並び、その隣りに稚内市民が買い物に来るスーパー「西條」もあり、すぐ裏には宗谷バスのターミナルがあり、その先にフェリーターミナルがあって、稚内市民も旅行者もぞろぞろ歩いており、「ひとしの店」はそんな稚内駅前に立ち並ぶ店の1軒だった。

その後、稚内の中心街が南稚内に移り市民がわざわざ稚内駅前地区まで来なくなり、さらに利尻・礼文島を訪れる観光客も減り、海外旅行ブームとなり鉄道やクルマ、バイクで北海道を回る旅行者も減り、稚内駅前は急速に寂れた。

そして、2002年に稚内駅前地区にあった稚内市民の台所、中央レンバイが火事で焼失し、市街地にぽっかり穴が開いたようになり、周辺の飲み屋街も一時期はロシア人目当てに繁盛していた時代もあったが、ロシアでカニの密輸規制が始まるとパタリとロシア人も来なくなり、櫛の歯が抜けるようにお店が減り、取り壊され更地が多くなり風が吹き抜ける街になってしまった。

そしてとどめを刺したのは、利礼航路のフェリーターミナルが稚内駅と南稚内駅の中間に移転して、離島を訪問する観光客が稚内駅前をぞろぞろ歩くことがなくなったことと、朝の利礼航路に接続していた夜行列車「利尻」が2007年に廃止され、稚内駅前を早朝出歩く旅行者も消滅して、立ち並んでいた店も「ひとしの店」以外の店はなくなり、いつしか取り壊され、稚内駅前は新駅舎となる建設中の再開発ビルと「ひとしの店」だけになってしまった。

その「ひとしの店」も、廃業するわけではないが、新駅が開業すると今の店からは移転するようだ。

そんなことで、今回は目的の立ち食いそば「そば処宗谷」が閉まってしまう夕食は、学生時代を懐かしんで「ひとしの店」で食べることにした。

「ひとしの店」に入るのは何年ぶりだろう、10年以上は経っているのではないかと思うのだが、戸を開け中に入り、いつもと同じ入ってすぐ右側の席に座る。

立ち並んでいた両隣の店もなくなっちゃて吹きさらしになったからか店内のストーブは燃えさかっていてもは寒く感じるが、店内の雰囲気は当時と何ら変わらない懐かしい光景のままだった。

変わったことといえば、ボクが学生当時に店を切り盛りしていたご主人が亡くなり息子さんに代わっていたことと、一部のメニューの値段が値上げされて今の値段が書かれた紙が貼ってあることぐらいだろう。
フォト

昔は「いつもの席」からメニューを見るときに、ストーブの排気の煙管が邪魔になった記憶がないから、ひょっとすると客席の中央に設置されているストーブは更新したのかも知れない(写真3)。

とにかく、ここでメニューを見て何を注文するか迷うことなどない。

青春の思い出の「かに丼(1500円)」以外食べるつもりなどないのだから。

当時はもうちょっと安かったと思うが、それからずいぶん経っている割には1500円なら高くはないと思うし迷いはない、「かに丼」を注文。

しばらく待つと「かに丼」が運ばれてきた。
フォト
そうそうこれこれ。

まず目に入るのは、上に盛られた2本のたらば脚である。

その下に甘辛のつゆで煮たかに身の卵とじがご飯に乗っている。
フォト
早速食べる。

卵とじの中にもかに身がたっぷり。
フォト
いちばん下には細切りのタケノコを敷いて煮てある。

うんうん、この味である。

ズワイや毛がにではないくたらばがにだから大味で、美味と言うよりは素朴な感じの「かに丼」だ。

付け合わせの漬物は自家製で、さらに「がら」がたっぷり入ったタラのがら汁が付いてくる(季節によって魚は変わる)。

青春時代の感激がよみがえる。

決して「すごく旨い」ものでもないが、懐かしい懐かしい味と雰囲気の「ひとしの店」の「かに丼」であった。

今の店も、稚内の新駅舎が開業したら移転するらしい。

味は変わらないだろうが、雰囲気がまるっきり変わってしまうのはちょっと寂しい。

しかし、閉店してしまう駅そばとは違って、営業を続けてくれ、昔ながらの素朴な味だけでも守り続けてくれるだけでもよしとするしかないだろう。

これで、ボクの記憶の中にある「青春の記憶の稚内」は、居酒屋「網元」以外なくなってしまう。

最後に食べに来られてよかった。
2 8

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2011年03月>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031